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世界の森林と日本の森林(その4)by 立花吉茂

森林の再生の仕組み
 日本の森林は伐採しても年数さえ経てば自然に復元するが、その遷移の途中の、植物の種類の移り変わりは、実に巧妙にできていて感心させられる。森林を伐採すると、いままでと異なった劇的な環境変化が起こる。その第一は地面に強烈な太陽光が当たることである。樹木の葉で覆われていた薄暗い、湿った環境はたちまち、明るい乾いた環境に急変する。そんなところを好む植物群がまず土地を占領する。彼らを先駆植物(パイオニア)と呼ぶ。彼らの種子は、ダンドボロギク、ガガイモ、タンポポのごとく、落下傘のようにフワリフワリと飛んでくるものもあるが、昔の種子が生き残っていて発芽してくるものも結構多い。私の調査では30年経っても発芽した種類は結構多かった。
 彼らの種子の多くは「硬実種子」と呼ばれるもので、種子の発芽口の閉鎖、樹皮の柵状細胞層の硬化、蝋状物質の分泌などによって吸水できない状態になっているものである。長年風雨にさらされて、吸水できるようになったものからじょじょに発芽し、環境に恵まれたものだけが成長するが、さもないものは光不足で枯死するが、もっとも頑固にできたやつは何十年も吸水できずに生き残っているのである。そして、伐採や山火事は、チャンス到来である。強烈な風雨や光にさらされて発芽し、先駆植物たちは、たちまちわが世の春を唄うのである。
 


里山の利用
 先駆植物にも順番があって、まず草本から、そして潅木が混じりやがて陽生の喬木が場所を占拠するようになる。関西地方ではアカマツ、コナラ林が優勢で、これは「里山」として利用されたが故に多くの山はいまでもこの形の二次林が優占している。この形は100年くらいは続くのであろうか。また、コナラは萌芽性(切った株元から芽を出す性質)があるので、伐採されても全滅することはない。
 この里山は、江戸時代から昭和の中頃まで、肥料源、エネルギー源、家具建築源として利用されつづけた。落ち葉だけでヘクタールあたり年間7トンの乾物重がある、といわれているから、毎年これだけ生産され、消費されてきたのである。永久に絶えることのない資源の活用であった。無農薬の有機栽培で、燃料自給の農業生活はすべて、リサイクルし、自然と人間との共存の形の最終版であった。
 二次林は、このように利用されるので、原生林には復元しなかったが、近年里山は放置されているから、じょじょに常緑樹が入り込みはじめているが、まだ目立つほどではない。戦時中に魚着林として保護された串本大島や、風致地区として保護された保津峡などが、やや目に付く程度である。
(緑の地球第50号(1996年10月)掲載分)


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