世界の森林と日本の森林(その8)by 立花吉茂
里山の重要性
里山とは、人びとが生活の場の補給地としていた、村落に近い二次林のことである。おもにエネルギー源としての薪炭、有機肥料としての落ち葉がその採取目的物であった。いまその里山は荒廃しつつある。エネルギーは化石燃料と電気が、肥料は無機化学肥料がそれにとって代わり、人びとが里山を放棄したからである。
江戸時代から昭和の初期のころまで、里山はフルに活用されたが、とくに江戸時代は化学肥料も農薬もまったくない有機農業であった。もしも里山がなかったら、日本には3000万人はおろか1000万人も住めなかっただろう。里山の生産力は、乾物にして毎年ヘクタールあたり7トンほどあるといわれ、それが狭い農地に投入されて地力が維持されてきたのである。もちろん、われわれの排泄物の肥料価値も高かったから、これも100%利用された。また干ばつから逃れるためのため池にたまったヘドロは奥山、里山から流れでて、半分ほど分解した有機肥料として用いられた。こうして300年ものあいだ、3000万の人口が養われてきたのである。
いまこの里山が危機に瀕しているのは、自然林と違って人手で維持された森林だったから、放任されると遷移が進んで入り込めないような森林となり、やがては原生林へと戻っていくことが予想されるからである。もう二度と利用しないのなら自然林に戻ってもかまわないかもしれないが、1億人をこえた人口では、利用しやすい里山は残さねばならないように思われる。
荒廃した京都の北山
中学生のころよく通った京都北部の山やまを訪ねて驚いたのは、もう里山がなくなってしまい、多数の植物が絶滅していたことである。多くの落葉高木類、その下に生える潅木類、そして多数の美しい花をつける下草類がもうほとんど見られなくなっていた。里山が放棄されたのなら、絶滅はしなかっただろうが、スギの植林で絶滅に追いやられたのである。そのスギの植林地は太さからみて15~25年生で、鬱閉して林床は真っ暗となり、少数のシダが生えているだけになってしまっていた。数十種の種類が巧妙に組み合わされてできていた林が、一種のスギ(またはヒノキ)に占領されて、生態系が壊れてしまう羽目になったのである。
林業で生活しなければ収入がなくて生きていけないのなら、ある程度やむを得ないかもしれないが、密植して間引きもしていない場所が結構多いのを見ると、林業は成り立っていない場所が多いに違いない。人件費がこんなに高くては、間引きの手間賃もでないだろう。引き合わないから間引きもおこなわないのであろう。間引きをおこなえば数十年後には何十万円もする材木が得られるが、このまま放置すると材木としての価値もなく、風水害も引き起こされるおそれがある。そして自然は完全に破壊され、回復不能に近い状態になるだろう。生活の資材採取場所としての里山を、材木生産地としての山林へ変身させようとして植林されたが、経済発展によってこれを放置し、現在のようになってしまったのである。いま、里山は環境をよくするための環境財として価値がある、といわれるようになった。京都のような古都の近郊でさえこんな状態である。日本全土の里山よ、どこへ行くのか、と心配でならない。
(緑の地球54号(1997年3月)掲載)