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黄土高原史話 by 谷口義介

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書き手:谷口義介(GEN会員) 研究分野は東アジア古代史・日中比較文化。寄る年波、海外のフィールドはきつくなり、いまは滋賀の田舎町で里山保全の活動。会報に「史話」100回のあと、…
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2023年7月の記事一覧

黄土高原史話<18>二頭立てから四頭立て、そして歩戦も by 谷口義介

 馬に牽(ひ)かせた古代戦車の基本型が完成するのは、B.C.1500年ごろ、イラク・シリア・トルコのあたり、当時の馬先進国ミタンニがその担い手だった、とか。  中国へは、その基本型が殷(商)代後期、B.C.1300年ごろ伝来。  西アジアから中央アジアの草原を通って、はるばる殷の都安陽へ。  甲骨文には戦車を表わす象形の文字あり、王様が車から落っこちたという記録も。  殷墟その他の遺跡からは、車1輌・馬2頭セットで埋葬された車馬坑もいくつか発見(図参照)。  つまり二頭立て

黄土高原史話<17>いま、樵夫(きこり)の歌は聞こえない by 谷口義介

 白川静博士に、ある折こうお聞きしたことが。  「先生の最も愛好される『詩経』中の一篇はどれでしょうか。」  ちなみに、私の方は豳風(ひんぷう)七月の詩(本シリーズ<15>参照)。  「調べの美しさに限っていえば、魏風の伐檀あたりではないか。」  弱年より歌作のたしなみあり、後年まで謡(うたい)を趣味とされたので、詩歌のリズムを重視されるのでしょう。  「坎々(かんかん)として檀(えのき)を伐ち、これを河の干(ほとり)  に(お)く。   河水清くして、かつ漣(なみ)だつ。(