マガジンのカバー画像

黄土高原史話 by 谷口義介

52
書き手:谷口義介(GEN会員) 研究分野は東アジア古代史・日中比較文化。寄る年波、海外のフィールドはきつくなり、いまは滋賀の田舎町で里山保全の活動。会報に「史話」100回のあと、…
運営しているクリエイター

2023年2月の記事一覧

黄土高原史話<5>農耕へ、遅れてスタート by谷口義介

 前回の拙文に対し、博雅の士よりご教示多々。 「“二鍋頭”は60度以上。1瓶7元 (100円弱)は貴い、自分は5元で買った」(或る北京通)。  「杜牧の“杏花村”は山西省ではなく、安徽省の方の杏花村。彼は2年間そのあたりの地方官だった」(中国文学者)。  「吉家庄遺跡は桑乾(干)河の右岸 だが、懐仁県でなく、大同県に属するはず」(高見邦雄GEN事務局長)。 10年間、黄土高原で地の襞(ひだ)を這うように歩き廻ってきた高見氏、 土の中にも眼がゆくらしく、あるとき地図で見て、訪ね

黄土高原史話<4>ところで、「大同湖」はその後…… by谷口義介

 北京西駅で「二鍋頭」を1瓶、7元(100円ほど)で買い、大同行きの夜行に乗り込むと、同じコンパートメントの同行者たちは、すぐ旧知の間柄。56度の北京焼酎は、効果てきめんです。 翌朝、酔眼をこすりながら駅頭に降り立ちますが、昼の植樹作業は各自それぞれ人並みに。夜は汾酒。杜牧の詩で有名な「杏花村」の銘酒ですから、飲まないわけにはゆきません。  そんなオジサンたちの1人から、この夏、暑中見舞いあり。  「中国のことわざに“桑田変じて海 と成る”とあるが、10万年前、大同盆地が海だ

黄土高原史話<3>アンダーソン『黄土地帯』から始まった by谷口義介

 中国の考古学には、今でもアンダーソンの『黄土地帯』から入るのが常道。  原名は〝大地の子〟ならぬ『黄土の子ら』。  1932年にスウェーデン語で出版されて、34年に英訳。わが国ではこの英訳本にもとづいて、松崎寿和氏が42年に上記の名で翻訳・出版。当初より名著の誉れ高く、その後も影響力が強かったことは、松崎氏自身の『新黄土地帯』(60年)、賀川光夫氏の『黄土地帯紀行』 (84年)という書名や内容からも分かります。  「黄土という怪奇な台地に中国大陸最古の人類文化が眠っている」

黄土高原史話<2>今から10万年前、「大同湖」の岸辺では by谷口義介

 なにせ日本の1.5倍、黄土高原は広い、デカイ。春行くと、まさしく〝黄色い大地〟。しかしここには、かつて森林が茂り草が生え、緑豊かな沃野でした。  「緑から黄色へ、そして今や赤信号」ではシャレにもなりませんが、実は〝青の時代〟もあったのです。  数十万年前、山西省の南と北には、巨大な湖が2つ存在していました。  ひとつは、山西中部から陝西省東部にかけて。今の汾河から黄河をへて渭河におよぶ一帯は「古汾渭水域」と呼ばれ、バイカル湖ほどの広さの三日月湖でした。  そして湖岸には、旧

黄土高原史話<1>環境林センターは漢代の遺跡 by谷口義介(GEN会員)

====================== GEN会報『緑の地球』にて連載の『黄土高原史話』は谷口義介先生ご執筆で2001年5月号より連載が始まり、100話まで続いています。「オンラインでも読みたい」という声を受け、第1話からnoteで公開します。 ======================  地球環境林センターは、大同市の中心から少し離れた南西郊外にあり、面積20ha。さまざまな施設をそなえ、GENの黄土高原緑化協力の基地的役割を果たしています。ワーキングツアーでも必ず