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黄土高原史話<1>環境林センターは漢代の遺跡 by谷口義介(GEN会員)

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GEN会報『緑の地球』にて連載の『黄土高原史話』は谷口義介先生ご執筆で2001年5月号より連載が始まり、100話まで続いています。「オンラインでも読みたい」という声を受け、第1話からnoteで公開します。
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 地球環境林センターは、大同市の中心から少し離れた南西郊外にあり、面積20ha。さまざまな施設をそなえ、GENの黄土高原緑化協力の基地的役割を果たしています。ワーキングツアーでも必ず訪れる場所で、そこでの作業はいわば必修科目。
 しかし内職に精出す生徒はどこにもいるもので、99年夏のツアーで来た○○大学の△△教授は、もっぱらコオロギを追いかけるのに熱中。同氏の専門は、そもそも植物学にあらず、動物(昆虫)だったのです。
 2000年の夏、再訪した私に、GEN顧問の遠田宏先生が声をかけました。
「あちらの畑に土器らしいものがたくさんころがっているが、ちょっと見に行きませんか」。
 センターの南西にある広葉樹育苗区に行ってみると、おびただしい土器片が散布しています。さいわいこの日の作業は、ちょうどこの畑の草取り。同行のみなさんにも、こっそり頼んで拾ってもらいました。
 集めた土器片は、色調・文様、胎土・焼成からして、明らかに漢代の無釉の灰陶で、器種は深鉢(写真)・壺・甕・高坏・蒸し器と瓦類など。畑の下には、どうやら漢代の遺跡が眠っているようです。


 同夜、歓送会の席上、大同市青年連合会の祁学峰主席に、「センターは漢代の貴重な遺跡ですよ」と話しますと、傍で聞いていたGEN の高見邦雄事務局長、あわてて「大したことない、大したことない」とさえぎります。畑を掘り返して調査でもされたら大変、と思ったのでしょうか。
 帰国して文献を見たら、大同市の東北数キロには秦・漢時代、平城県がおかれ、そこは前漢では雁門郡の東部都尉の駐在地でした(『漢書』地理志)。北方の遊牧民族・匈奴に対する前線基地のひとつです。
 いまの大同市の都心をはさんで、この平城県のちょうど反対側に位置しますが、センターには同じ時代の遺跡が埋もれているわけです。
 今年(01年)春のツアーで、同じ場所に松の苗を植える作業中、また内職をしてしまいました。
「やはり掘ってみたいな、この遺跡」。
(緑の地球79号(2001年5月発行)掲載分)


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