原因と結果の逆転現象・地震学など
地震学における、プレート反発説と水蒸気爆発説、
この記事は10年前に書いたものを再度アップしようとして書き直している。
これを書いたずっと以前に、地震の原因は、原発事故で起きたような水素爆発が原因と見る学説も有ることを知った。その後、あの福島の事故があり、この説をさらに強く信じるに至る。
地震爆発論とは|地震爆発論学会 公式ホームページ (bakuhatu.org)
35年前ごろにお会いした石田さんという工学博士から聞いただけの話ではある。それ以来、考えれば考えるほど、今、常識となっている学説の方が間違っていると思っている。
今、地震のメカニズムは、断層が動くことにより地震が起きるということに常識として定着している。プレートの沈み込みなど、断層が動くことで、隣接する断層との間にひずみがたまり、そのひずみが解放され地震が起きるということのようだ。
活断層なるものがあり、それが動くという原因があって地震が起きると言いたいのだろうが、そうではなくて、地震が起きたから亀裂が生まれているだけで、原因と結果を逆に見ているように思える。
地殻というプレートが動いてはいるのだろう。ただ、その動きでひずみが蓄積されたとしても、その岩盤、地殻は、ただ割れたり崩れるするだけではないのか。
何度、どのように考えても、このプレートテクニクス理論か何だか知らないが、これには問題がある。
私の知る限り、粘土はもちろんの事、岩でも土でも岩盤にしろ、あのような反発力を貯め、弾性体としての片鱗を見た事が無い。
今まで生きてきて、地殻が跳ねて人が怪我をしたという事を聞いたことも無い。それなのに、地殻に厚みが有れば多くの人を殺すだけのエネルギーを貯める事が出来るという。まるで、昔の天動説のようではないのか。
もちろん、私は、理科は好きだったけれど、専門家ではない。
マグマなどが地表近くに出て来ているような場所があれば、何らかの事情で水が大量に接触し、その高温で水が水素と酸素の気体となり、マグマだまりを押し下げガスの空間が出来る。そして、何かのきっかけで爆発する。
これが、地震のメカニズムではないだろうか。
火山の噴火なども同じ原理であり、何らかの原因でマグマと大量の水が近づき同じように水素爆発を起こすと思われる。
群発地震とか余震とか繰り返し起きることを考えても、ひずみを貯めていた地殻が動いて、力を解放したというのなら、あれほど繰り返したりは出来ないだろう。水素爆発、水蒸気爆発なら、水と熱源が有りさえすれば、そして、地下という環境なら、あの福島のメルトダウンした原子炉内での水蒸気爆発のようなことが繰り返されてもおかしくはないだろう。
地震を原因として起きる津波で考えてもそうだ。
津波は震源が浅いところで起きた場合に起きる。
断層同士、地殻同士のひずみの解放で津波が起きているのであれば、おそらく、押し波から陸に向かってくるだろう。しかし、ほとんどが引き波から来る。
マグマなどの熱源と水との反応で酸素と水素に分解された気体が地下で膨らんでいく。それが、また化学反応を起こし爆発してたら地震という振動が起こり、水に戻る。そうすると、そこは空洞のようになるだろう。その後、マグマが押し上げて圧力は戻るだろう。
爆発が、地下深くで起きた場合、地殻の厚さがその空洞を支え、すぐにマグマが押し上げ支えるだろうけれど、震源が浅く、地殻の薄いところで起きた場合、海水の重みで地殻もろとも空洞は陥没する可能性がある。
当然、海面は引き込まれ大海原は大きく揺さぶられる。陥没した海面は、周囲の海水を引き寄せることになる。
そうすると、津波が引き潮から起こる事の説明もつく。
プレートが跳ね上がる力で起きるとするなら、満ち潮から来るはずだ。
あの専門家の石田氏が、説明してもその学説がいまだメジャーにはなっていないようだ。私の見方が間違っているのかもしれないが、ハッキリ言って、なぜ、こんな単純な理屈が分からないのだろうかと思ってしまう。
放射能防御学にしろ
経済学にしろ
宗教学にしろ
歴史認識にしろ
専門家という人達が愚かな説にしがみついている現実を見る事が多い。
極めつけは、進化論である。ダーウィンの進化論は、ただ偶然に進化したという理論でしかない。突然変異と適者生存と自然淘汰の結果、進化したという理屈だが、これなどは、結果の中で堂々巡りをしているだけで「なぜ」そのようなことになるのかという「原因」を見ようとせずに「結果」だけで納得してしまっている。
ここで今私が言っている原因も想像にしかすぎず、その原因の前に原因が有るかもしれない。なぜそのような爆発を起こすような背景が出来たのか、
さらに目に見えない理由が有るはずだ。
地球意識というモノもあり、神々も創造主の思いも当然ながら関わっている可能性は強い。偶然に起きることなど皆無だからだ。
その理由を本当の意味で知ることは不可能だろう。
信じるしかないない世界に入る。
このように信じることなく、見えている結果で右往左往してしまう。原因の元を知り、その対策が出来なければ、それは繰り返し起こることを意味する。天災は、天罰かもしれないということだ。
何故、専門家という人たちが、私から見て愚かと思える結論を出しているのかと考えると、見えているモノばかりで理論を作り、見えにくいモノを見ようとしないために立体的にも見えず、距離感を違え、判断を間違える。左脳と右脳、複眼で見て考えることなく、自分の商売が成り立つようにしがみついている為ではないのだろうか。
その結果、間違った説を前提とする愚かさは何を産み出すだろう。
そのようなことは、あらゆるところに有る。経済などもそのせいで狂ってきている。
どんな事であれ、白紙の上に、自説と他説、正と反、両方を並べ、偏ることなく額の中央で見るべきなのだ。
フラクタル陰陽学とは、左脳と右脳のクロスする十字架、その接点で見るという事でもある。
また、その十字架がつくる4象限で分析的に見る事を提唱する。
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