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向井豊昭の未収録短篇「チカパシ祭り」全文公開

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 2019年1月24日、幻戯書房では、2018年に没後十年を迎えた作家・向井豊昭(1933-2008)の入手困難な作品から代表的な長・中・短篇6作を精選した『骨踊り 向井豊昭小説選』を刊行しました。近現代日本の差別に対する激烈な批判精神と、多彩でアナーキーな作風を併せ持つ作家の「名刺のような一冊」を目指した本書は刊行後、各界から大きな反響をいただきました(書評の一覧は、編者の一人・岡和田晃さんのブログを御覧ください)。先ごろは書評サイト「シミルボン」で、本書の刊行を記念した鼎談(岡和田晃・東條慎生・山城むつみの三氏@2019年3月8日双子のライオン堂書店)の模様も公開されました。向井作品に関する読みは、今まさに、広がりつつあると言って良いでしょう。
 今年2020年は、「ウポポイ(民族共生象徴空間)」(北海道白老郡白老町)のオープンなどでもアイヌとその歴史、文化が注目を集めています。今回、ご提供をいただいて新たに紹介するのは、向井豊昭の個人誌「手」7号(1967年、30部発行)掲載の既刊未収録短篇「チカパシ祭り」(伴仄生名義、約100枚)。アイヌの伝説的な「酋長」を称える儀式の開催を機に展開する現代のドラマは、民族共生とは、教育とは、文学とは――?との問いを投げかけ、今尚新鮮。以前ご紹介した「竜天閣」とも好対照をなす傑作です(特に結末部にもご注目を)。複雑多岐な現実にがっぷりと取り組み続けた向井豊昭の広大な作品世界を、改めてご覧ください。

 六月の風に乗って歌声が窓を流れ、青葉をゆるがしていた。その歌はシューマンのものでもなく、シューベルトのものでもない。ソーラン節から斉太郎節、斉太郎節から大漁節へと、日本の民謡が次第に南下をしていくのであった。お座敷芸者の艶やかさもなく、酔っぱらいの手拍子もない。青竹のように、歌は窓外に弾き出ていった。S高校の音楽部員達なのだ。
 やがて歌声が止み、顧問の雨森の溌剌とした声がそれに代った。
「今日はこれから、沖縄の民謡、安里屋ユンタを練習してみよう。」
「イカス! 君は野中の茨の花よっていうやつですね。」と、剽軽者の殿田が囃子を入れた。
「エッチね。すぐそんなことを言うんだから。」
 女生徒が口々に言いながらクスクスと笑うと、男生徒の笑い声が大きくそれに重なった。
「馬鹿! おまえ、どこでそれを覚えた。」と、雨森も笑って言った。
 答えはなかった。首をすくめた殿田へ向かって、雨森は真面目な表情で言葉を続けた。
「おまえのは替歌なんだ。本物はこうだ。」
 そこまで言うと、雨森は軽く息を吸って歌いはじめた。

――安里屋ぬ くやまにょう
    サーユイユイ
  あんちゅ美らさ ま生りばしょ
    マタハーリヌ
    チンダラカヌシャマヨ

 冴えた声で一番だけを歌うと、雨森はみんなに言った。
「わかるか、意味が。」
「さっぱり!」と、みんなは一斉に言った。
「これはな、安里屋という家に、くやまという美しい娘が生まれたということを言ってるんだ。」
「そう言われれば、何だかわかるような気がするな。」と、いくつかの声が反響した。
「そうだ。沖縄の言葉は言語学的にみて、日本語の方言の一分岐なのだ。万葉言葉が残ってもいる。例えば、地震を沖縄ではナイと言うが、これは万葉言葉によっても同じことを意味するそうだ。」
「フーン、沖縄はずっと昔から日本なんですね。」
「そうさ。そしてな、この安里屋ユンタは、日本の民謡では稀有な一つの叙事詞なんだ。恋愛ドラマなんだぜ。」
「やっぱり!」と、殿田がまた喝采をして笑いを誘った。
 雨森は笑いの中を縫いながら、ガリ刷りの楽譜を渡して歩いた。
「長い歌詞!」と、渡された楽譜を見てみんなは言った。
「長いだろう。抒情的な短い歌ばかりが発達した日本の民謡の中で、安里屋ユンタは、とにもかくにも古代の恋愛叙事詞につながっている。女性が男性に従属し、儒教モラルによって恋愛が太陽の健康さを失うことによって、日本の恋愛叙事詞は飛散し、ささやかな抒情詞となってしまった。しかし、南の国の一角で、民族の生命力は、安里屋ユンタの中に継承されてきたのだ。――みんなも知っているように、今、沖縄はアメリカの軍政下におかれ、ベトナム侵略の基地ともなっている。しかし、沖縄の人々は日本民族なのだ。ぼくたちはアメリカ帝国主義による日本植民地化の鎖を断ち切らなければならない。」
”また、先生の十八番がはじまってきたな。”と、部長の大沼は顔をしかめた。
 この春、大学を卒えた音楽教師の雨森は、民族文化の発展的継承を合言葉に、音楽部の性格を一変させ、生硬な政治用語を振り廻して部員の心を煽るのである。
 生徒会活動のすべてが学校当局の管理下におかれ、自主的な芽の育っていないこのS高校では、雨森の行過ぎに正面切って反撥する部員もなかった。それどころか、彼の威勢のいい口調にすっかり陶酔し、意気洋々と歌うのである。そして、若さのはちきれた彼らの歌声は、このS高校の中で、とにもかくにもみずみずしいものとなってしまった。
 大沼にしろ、決して日本民謡を軽蔑するわけではない。唇から歌が出るとき、受験勉強で抑圧された彼の若さは発散し、歌は彼にとっての清涼剤であった。そして、彼にとって、歌と名づけられるものは、みなすべてそうなのである。雨森の日本民謡一点ばり、その政治演説は、せっかくの清涼剤を濁らすものであった。
 そんな大沼の心も知らぬ気に、雨森の締めくくりの言葉が、音楽室に反響していた。
「ぼくらは、民族の自主独立を願い、民族の叙事詞の発展的継承のために、安里屋ユンタを歌うのだ。」
 その時、一隅から声がはね返った。勿論、大沼などではない。声の主は、つい二、三日前に陸上競技部から移ってきた秋沢富美子であった。
「先生、沖縄の人は日本民族だって言うけど、アイヌはどうなんですか。」
「…………」
 雨森は言葉が詰まった。アイヌも住むこの町の高校に来て、彼はまだ三ヵ月しかたっていない。いくら道産子の雨森ではあっても、彼は札幌の人間であった。アイヌの住む土地が今はもう限られている以上、彼にとってアイヌは絵葉書上の異邦人であった。
「日本民族だろう? だってさ、観光地は表側だけで、アイヌはちゃんと日本語を使っているし、風俗習慣だってぼくらと同じじゃないか。とにかく、今は日本民族じゃないかな。」
 雨森を助けるように、生徒の一人が口を出した。
 雨森は、大きくうなずいて言った。
「なるほど、日本語を使っているな。スターリンの規定によると、言語を共有していることは民族の条件だ。とすると、今、アイヌは日本民族であり、我々と共に、アメリカ帝国主義の隷属下におかれ、日本独占資本の餌食になっているわけだ。」
「その答え、すっきりしないわ。」と、富美子はやり返した。
「どうして? スターリン主義が批判されたからって、スターリンの言葉を持ち出して悪いわけはないだろう。」
「だって、アイヌ語が滅びていったように、沖縄の日本語が滅び、英語がのさばっていく可能性だってあるじゃないの。民族の自主独立というのは、そういう可能性を断ち切るためのものなんでしょう? その先生が、今、アイヌは日本民族だなんて、平気な顔で言えるのはおかしいわ。それは、アイヌ民族が言語を失っていった歴史、北海道の植民地主義的同化政策を肯定することじゃないの。矛盾してるわよ。」
 雨森は、完全に言葉が詰まった。二十名ほどの部員達は、狐につままれたような顔で富美子に視線をやっていた。彼らにとって、富美子の投げかけた問いは、考えたこともないものであったからだ。
 妙に気まずい空気が流れ、安里屋ユンタを歌うきっかけははずされたような形となった。だが、その空気を破るように、富美子は快活に言った。
「先生、歌いましょう。くよくよしなくてもいいのよ。わたしだって、本気で考えるわけじゃないんだから。」

 歌の指導ははじまったが、雨森の気合はのらなかった。彼の気分が反映して、みんなの声にも感情が羽搏こうとしない。
「今日はこれで終わるぜ。」と、五分もたたないころ、雨森は宣言をしてしまった。
 みんなは席を立った。仲のよい友達同志、三つ、四つのかたまりとなって、雑談をしながら廊下へ出て行く。その中で、たった一人のまま音楽室を出ようとするのは富美子であった。雨森は、彼女の背中に声をかけた。
「秋沢、一寸待て。」
 新米部員の彼女の姓がすらすらと出てきたのは、彼女が陸上競技部のホープとして、全校に名を轟かせていたからだった。
 富美子はひょいと振り向くと、太股に彼へ近づき、かたわらの椅子を引き出して座った。
「アイヌのことでしょう?」
「ああ。」と言いながら、机をはさんで雨森も座った。
「先生、チクリと痛かったんじゃない? ごめんなさいね。」
「言いたいことを言うなあ。だけど、そのものズバリだ。君に教えられたよ。民族文化の継承を中軸に活動をはじめている音楽部としても、この際、アイヌ民謡と取組む必要があるんじゃないかと思い知らされたね。」
「止めた方がいいわ。」と。彼女はブッキラ棒に言った。
「なぜ。」
「迷惑よ。」
「誰がさ。」
「…………」
 富美子は、ふと押し黙った。
「どうしてさ。」と、雨森は言葉を重ねた。
 彼女の目が鋭く輝き、彼女の口は開いた。
「アイヌは、アイヌだって言われたくないのよ。アイヌ民謡をここで歌ったって、一体誰が喜ぶの? 外側でいい気分になって歌っていたって、アイヌ自身の唇から歌われていかない限り、意味がないじゃないの。先生は、まだ知らないことが多すぎるわ。」
 粘っこく、蜘蛛の糸のようにからんでくる語気であった。富美子の調子に少しは慣れてきた雨森ではあったが、唖然として彼女の顔を見つめざるを得なかった。
 彼女は言葉を続けた。
「チカパシ祭りのこと、知ってる?」
「チカパシ祭り?」
「知らないのね。それも知らない先生なんですもの!」
 雨森は、さすがにもう我慢ができず、むっとして言った。
「知らなくて悪かったね!」
「そんな言い方よしてよ。わたし、真面目なのよ。ひねくれた言い方しないで。」
 あわてて怒りを押さえながら、雨森は言った。
「おいおい、そりゃあ、民族文化を口にするぼくが、この地域のことを知らなかったのは悪いさ。でも、ぼくは四月にここへ来たばかりなんだぜ。それを頭から悪漢扱いするなんてひどすぎるよ。もっと冷静に話してくれないか。君みたいな口調で言われたら、誰だって腹が立つに決まってるじゃないか。」
 彼女は、突然顔をおおった。そして机を縫って走りだすと、あっという間に、勢いよくドアを開けた。
”噂にたがわず変人だな。”と、雨森は心を静めるように、ゆっくりとうなずいた。

 昼下りの太陽が、うっすらと校長室に射し込んでいた。机の上に転がった石くれに、校長は朝から御満悦であった。取っては眺め、置いては眺め、彼の目はすっかり細められている。昨日の日曜、一日がかりで採集してきたものの一つなのだ。
 翡翠が出るとの噂で道楽仲間と出かけた彼だったが、翡翠は遂になく、何の変哲もない粘板岩を拾ってきたのである。それでも、S川銘石という箔を、つけてつけられぬことはなかった。

 ノックがして、校長は返事をしながら石をもてあそび続けた。
 ドアを開けたのは、先刻呼びつけておいた雨森だった。世辞はなく、興味も示さぬ彼が相手では話にならない。校長はあきらめて、掌の石を机に置いた。
 軽蔑するように、雨森は入口から目をやった。校長室に入るたび、彼は親父を思いだす。応接用の丸テーブル、書棚の一隅、およそ何かを置けるところには、きまって石が鎮座している校長室――親父の書斎、親父の居座る社長室もこうなのである。
”老人の趣味は、どうしてこんなに一致するものだろう。これが日本の精神美とは片腹痛い。慈悲に満ちた大和如来さえ、剣を持った不動明王に化身するではないか。静謐こそ最大の美徳などという考え方は、一面的も甚だしいのだ。”
「お呼びですか。」と言いながら雨森は近寄った。
「授業は終わったかね。」
「はあ。」
「そうかい。まあ、座りたまえ。」と、校長はソファーを指さした。
 雨森が座ると、校長はおもむろに煙草の火をつけ、自分の机から離れた。そして、雨森と並んで座った。
「早速だがね、一昨日の放課後、部の練習が終った後で、君は秋沢と二人きりで話をしていたそうだね。」
「はあ。」
「何の話をしていたんだね。」
「どうして、そんな質問を受けなけりゃならないんですか。」
「泣きながら秋沢が飛び出してきたのを、見た者がいるんでね。」
「馬鹿々々しい。」
「嘘だと言うのか。」
「嘘じゃありません。でも、大した出来事じゃないんです。」
「しかし、校長として、いや、氏原個人としても、わたしには、君をおとうさんから預かった責任がある。つまらんことで噂にならぬよう、これから気をつけてくれたまえ。」
「父のことは気にしないで下さい。引きあいに出されると、何だか肩が重たくなって困りますから。」と、雨森は苦笑しながら言った。
「何を言うんだね。君が今日あるのは、みんなおとうさんのお力じゃないか。学生運動のお先棒をかついできた君のような人間は、本来なら奉職などできんところなのだ。しかし、君のおとうさんとわたしは、学生時代からの無二の親友だ。たっての願いに、わたしは君を引き受ける尽力をしたのだ。みんなおとうさんあってのことじゃないか。」
”浪花節だ。これもまた、親父そっくりだ。”と、雨森は苦笑を続けた。
「大体、君は音楽教師としても偏向的じゃないかね。まるで一昔前の国粋主義者のようだ。伝統音楽も大事かしらんが、西洋文化を無視するということは、明治百年の先人の努力を嘲笑するに等しいじゃないか。耳にすると、君が民謡につけ加える注釈はひどすぎるようだね。今後、その注釈だけは止めてもらえんかね。」
 校長は、さり気なく本論に入った。
「それは不当干渉です。大体、明治百年を引きあいに出す校長の姿勢に問題があります。その百年は、一握りの階級と、無数の貧乏人との格差を広げていった過程じゃないですか。文明への憧憬のあまり、ぼくらが見失ったものを取り戻さなけりゃ駄目なんです。それは、百年の断層を埋める手だての一つなんです。」
 そう言う雨森の生硬な顔を見て、校長は話しあいが無駄であることを覚っていた。彼は、それが本論であるかのように話を戻した。
「それはそれとしてだ……秋沢の一件、差し支えなかったら、話してくれんかな。」
 元々、疚しいことはない。変なことを勘繰る校長に腹が立ち、答えなかったまでである。ここで一つ、チカパシ祭りを聞き出してやろうと、雨森は口を開いた。
「チカパシ祭りですよ。」
「チカパシ祭り?」
「チカパシ祭りをぼくが知らないからといって、怒って泣いちゃったんですよ。」
「冗談はよしたまえ。そんなくだらんことで……」
「本当なんです。ぼくも、どうしてああなってしまったのかわからないんですよ。噂のように、彼女は変ってますね。」
 雨森の真面目な表情に、校長は「うーん。」と腕を組んだ。陸上競技部にいたころから、いや、それをいきなり退部してしまったというところからして、富美子は確かに変人なのであった。
 走ることは滅法速いのだが、どうも部員とそりが合わなかった。級友にも、些細なことから口論を吹きかけ、男であろうと負けてはいなかった。トレーニングはいつも仲間とはずれてやり、それがまた大層なハードトレーニングなのである。部の統制がとれぬと監督は頭を抱えたが、S高校の陸上競技部にとって、彼女は下すことのできぬ一枚看板であった。それが、突然、部を止めると言いだしたのだ。
 誰の言うことも聞かず、彼女はそれを実行した。そしてほどなく、飄然と音楽部に入ってきたのだ。

「どうも、あの娘の心理はわからんな。何でチカパシ祭りが……」
 校長はどうやら、雨森の冤罪を認めたようである。
「チカパシ祭りって、何なんです? ぼく、下宿のかみさんに聞いたけど、知らないって言うんです。」
「うん、なにしろ、今年の夏はじめてやるものだし、その場所がここから大分山に入ったところだからな。宣伝も遅れて、一般の人々にはわかっていないのだろう。しかし、どうしてこう、郷土の歴史に無関心なのかね。祭は知らなくても、チカパシぐらい、町の人は知っていそうなもんだが……」
 校長は、ピクピクと鼻を動かして言葉を続けた。
「チカパシというのは、今から三百年ぐらい前の、このあたりのアイヌの酋長なんだそうだ。そのチカパシの名を世に出したのは、この学校の笈田先生なんだよ。」
 校長は博学ぶりを披露しようと仔細を語りだした。

 酋長チカパシを中心に、このあたりのアイヌが松前藩の圧制に抗して立ち上がったということは、アイヌによって口伝えに語られてきたことであった。たった四、五十名のアイヌでかためたその叛乱は他愛なくおさまり、彼らはみな獄門首にされたという。しかし、それは歴史的には何一つ証拠がなかった。不始末に対する幕府の叱責をおそれて、松前藩が事件の全貌を闇に葬ろうとしたのかどうか――とにかく、一切の史書、古文書から、チカパシの叛乱を探ることはできなかったのである。
 彼の砦であったといわれるS川上流の小高い台地、ピラリ山の各所を、学者達は何度かボーリングをしてもみた。しかし、戦いの跡を示すようなものは何一つ現われず、大した値打もない土器の破片が出てくるだけであった。チカパシはアイヌが作りあげた架空の英雄であるということは、学界の常識となっていたのだ。
 三年前の夏、激しい台風によってピラリ山に崖崩れがあった。そして台風の去った後、附近で遊んでいた子どもが、バラバラに飛散した人骨を発見した。噂を伝え聞いたS高校の笈田は、彼が顧問であるところの郷土史研究部員を引き連れ、崖崩れのあった現場近くを発掘した。その結果、腐食したアイヌ刀の刀身、槍の穂先、矢尻などと共に、ほぼ四十人分の人骨が続々と現われた。そして、頭蓋骨は、ただの一つもなかったのである。
 それはチカパシの伝説を決定的とは言えぬまでも、暗示させるには十分なものであった。地層から推定して、約三百年前のものと判り、学界は注目をした。
 間もなく、文化財保護委員会による調査がおこなわれ、これまでにないおおがかりな発掘が続けられた。その結果、やはり三百年前の住居跡を裏づける柱の穴、炉の跡が現われ、倉庫らしい竪穴状の穴の中からは、数々の異物が見つかった。
 自然石が転がる牧草地にしかすぎなかったピラリ山は、こうして史跡指定をうけた。そして、所有者であるこの町一の牧場主は、要らざる企みを抱いたのである。
 ブルドーザーがまず台地の上に現われ、発掘しきらぬ遺跡を破壊していった。見事に整地されたそこには旅館が建ち、チカパシ温泉と名づけられた。変哲もない地下水は、ボイラーを通って鉱泉の湯と化けたのである。
 萱ぶきのアイヌの家(チセ)が建ち、二十坪の私設博物館もできた。公のものとなった人骨、遺物は、標示の札だけが公の名義のまま、私物同然となって納まり返った。
 文化財といったところで、土地の所有権は牧場主のものであった。買い上げる予算もない教育委員会は、事務的な説得を試みただけだった。笈田の熱心な請願も空しく、ピラリ山は近代的に姿を変えたのである。
 牧場主は観光協会とタイアップし、S町発展の一翼だと、町議会をけしかけた。そして観光協会に、多額の援助を与えることを議決させたのである。
 チカパシの霊を弔う儀式と共に、アイヌ踊り、アイヌ民謡を披露して客を掻き集めようというチカパシ祭りは、こうしておこなわれることになったのだ。

 意外と本質をとらえた校長の説明に、雨森は感服した。そして、お世辞ではなく言ったのである。
「いゃあ、御立派な御説明でした。校長さんを見直しましたよ。」
 校長は照れ笑いを見せて言った。
「いや、なに、笈田先生の受け売りだよ。」

 職員室へ戻ると、雨森は笈田の席に目をやった。彼はそこで、書きものをしているようである。
 席が離れた笈田と、これまで話しあう機会もない雨森だった。担当教科や担当学年、出身大学などが同じでなければ、一度も口をかわさずに転任をしていくこともあり得るのだ。それが、組合運動も骨抜きの、三十数名の職員室の空気であった。

「おひまでしょうか。」
 声をかけると、笈田は顔を上げた。間近で見ると、四十才を目前にした彼の頭髪には、白いものがかなり目立っている。
「何でしょうか。」
「今、校長から偶然、チカパシ祭りのことを聞いてきたんですが……」
「はあ。」
「一つ、アイヌ文化について教えていただきたいと思いましてね。」
「アイヌ文化ですか。どうも、言葉で言ってしまえば空疎になってしまいますからねえ……どうです。夏休みに都合つけて、チカパシ祭りを見学したら……文化っていうものは、何といっても手でさわり、目で見なくては……いや、先生を前にしてこんなことを言うのは失礼ですね。音楽だって、机上の理論なんかじゃ、その本当の味はわからないでしょうからねえ。」
”どうもついていない。”と、雨森は心の中で舌打ちをした。一昨日は富美子に一本、今も見事な一本だ。
”しかし、笈田先生は、どうやらチカパシ祭りを貢定しているようだ。そこのところへ切り込まねば……”
 そう思ったとき、六時限目のベルが鳴った。「授業がありますから。」と、笈田は教科書を持って立ち上がった。

 その日、笈田と再び話しあう機会をつかめぬまま雨森は学校を出た。
 いつになく、夜になるのが彼には待ち遠しかった。一ヵ月ぶりの細胞会議があり、アイヌ問題をじっくり話しあいたいという気持で雨森の心は一杯だった。
 七時が近くなり、彼は大通りの商店街にある石木電気商会へ出かけた。会議は、その店の二階でおこなわれることになっていたからだ。
 店主の石木は、S町細胞のキャップである。元、電産の幹部であったのだが、レッドパージにひっかかり、故郷のS町で電気店を開いたのである。
 店の中には、三、四人の客がいた。客の一人を装い、雨森は二階へ上った。そこにも商品は並んでいる。
 雨森は真直ぐ奥へ行った。突き当りの壁の一角にドアがあり、それを開くと小さな部屋があるのだ。それは石木電気商会の社長室であり、たまさかの細胞会議に利用される部屋でもあった。

 集まったのは、前回同様、石木、雨森、それにS小学校の広部の三名だけである。細胞のメンバーは五名であったが、雨森は、石木と広部以外の顔は知らなかった。S町に雨森が来て、これがたった二度目の細胞会議なのだ。
 溜りにたまった月遅れの文書を手渡され、一人毎月、二百円のカンパを、来春の地方選挙に向けて払い込むようにという指示が石木からおりた。そして彼は、パイプをくゆらしながら、釣りの話を広部にしたのだ。
「ぼく、大事な問題を一つ持ってきたんだ。」と、雨森は強く言葉をはさんだ。
「何だい。」と、道楽話の腰を折られた石木は、雨森をジロリと見た。
「チカパシ祭りのことなんだ。」
「ほう、聞いたか。」
「うん、概略はね。でも、すごく重大な問題だと思うんだ。党では、このことをどう考えているんだろうか。」
「愚劣さ。観光資本の餌食になるなんて、断じて許せないよ。」と、石木は断定した。
「そうでしょう。だったら、これに対して党はどのように取り組んでいるのか、或いはどのように取り組めばいいのか――そこんところをはっきりさせる必要があるんじゃないだろうか。党の綱領には、民族の文化遺産を継承発展させていくことを謳いあげている。だったら、ぼくらはアイヌ文化というものを観光資本の手から奪回しなければならない。北国の閉ざされた環境の中で、彼等なりに造りあげた文化――その底に流れるヴァイタリティ――ぼくはよくわからんけど、とにかくそういうものがあるということは絶対間違いないんだ。祖先の文化に誇りを持ち、その心をつかみとること――その心を現実の生活に開花させること――そのために、党は戦わなければならないんじゃないだろうか。」
「そうだよ。君の言う通りだ。例えば、君の学校の笈田なんていう奴は、アイヌのことを相当研究しているようだが、少しもアイヌの解放に結びついていないんだ。いい研究をして、自分の名前を売りだしたいばっかりに、ブルジョアどもからまで金を掻き集めてやっている……あいつはな、元、党員だった。反党修正主義者に成り下がった奴なんだ。」
「笈田先生が?!」と、初めて知った事実に、雨森は驚いて言った。
「そうなんだ。奴がいくらアイヌ研究に血道をあげたって、アイヌ文化はアイヌのものになりっこないさ。君はまだよく知らんだろうが、アイヌの経済的地位はおそろしく低いんだ。彼等は、我々に予測できぬほどの劣等感を持ち、アイヌと言われることを嫌悪している。みんな、貧乏のせいなんだ。だから、おれ達は階級的な視点に立ち、彼等とつながらなければならない。プロレタリアとしての連帯的行動を展開し、共産主義社会を建設しなければならない。アイヌ文化に誇りを持って彼等が対することのできる日は、革命の彼岸にあるんだ。アイヌの解放なくして、アイヌ文化はあり得ないよ。」
「その通りです。しかし、革命の彼岸に至るまでのプロセスを、ぼくは考えてもらいたい。そのプロセスの中に、民族文化の魂を生かしていかない限り、革命の道は遠いんじゃないだろうか……時代がスマートになり、泥の匂は消えていく。しかし、革命はスマートな精神からは絶対に生まれないんだ。何といっても、泥の匂、土の粗さ、百姓一揆の苦澁の中から生まれていくんだ。ぼくが日本の民謡を意識的にとりあげていくのは、民族の土の心――つまり、革命の感情に立ち戻らせたいからなんだ。でも、ぼくは今まで、あまりに安易に民族という言葉を使っていたということに、つい一昨日気がつかせられたんですよ。」
 富美子の緊張した顔を思いうかべながら、雨森は言葉を続けた。
「日本民族と一口に言ってしまっても、その中に同化させられてしまったアイヌ民族がいるということを、ぼくは気にもとめなかった。だが、石木さん、アイヌの住むこの町で生まれたあなたは、そうではないとぼくは思いたい。あなたはどう考え、党はどのように取り組んできたのか――具体的に話して下さい。具体的にですよ。」
「きびしいな。」と、石木はデブッタ腹をポンと叩いた。
「真面目ですよ。」
「そりゃあわかるよ。だけどな、頭の中で考えるようにはいかんのだよ。この町の成り立ちから、順を追って言ってみようか……かって、ここにはアイヌだけが住み、彼等だけの部落が散在していた。やがて松前藩の支配がここにものび、運上屋によるアイヌとの交易がはじまった。本州から運び込まれてくる様々な生活用具は、彼等にとって不可欠なものとなっていった。彼等は生産手段を教えられず、消費文化の中に巻き込まれていったのだ。彼等の経済は完全に日本に依存し、支配されていた。三百年の昔から、民族としてのアイヌは滅亡しつつあったんだよ。問題は根深いものなんだ。」
「つまり、今、日本の経済がアメリカ帝国主義に依存し、支配されている関係と同じだったんですね。」
「そう言われればそうだな。ま、それはそれとしてだ……明治になり、北海道の開拓は本格的にはじまった。この町にも禄を失った武士が、遠く中国地方の小藩から家老をおしいただいてやってきた。百姓をするというのに野良着も持たずにやってきた彼等は、単衣に袴をはいて鍬をもったそうだよ……慣れない、そしてきびしい開拓作業のためには、集団の力、集団のまとまりが必要であり、封建的身分関係はそのまま役立った。そのまま新天地に根をおろしてしまったんだ。彼等重臣の子孫は、今でも町の重要ポストを占め、この町の封建性を維持している。最も、その重臣の血を引きながら、おれのような突然変異も出てきたがな。」
「…………」
「おれの中には侍の血が流れている。おれはその血を呪い、その血と戦ってきた。しかし、レッドパージを喰らったおれが、こうして喰うに事欠かぬ生活ができるのも、その血のおかげなんだ。おれの祖父が、この町の開拓功労者の一人でなかったら、おれは周囲から締めつけられっ放しに違いないんだ。おれは観念したよ。おれの血を利用し、儲けるだけ儲けてやるよ。そしてその儲けを革命運動へ献金するんだってな。」
「チカパシ祭りは、結局、傍観しているんですね!」と、雨森はこらえきれなくなって叫んだ。さっきから居眠りをしていた広部は、驚いて目を開いた。石木は、ゆっくりと煙を吐き出しながら言った。
「アイヌの解放に結びつかなければと言っただろう。残念ながら、今はアイヌはおろか、和人(シャモ)とのつながりだって稀薄なんだ。こんな状況で反対運動をやったら、おれたちはトロツキストに成り下がってしまう。なあ、広部先生。」
 広部は、あくびを噛み殺してうなずいた。
「ぼくはやるよ。ぼくはまだ二十二才なんだ!」
 雨森はそう言いすてると、勢いよく席を立った。

 翌日のことだった。職員朝会が終ると、笈田が雨森の席にやってきた。机の上に軽く両手を突くと、彼は雨森の耳元で低く囁いた。
「先生、昨晩、ぼくの部の連中が家に来ましてね、秋沢に喧嘩を売られたって、プンプンなんですよ。それが、個人的なもんなら大したことないんですが……郷土史研究部にはアイヌがいるのか。いないだろう。和人(シャモ)がアイヌのことを調べて何になるんだ。音楽部ではチカパシ祭り反対運動をやるんだが、郷土史研究部には、そんな気なんかないだろう。民族文化の本流は、音楽部に流れているんだからねって……ひどい突っかかりようだったらしいです。」
「すみません。監督不行届きでした。」と雨森は頭を下げながら、富美子が自分とまったく同じ意見を持っていることに、心の中で興奮していた。
「いや、先生をなじる気はなかったんです。ただ、生徒の間に溝が出来るのを心配しましてね、先生の耳に入れておこうと思ったんです。うちの部の連中には、よく言い含めておきましたから。」
「すみません。」と再度頭を下げてから、雨森はきっと首を上げた。
「チカパシ祭り反対運動は、彼女の独断で、部としての正式な態度ではありません。でも、彼女の考えは、あながち間違っているわけじゃないでしょう。」
「さあ、どうですかねえ……」
「先生は、チカパシ祭りに賛成なんですか。」
「賛成じゃありません。でも、一旦決まってしまったからには、やった方がましでしょうねえ。」
「金儲けと結びついて、文化の正しい継承が考えられますか。」
「考えられませんね。でも、あの人達の文化を多勢の人達に認識してもらうような機会を、誰が代って作ってくれますか。例え、見世物にしろ、人の目にふれることによって、アイヌ文化を、そしてチカパシという英雄を、見直す者がでてくるかもしれません。」
「先生は修正主義者ですね。やっぱり。」
「さあ、何主義でしょうか。」
「とにかく、秋沢の軽率さは顧問としてお詫びします。しかし、それは彼女の考えが間違っているか否かということとは、別の問題だということをはっきりさせて下さい。」
 笈田は、ゆっくりと二、三度、首を上下に振って机を離れた。そして、自分の席へ戻ると、煙草に火をつけた。

”あんな若僧と火花を散らしあうこともできない。おれも年をとったな。”
 煙草の煙を静かに吐き出しながら、笈田はそう思った。彼にも、雨森と同じような時代があったのだ。直情的で、純粋な時代だった。五全協の方針に絶対の価値をおき、革命のためには命を捧げることも辞さないつもりだった。
 山村工作隊員として東北の山の中にもぐり込み、手にマメを出しながら鍬を振ったこともある。東京のド真中で、火焔瓶をほうり投げたこともあった。
 辺地での過重な生活、警官隊との軋轢――それらによって、彼の身近な友人も何人か死んでいった。そして、それらの死は、極左冒険主義として、六全協によって精算されたのである。
 革命の幻と共に、笈田の青春は失われていった。大学に復学をした彼は、二年後の春、卒業証書を手にすると共に、故郷である東京を離れ、隠者のように北海道へ流れてきた。もう、十年がたとうとする。
 親の定めた嫁をもらい、一人の子どもも生まれた。家庭はおだやかであり、彼はその中にぼんやりと自足をした。そんな彼を、再び日常性から引き剥がしていったのはアイヌ問題であった。
 笈田が受持っていた生徒の中に、非常に頭の切れるアイヌの女生徒がいた。生徒会の副会長もやり、友人の信頼も厚かった。
 卒業を迎え、就職を希望した彼女は、四名の友人と共に、地元の銀行へ推薦された。採用試験の結果、二名が採られ、三名が落ちた。彼女は、三名の中の一人だった。
 どう考えても、それは腑に落ちぬことだった。成績といい、品行といい、彼女は他の四名に比し抜群であったからだ。
 一旦、決まってしまったものをくつがえせぬとは思いつつも、職員室で泣きじゃくる彼女の姿にあおられ、笈田は銀行に出かけた。
 課長は手をこすりこすり、遠まわしな表現で言った。意訳すれば、「アイヌデハ、客ニ、不快ナ念ヲ与エルカラ。」という意味であった。
 卒業式も待たず、彼女は家を出て行った。噂では、札幌のあるキャバレーで、売れっ子なホステスとなっているそうである。
 笈田は、今も厳然として生き残るアイヌ差別の問題に突き当った。その根源を突きとめ、その息の根を止めなければならぬ衝動に彼は駆られた。
 吹き荒れた暴風雨によってS川の大氾濫があったのは、その年の秋であった。その最大の被害者は、勿論、川のほとりに住む人達である。〈川原の人〉――それは、アイヌに対する俗称なのであった。
 笈田は、彼等アイヌが川岸の狭苦しい土地にへばりついてきた事実に心をひかれ、それを調べた。

 S川は、かつてアイヌにとっての道であった。彼等は丸木舟をあやつり川を行き来した。その川には鮭がひしめきあって上り、それはアイヌにとって、重要な食糧となり、交易品となった。彼等は、必然的に川のほとりに居を構え、川は彼等にとっての飲料水ともなった。
 その川が濁り、鮭がS川を避けるような事態が勃発したのは、蝦夷地のゴールドラッシュの影響である。おびただしい和人が、砂金を求めてS川上流にも現われ、川の底を荒らし続けたのだ。権利をせしめた商人に、アイヌはただ同然で使役され、商人は莫大な利益の中から、松前藩に運上金を支払うのだった。
 砂金は採りつくされ、やがて時代は明治となった。れっきとした姓名を有する大日本帝国の平民として、アイヌは戸籍を得るようになった。それは、平等という大義名分によって、自由主義経済の波の中に投げ込まれることを意味していた。
 彼等を取り巻く原野は開拓され、和人のものとなっていった。その向こうに連なる山々は、官有林となっていった。そして、それら官有林は、間もなく、日本屈指の財閥の所有物となった。日露戦争に於ける軍需製品の借金を、国はそれで支払ったのである。
 薪一本切りとられぬ環境の中で、アイヌは川原の流れ木をせっせと拾った。その川の川口周辺には大がかりな定置網が設けられ、鮭は和人によって乱獲されていった。
 怒涛のような時の流れに指をくわえて見つめるアイヌに対し、国はあわてて勧農政策をとった。明治三十二年、〈北海道旧土人保護法〉という、まるで動物を扱うかのごとき法律を制定したのである。
 しかし、一戸当り一万五千坪の土地を無償下附することを中心としてその施策は、見事に失敗をした。あたりの肥沃な土地はすでに和人のものとなり、アイヌに与えられたものは、彼等の住みなれた川岸に近い、洪水と背中あわせの土地だったのだ。
 馬もなく、プラウもなく、しかも慣れない農耕生活は、アイヌにとって困難を極めるものだった。貧しさのために、土地は次々に手放されていった。それは、土地の良し悪しに関わらず、北海道のアイヌに共通する現象なのであった。そして、北海道庁長官の認可がなければ土地の売却を許さぬ保護法の存在は、アイヌを名目上の地主とし、和人を名目上の小作人としたまま昭和を迎えたのである。
 第二次世界大戦が終り、農地改革は、地主であるアイヌの手から、小作人である和人の手へと、本当に、実質的に権利を移し、アイヌを丸裸にした。北海道旧土人保護法は完全に死文化し、それは今も尚、民主主義国日本の法律として在り続けている。そしてアイヌは、相変らず〈川原の人〉として、その日稼ぎの土方となっているのだ。

 笈田はこれらの事実を克明に書きあげ、それをガリ版で印刷した。そして、多少なりとも進歩的な団体ならば、ためらうことなく送りつけた。かつて、彼がその青春を裏切られた前衛党も、その中にあった。
 大型封筒への表書きは幾通もなされたが、その表書きからの反響は遂に一通も来なかった。しかし、アイヌから目をそらすことは、もう彼にはできなくなっていた。
 気がついた時、彼は郷土史研究部をS高校に組織していた。彼の関心は、時代をぐんぐんさかのぼり、人類学、考古学のイロハをも学びはじめていった。雑多な遺跡には目もくれず、彼は墳墓を掘りあさった。土偶、土器等の副葬品、そして人骨を媒介として、彼はアイヌ民族の起源を辿ろうと試みたのだ。
 アイヌが、どこからどうやって来たのか――すべてはまだ謎であった。しかし、彼等は石から生まれたものでもなく、犬から生まれたものでもない。源を持つ人間であることを、彼は立証したかったのだ。
 教育委員会は一文の予算も割いてはくれなかったが、執拗な交渉により、年々、微々たる増額はされていった。しかし、行きたいところ、掘りたいところは山ほどあり、金はいくらあっても足りなかった。笈田は町の名士をたずね、寄附を求め歩いた。生きている内に、自分自身の手で、彼はアイヌの謎をときあかしたかったのである。

 チカパシの伝説を胸に秘めた一人の老人に出会ったのは、夏の或る日である。町から十キロほど奥へ入ったS川上流の小高い丘で、彼はその日、郷土史研究部のめんめんと発掘作業をおこなっていた。
 副葬品はかなり出たが、人骨は土と化し、エナメル質の歯の部分だけが、融け残ったあられのように散らばっていた。しかし、それはおよそ三千年前の墳墓であることが予想され、一同はすっかり興奮をしていた。今まで、そんな古い時代の墳墓を掘り当てたことはなかったからだ。
「旦那さん、その壷はアイヌのものかね。」
 ふと声がして、笈田がトレンチの底から見上げると、野良着を着た男が、おそるおそる覗き込んでいた。真っ白の髭が、あごに長く垂れている。
「さあね、それが知りたくてこんなことをやってるんだけど……」
 笈田は苦笑しながら答えると、手にした竹ベラで慎重に土を掻いていった。
「ここは昔、何だったんだべ。」と、老人は不思議そうに聞いた。
「墓だよ。」
「墓? 骨のない墓か?」
「ああ、骨はとけてしまった。」
「ふうん。」
 老人はそう言うと、感慨深げに半眼を閉じた。そして、その表情を崩さぬまま、ぽつりと呟いた。
「チカパシの骨も、とけてしまったんだべか。」
「チカパシ?」と、笈田は作業を止めて、彼を再び見上げた。しかし、老人はそれに答えようとせず、ゆっくりと笈田に背を向けて歩きはじめた。
「爺さんの家、どこ?!」と、笈田は思わず叫んだ。
「そこの橋のそばだ。」と、老人は歩みも止めず、背を見せたまま静かに答えた。

 その夜、天幕をはった学生の談笑から脱け出て、笈田は老人の家をたずねた。チカパシの伝説は耳にしていたが、その名を口にするアイヌに出会ったのははじめてのことである。老人の品位のある雰囲気は、笈田の心をひきつけていた。
 古びた木の橋のそばには五、六軒の人家が並んでいたが、髭の爺さんと問うただけで、彼の家はすぐにわかった。
「今晩わ。」と声をかけると、人の動く気配がして破れ障子が開いた。唇のまわりに入墨をした婆さんが、怪訝な顔つきで笈田を見上げている。その婆さんの肩越しに、昼間の老人が寝転がっている姿が見えた。田の草取りの出面に出かけた彼は、すっかり疲れてしまった。
「お爺さん、昼間の墓堀人足だけど、昔の話を聞かせて下さいよ。」と、笈田は伸び上がって言った。
 爺さんは重そうに身体を起こして、「ハア。」と気乗りのしない返事をしたが、それでも、「まあ、上がって休んで……」と言葉を続けてくれた。
 笈田が上がり込むと、婆さんは盆に出した茶椀に焼酎を注いでくれた。笈田は茶渋に染まった茶椀に口をやった。淡泊な、それでいて舌に響く焼酎の味は、彼の目の前の爺さんの味のようであった。
 笈田と向きあって、爺さんも焼酎を飲んだ。飲むほどに、酔うほどに、爺さんは饒舌になり、やがて問わず語りにチカパシのことをしゃべりだした。
「旦那さん、わしの言うことを信じてくれるか? チカパシのことを信じてくれるか? おれも隨分たくさんの先生にこの話を聞かせたんだが、誰もアイヌの言うことを本気にしてくれねえんだ。」
 笈田は、返事に窮していた。しかし、胸を張り、目をつぶった爺さんの唇からは、もうアイヌ語が洩れていた。その意味は笈田にはまったくわからなかったが、氷滴のようなリズムを感じながら、彼は耳を傾けた。
 爺さんの感情は次第に高ぶっていった。かっきりと目を見開いた彼の言葉のリズムは、いつの間にか激流と化し、笈田の心をゆさぶった。やがて、激流は次第に弱まり、まるで水蒸気が消えていくかのように言葉は止んだ。
 爺さんは日本語でそれを説明し直した。その説明を聞いたとき、笈田は自分の心で受け止めた物語の感情が間違いではなかったことに驚いていた。
「爺さん、本当だよ。チカパシは本当にいたんだよ。間違いないよ。」と、笈田は力を込めて言った。
 アイヌの血の中には、〈戦い〉の精神がたぎっているのだ。それが、この物語を、親から子へと伝えてきたのだ。それゆえにこそ、笈田にとって、チカパシは実在したと言いきれるのだった。

 それ以来、笈田はよく彼の家へ邪魔するようになった。老夫婦は二人暮しであること――三人の息子のうち、二人は戦争で死んだこと――笈田がそれらを知ったのは、老夫婦との交際の中でだった。そして、もう一人の息子のことになると、彼等はそれにふれられることを避けるようであった。

 昼になった。雨森は急いで弁当を食べると富美子が来るのを待った。校内放送で、彼女を呼びだしていたのである。
 職員室のドアが開くたびに、雨森はそちらを見た。富美子が現われたのは、雨森が五度目に首を曲げたときである。彼は、富美子の姿が目に入ると、すぐに席を立った。そして職員室に入りかかった彼女を伴って廊下へ出た。
 二人は図書館へ通ずる庭石を踏みながら、かたわらのベンチに腰かけた。
「チカパシ祭りのこと、大体わかったよ。」
「あら、そう。」と、富美子の顔はケロリとして、あの深刻な表情はない。
「だけど、難しそうだなあ。」
「何が?」
「いろんな壁がありそうだよ。アイヌ文化をアイヌの人達に戻すには――」
「どうやらわかってくれたようね。」
「うん。」
「だったらもう一押し、わたしが何を望んでいるのかわかってもらえないかしら。」
 雨森は、目の前の石ころを蹴った。
”まさか、恋の告白ではないだろうが……”
 なぜか、ふとそんなことを考え、彼はそんな考えに心の中で噴きだした。
「わたしね、チカパシ祭り反対運動が、わたし達の手でやれないだろうかって、考えてるのよ。」
「そのことか――」
「あら、他愛ないことみたいに思わないでよ。」
「そんなこと思っちゃいないさ。だけど、君、いつ頃からそんなこと考えてたんだ。」
「生まれてから、ずっとよ。」と、富美子は真顔で言った。
「生まれてから?」
 雨森は問い返したが、富美子はもうそれにはふれなかった。
「とにかく、わたし、チカパシ祭りに絶対反対よ。」
「勿論、ぼくだって賛成じゃない。君と同じ意見だ。」
「あら、本当? たった二、三日のうちに、先生ずいぶん勉強したのね。尊敬しちゃうわ。」と、富美子は目を丸くして言った。
「ようやく誉められたな。」と、雨森は苦笑した。そして、真顔に返って言った。
「ところで君、郷土史研究部の連中に、大分手きびしいことを言ったようだね。」
「…………」
「君は、音楽部がチカパシ祭り反対運動をやるんだって言ったそうだけど、個人的意見と、集団の意見とを混同しちゃ駄目だな。」
「…………」
 富美子は、唇を噛んで宙を見つめていた。元々、原因は、雨森のことからだったのだ。汽車の時間に遅れそうになり、靴をつっかけながら玄関を出ようとした彼女は、あまりあわててその場に転んだのである。それを見て、そこに居あわせた四、五名の郷土史研究部員は笑い声をたてた。
「何がおかしいのよ。」と、富美子は立ち上がった。
「オッ! 泣かないぜ。」
「泣くもんか。雨森がいないもの。」
 その揶揄は、彼女の頭を熱湯のようにたぎらせた。そして、意識の底でうごめいていた言葉を、思わず口にさせてしまったのである。

 事件のきっかけも知らない雨森は、彼女の心をときほぐすように言った。
「こう言ったからって、気にしちゃ駄目だよ。ただ、はっきりさせておかねばならぬものは、はっきりさせないとな……どうだい。一つ、反対運動が君だけの考えではなく、音楽部としての意見に盛りあげてみる気はないかい? 最終責任はぼくが持つ。君達学生の自主的な運動として、これを発展させてもらいたいんだ……君の意見は正しい。ぼくは今朝、笈田先生から話を聞いて、はっきりとそう言っておいたよ。」
「先生。」と、富美子は雨森を見つめた。笑窪がひどく美しかった。雨森は妙に目映くなって目をそらした。十七才の、乙女の笑窪であった。

――君の意見は正しい。君の意見は……
 雨森の言葉が、富美子の耳の奥でまだ響いていた。授業はまったく耳に入らず、彼女の心は火照っていた。
 他人に賞讃されたことは、山ほどある彼女ではあった。短距離ランナーとして一直線に突走る彼女に、声援は雲のように湧きたち、彼女の胸は幾度もテープを切った。しかし、その胸は肉としての胸であり、心としての胸ではなかった。彼女の心は、所詮、他人にとって理解のできぬものであった。
 仲間と離れ、いつも一人でトレーニングをする彼女の態度は、傲慢そのものとして解釈をされてきた。その傲慢さは彼女にますます箔をつけ、彼女を英雄視させるものとなった。しかし、彼女にとって、走ることは孤独な営みだった。百メートルの走路に引かれた、あの真白な平行線は、彼女にめまいをもたらし、彼女はそれに耐えながら、自分自身のコースへ突き出ていった。富美子にとって、走ることは人生そのものであり、人生に徹することなのだった。だからこそ、彼女は走ることを撰んだのである。

 富美子は一人娘だった。母は死別し、父はアイヌだった。それは彼女を勝気な、そして孤独な人間に仕立てるためには十分過ぎるほどの条件であった。
 父の代吉には、二人の兄がいた。その二人は南方で戦死し、代吉は老いていく両親の面倒をみなければならぬ立場にあった。しかし、彼は両親を捨てて家を出た。原因は結婚の問題であった。
 代吉と相思相愛の仲になった女は、道枝という和人の女であった。悪い器量ではなかったが、彼女はひどいビッコであった。歩く時の彼女の尻は、ホッテントットのようであり、その尻が左右にゆれる様は、あひる同然であった。
「お前、そんなビッコでも、やっぱり和人(シャモ)の女がいいのか!」
 代吉の父は鋭くなじり、母は取り乱して叫んだ。
「アイヌは、アイヌと一緒になるのがいいんだ!」

 代吉は、町一つへだてたT町で新居を持った。富美子が生まれ、三才の時、道枝は交通事故で死んだ。
 代吉にとって、妻に代わる者は、富美子一人であった。
「お前は、かあさんとそっくりな顔をしているなあ……かあさんは、優しくて、とってもいい人だったんだぞ。お前も、かあさんみたいに、心のきれいな人になれよ。」
 代吉は口ぐせのように言っては、富美子の頭をなで、頬ずりをしたものである。彼女が中学生になり、高校生になった今、代吉の手も、代吉の頬も、富美子にふれることはなくなったが、その口ぐせは変らない。彼にとって、道枝はマリアのような存在なのであった。
 母の記憶を持たぬ富美子にとって、父の抱くイメージは、そのまま自分のものとなっていった。そんな富美子がアイヌを意識したのは、小学一年の時である。
休み時間、学校の庭で鬼ごっこをした時だった。鬼になった彼女は、またたく間に一人の子を捕えてしまった。襟首に富美子の手がかかり、勢いあまって二人は倒れた。
 捕えられた子は額を打ち、鼻血を出した。そして、「アイヌ! アイヌ!」と叫びながら泣き出したのだ。
 仕事先の運送会社から代吉が戻った夕、富美子はその日の出来事を告げ、アイヌの意味を問うた。代吉は口を濁して答えなかった。それは富美子の問いを執拗なものにさせた。
 突然、代吉は、手もとにあった火鋏みをつかみ、「うるさい!」と叫んだ。声と共に、彼の手に握られた火鋏みは富美子の眉間を打った。その傷は、彼女の前髪に隠されたまま、今もなお残っている。

 母に似た彼女には、アイヌの容貌はまったくなかった。太い眉毛、長い睫、剛い頬の髭――アイヌの容貌もあきらかな代吉さえいなければ、彼女が蔑まれることはあり得なかった。次第に成長し、次第にアイヌを意識するようになった富美子は、代吉の存在を呪った。

 中学二年の夏であった。夜遅く、ひどく酔って代吉が帰宅したことがある。彼はものをも言わず、乱れた足どりで寝床の中にもぐり込んでしまったが、間もなく布団の中から、押し殺すように歌が聞こえてきた。灯にぶつかる虫の羽音は、その歌を聞こえ難いものにさせたが、それは確かにアイヌの歌なのであった。
 勿論、富美子には、その歌の意味などわかりはしなかった。しかし、まるで断末魔の言葉のように喉の奥でふるえている彼の歌は、富美子の胸を掻きむしった。
 酒を飲んでさえ、たった一人布団に隠れて、ひっそりと歌わなければならない民族の歌――それでもなお、父は歌うことを忘れてはいなかったのだ。父の歌を陽光の下に還し、父と並んで高らかにアイヌの歌をうたってやりたい――十三才の柔らかな心に、歌は鋭く突き刺さった。

 やがて、彼女は高校に進学し、汽車通学ははじまった。地元のT町にも高校はあったのだが、代吉は越境入学をさせたのである。
 S町の知人に頼み込み、住民登録を移すことを思いついた代吉は、遠慮深く富美子に相談をしたものだった。
 口には出さないその理由が、富美子にはよくわかった。彼女の見知らぬS町へと続いていく鉄路は、アイヌの娘であることをT町で知られてしまっている彼女にとって、和人として遇される道であったのだ。
 父の言葉に、彼女はうなずいてしまった。しかし、アイヌの娘ではなくなった彼女に、血はどうしてもまつわりついていた。うっすらと銀色に光る彼女の体毛が、次第に黒ずみ剛さを増し、多毛というアイヌの特質を僅かに現わしていったのだ。それは、見るに見かねるというほどのものではなかった。しかし、四肢をあらわにトラックを走る彼女にとって、四肢の体毛はたまらない嫌悪をもたらした。
 人目にはあっさりと、彼女は陸上競技部を退部した。そして、ふらふらと音楽部に入ったのである。
 さしたる興味があるわけではなかった。しかし、雨森を顧問として迎え、突如として民族音楽をキャッチフレーズにした音楽部の存在は、彼女の心の奥深くに疼いている記憶をひきつけなかったわけではない。忍び泣きに似た代吉の、あのアイヌの歌の記憶をひきつけなかったわけではない。

「秋沢さんの意見は最もだよ。だけど、何もぼくたちがやらなくたっていいんじゃないか……先生がいないところで言うのは悪いけど、先生はあんまり片寄りすぎているよ。何もこうまで民族音楽に凝らなくたっていいと思うんだ。ぼくらは、本当に自主的な考えで民族音楽を歌ってきたんだろうか……そうじゃない。何もかも先生のペースに引きずられてやってきている。こんな状態で反対運動をやったって、本当にみんなの意識に根ざしたものとならないのはわかっている。それは運動にとって、最もマイナスなんじゃないだろうか。」
 部長の大沼が、手きびしく富美子の提案を批判した。みんなの自主性に委ねると言って、雨森がこの場に出なかったことは、大沼にとってもっけの幸いであった。日頃の欝憤を晴らさんとばかり、彼はしゃべったのである。
 ほとんどワンマンぶりを発揮して音楽部を引きずってきた雨森が、肝心のところで、自主性などということにこだわったのは、彼の見通しの甘さだった。彼は、部員が、もうとっくに、彼の思想の洗礼を浴びていると誤算したのだった。
「自主的であるかないか、それはこれから決まることじゃないの。今までのことなんか、わたし知らないわ。でも、今日、ここでみんなにその気が盛りあがってきたら、それは音楽部の大きな成果よ。とにかく、みんな意見を出しあっていきましょうよ。」
 負けずに大沼に言い返しながら、富美子は、自分がこうもチカパシ祭りに執心をしてしまう理由がわからなくなっていた。
 雨森が沖縄問題を語りだした時、思わず喰らいついた富美子の気持は、かえりみられないアイヌの血の叫びのはずであった。しかし、今は違ってしまっている。それは、何が何んでもアイヌの血を抹殺しようとする、呪いの心でたぎっていた。

 ボツボツと意見は出てきたが、話は仲々まとまらなかった。弥次馬気分で富美子を支援するものが半数もあり、表面的には、意見の対立が音楽部を二つに割っていたからだ。
 いらいらしながら、彼女は新しい提案を試みた。
「音楽部としての態度が決定できなかったら、それでもいいわ。いやな人は出ていけばいいのよ。運動に参加しようという者だけがここに残って、チカパシ祭り反対運動推進委員会を作るのよ。有志だけのものなんだから、嫌な人には迷惑かからないでしょう。」
「それは、実質的に、部を分裂させる事じゃないの。」と、一人の声が飛んだ。
「分裂しちゃ駄目なの? 曖昧な心で活動してるより、すっきりと分裂した方がましかもしれないわ。」
 富美子のその言葉は、さすがに部員を緊張させてきた。
「秋沢、言いすぎだぞ!」と声がかかった。
「何言ってんのよ。意気地なし!」と、別な声が応酬をした。
「待て。争っては駄目だ。もっと冷静になって、ぼくらは分裂を防ごう。ぼくらは音楽を愛し、音楽を通じて友情を求めあってきた。少くとも、そういうつもりでこの部に入ってきたはずだ……チカパシ祭りに対するぼくらの見解は二つに割れてしまっている。しかし、それをそのまま音楽部の分裂へと持ち込むことは避けなければならない。音楽は人生の対立を超えた純粋なもののはずだからだ。秋沢の修正提案を、ぼくらは呑もう。」
 部長の責任上、大沼はそう言って押さえようとしたが、効果はなかった。
「呑めない! ついこの前入ってきたくせに、秋沢は出しゃばりすぎる。みんな雨森のヒモツキなんだ。おれは昼、図書館の庭で密談をしていた二人を見たぞ!」
「本当か?!」と、座は騒然となった。
「問題をすりかえないでよ! わたし達がどう考え、どんな態度をとるかってことが大事なのよ。わたしも、先生も、同じ意見だからって、それであなた方を牛耳る気はないわ。」
「おれはジャズでもやんないかと思って入ったけど、雨森は見向きもしない。あれだって、民族音楽なのにさ。」と、剽軽者の殿田がニヤニヤしながら言った。しかし、笑う者はいなかった。
「先生がいないからって、勝手なこと言わないでよ。不満があったら、もっと早く、なぜ先生に言わないのよ。ヒョットコ!」
「言ったわね!」と、殿田はわざと黄色い声を出して、富美子につめ寄った。
 手を出したのは、富美子の方だった。あっという間に、殿田の髪の毛を彼女はつかんだ。
 音楽室に、色とりどりの叫びが渦巻いた。

 校長にとって、この事件は好都合なことであった。音楽部は解散を命ぜられ、生徒会はそれに従った。
 形式的な職員会議にかかった時も、解散に反対した者は二人だけであった。雨森と、そしてもう一人は笈田であった。
「解散というのは、一寸、酷だと思いますねえ。頭が冷えるまで活動を遠慮するように仕向けた方が、妥当じゃないでしょうか。大ぴらに喧嘩できるだけ、彼等は健康なんですよ。若い芽を、上からの権威で踏みつぶすようなことは、教育的じゃないと思いますが……」
 笈田がそう言って雨森を支持した時、雨森は意外な顔つきになった。修正主義者と決めつけた笈田の中に、どこかつながっていけるものがあるように、雨森には感じられた。
 言い終ると、笈田は雨森に視線をやった。過ぎてしまった自分自身の青春を見つめるような、哀惜に満ちた眸であった。

 夏休みが訪れた。チカパシ祭りを明日にして、商店街は華やかに飾りつけをされていた。駅の前には歓迎のアーチが建ち、臨時列車の到着を首を長くして待つようであった。出足の遅れた宣伝も、キャラバン隊を札幌へまで派遣するなど、大わらわな追い込みが功を奏していたのだ。

 揉みあいの中で傷つけた顔の擦傷は、もう跡方もなかった。しかし、富美子の心は、まだみみず腫れになっていた。
 鼻柱の強さが、音楽部の解散という事態を引きおこし、雨森の志を潰してしまったのだ。もう、彼に会わせる顔がなかった。あれ以来、彼女は雨森の目を避けてきた。夏休みに入り、これでしばらく、完全に雨森を避けられると思った彼女ではあった。しかし、奇妙なことに、彼女は雨森の目と出会いたくもなるのだった。
 夕餉の膳に向かいながら、富美子は、ぼんやりとまた雨森のことを思っていた。
「飯食いながら、何をボヤッとしてるんだ。」と、代吉は心配そうに言った。
 富美子は、あわてて漬物に箸をやった。
”年頃の娘は扱い難いものだ。”
 食事を終えた代吉は心の中で呟きながら、まだ手つかずの新聞を広げた。広告が一枚、その中から落ち、彼はちらっとそれを見ると、すぐに押しやった。
「何の広告?」
「大したもんでねえ。」
「見せてよ。」と、富美子は手を伸ばして、畳の上から取り上げた。

 チカパシ祭り明日に迫る!
 協賛連合大売出し!

 大きな活字が、富美子の目に飛び込んだ。
”フン、チカパシ祭り反対だなんて、ちゃんちゃらおかしいことだったんだわ。結局、こうしてやられてしまうのよ……それでいいじゃない。わたしになんか関係ないわ。和人(シャモ)になりたく、和人(シャモ)の女と結婚した男の娘じゃないの。わたしは和人(シャモ)よ。アイヌの見世物を、高見の見物と洒落込んでやるわ――”
 そんな気持に富美子はなり、「見に行くかな!」と、大きな声で言った。
「くだらん。」と、代吉は吐き捨てるように言った。
「見てみなきゃわかんないわ。」と、彼女は代吉にからみかかった。
 代吉は何も言わずに新聞を読んでいた。拍子抜けがして、彼女はまた広告に目をやった。そして、思わず、小さな叫びをあげたのだ。
「あらっ、酋長秋沢鷹太郎の神祈り(カムイノミ)だって!」
 秋沢といえば、富美子と同じ姓である――
 グイッと、代吉の顔がのびてきた。言葉を寄せつけぬきびしさが、彼の表情に溢れ、富美子は、自分が思わず叫んだことが、ひどい罪悪であったことを直観した。
 代吉は、富美子の手から広告を奪い取ると、じっと目をやった。もう二十年近くも出会わぬ父の顔が、二十年前のまま、彼の脳裏でぶるぶると怒りにふるえていた。
 ふるえていたが、それはぼんやりと、淡くなつかしい表情であった。二十年の歳月は、代吉と父の怒りの間に、磨硝子のような一枚のゆとりをもたらしていたのだ。
”明日は仕事が休みだな。”と、心の中で思っていた。

10

 戸じまりをした窓に、空が青く輝いていた。閉ざされた部屋の空気は、二人を息苦しくさせていた。
「そろそろ、汽車の時間だな。」と代吉は呟き、腰を上げた。富美子も黙って立ち上がった。相談しあったわけではない。暗黙のうちに、二人をそれを認めあっていたのだ。

 汽車はひどい混みようだった。
 S駅の前にはバスとハイヤーがずらりと並び、改札口から押し出されてくる人々を待っていた。
 市街を脱け、バスはS川の流れに沿って走った。代吉にとって、車窓の風景は、二十年ぶりのものであった。
 道は舗装になり、堤防はコンクリートになっていた。何もかも変ってはいるようだが、あたりの田畑、牧草地、かなたの山なみは、昔そのままの色彩で、彼の目を和ませた。確かに、それらは変っていないのだ。山は依然として某財閥のものであり、土地はアイヌのものではなかった。
 ピラリ山の下へ来ると、そこには出来上がって間もない駐車場があった。人波にゆられて、代吉と富美子は、そこから坂を上っていった。花火が上がり、チカパシ祭りは間もなくはじまろうとしていた。
 台地の上には、人がこぼれるように集まっていた。家(チセ)も博物館も、屋根のあたりをのぞかせているだけだ。アイヌ細工の売店が二十軒ほども片隅に並び、しきりに客を呼んでいた。
 縄を張りめぐらした中央の空地には祭壇がしつらえられ、出を待つアイヌの人々が見物客の前でしゃがんでいた。それらの人々の中に、若い年代のものは見当らなかった。アイヌ娘(メノコ)は、五十、六十の婆さんなのである。

 観光協会の会長でもある町長が、長たらしい挨拶をやり、いよいよ、チカパシの霊を弔う祖先祀り(イチャラパ)の儀式ははじまった。
 髭の老人、秋沢鷹太郎が正装に身をかため、ゆっくりと祭壇に歩み出た。左手には酒を満した漆塗りの器を持ち、右手には平べったい酒箸(イクパスイ)を持っている。
 彼の足は止まった。祭壇に立つ、柳の枝を削った数本の御幣(イナウ)に向きあうと、その一本の頭に、彼は酒のしずくをたらした。
 酒箸(イクパスイ)ですくったしずくを三度たらすと、彼はその手で器の外縁をこすりながら、祈りの言葉を唱えはじめた。それは火の神(アペカムイ)への祝詞であり、火の神(アペカムイ)を通して、チカパシへの慰めを届けようとするのである。
 その昔、天国の神(カントコルカムイ)の命を受けて人間界(アイヌモシリ)に遣わされた神々の中で、最高の地位ある神として讃えられる火の神(アペカムイ)――火は、ただアイヌのみの神ではなく、人類の文化にとって原初的なものではあった。しかし、人は火に慣れ、火は人にとって神などではあり得なくなった。火は人間の自由に処理し得る道具となり、それは今、地球の一角で、森と大地、貧しい農民を殺戮してもいるのだ。
 背のびをする観衆の小さなざわめきの中で、笈田は、”ここにいる何人の人々が、この祈りの本質を理解できるのだろうか。”と、心もとなくなっていた。
”やはり、観光は観光でしかないのかもしれない。文明という高見からの見物では、これは単に珍しいことでしかないのだ。”
 そう思うと、チカパシ祭りの計画にすっかり喜んだ秋沢鷹太郎につられて、彼の手を握った自分自身が愚かしく思われてくるのだった。

 やがて、輪舞(リムセ)がはじまった。囃子をかけながら、輪はゆったりと左に廻っていく。その輪を作る二十数名の踊り手の表情は石のように硬く、手も足も硬張っていた。
 若い者は見向きもせず、もはやアイヌであろうがあるまいが、どうでもよくなった諦めの年代が作る輪なのである。一日千円という高値につられて雇われた付け焼刃の踊りに、心が満ちていないからといって、責めることはできないのだ。
 それでも、その貧しい輪の中に、秋沢鷹太郎と、その老いた妻が加わっているということは、せめてものことだった。しかし、年老いたその二人も、ほほえみをたたえた柔らかな表情に、身体の動きを柔らかくつけてはいけなかった。酋長夫妻という肩書きで現われた二人ではあったが、そんな地位は、祖父の代からこの世にはない。二人暮らしの貧乏人にとって、品位を繕うのは並大抵ではないようでもあった。
 去勢された踊りの輪を、代吉はぼんやりと見つめていた。四十年の歳月が、輪舞(リムセ)のように、彼の内部を静かにめぐっていた。そして、心の中の踊りの手は、次第にその爪先を桜色に変えていくのであった。それは、彼の内部に於ける過去への遡行であり、失われた民族性への郷愁であった。
 気合のかからぬ輪舞(リムセ)に感情を吹き込もうとする父母の焦りが、代吉には伝わっていた。彼の心はゆすぶられ、桜色の心の爪は、なおもその色を増していった。滅びていく者の、滅びていくことへの抵抗が、まるでチカパシのように彼の内部で疼き、彼の内部で、赤々と火は燃え上がっていた。
 突然、代吉の身体は前へ飛び出していた。張り縄を飛び越え、輪舞(リムセ)の群れに入り込むと、彼の喉は囃子を叫んだ。確かに、それは、喉であった。今、その輪舞(リムセ)をあやつっていた、人々の舌先きの囃子ではなく、人類がはじめて地べたに立った時の、喉の奥からの第一声にも似ていた。
 観衆は、この不意の飛び入りに笑い声をたてた。アツシをまとった踊り手の中へ飛び込んだその男の、襟巾の広い時代遅れの背広は、彼を酔ぱらいとしか思わせないものがあったからだ。
 しかし、笑い声はすぐに止んだ。代吉の登場は、呼び水のように輪舞(リムセ)を一変させていったからだ。
 どの手も、どの足も、風にゆれるウバ百合の葉のように、さわやかな動きと変っていった。どの顔にも、鈴蘭のほころびがあった。尽きることを知らず、輪舞(リムセ)は続き、囃されていくのであった。

 踊りが止んだ時、ピラリ山は一瞬、深い静寂で囲まれ、観衆の拍手はその中で爆発した。
 輪は、そのまま動こうとしなかった。そして鷹太郎と、その老妻、代吉の三人は、静かに中央へ歩み寄った。
「代吉!」と、彼の母はこらえきれずに走り寄ると、取りすがって泣いた。
「素晴らしいものだった。一体、あんなに、どこで覚えた。」と、鷹太郎は静かに言った。
「今、たった今、ここで踊りながら……」と、代吉は火照った声で言った。
 鷹太郎は深くうなずいた。その彼の目に、もう帰りかける観客の前列で、喰い入るようにこちらを見つめる少女の姿がうつった。
「孫も来てるのか?」と、鷹太郎は言った。
「孫?」と、老妻は、鷹太郎の視線に合わせた。
「ほんと、そっくりだね。道枝さんに……」
「よく忘れなかったな。道枝の顔を……」と、代吉は驚いて言った。
「大事な息子の嫁だもの。」と、母は答えた。
 代吉は、富美子を目で招いた。吸い寄せられるように、富美子は出てきた。適中をしていくであろう予測に、彼女はふるえていた。
「そっくりだな、かあさんに……ほんとに、そっくりだな……」と、富美子の祖母はまた言った。
 代吉は、低く、きっぱりとした声で、富美子に言った。
「ビッコだったんだ。お前のかあさんはビッコだったんだ。和人(シャモ)だったから一緒になったんでねえ……おれはアイヌで、かあさんはビッコ……それが、一組の夫婦を作ったんだ。」
 いつの間にか輪はとかれ、彼等四人を、同族(ウタリ)は遠くから眺めていた。その表情に、輪舞(リムセ)の興奮はもうなく、不意の話題を、興味津津と囁きあうのだった。

11

 整理員がメガフォンを持ち、大声をあげている。足を踏まれそうな混雑さの中で、人々は束の間の龍宮から覚めて、もう現実へ戻っていた。見終ってしまえば、正味一時間にも足りない、他愛ない時であった。
「みなさん、御苦労様でございました。この素晴しい民族の文化を、この場限りで終えるのに忍びなく、今夕五時より、当地宝栄劇場におきまして再演を致すことになっております。なお、明日より三日間、昼夜三回、引き続き宝栄劇場において御覧に入れますので、よろしく御宣伝下さい。同時に上映致します映画は……」
 スピーカーが、けたたましく叫んでいた。観衆は、あまり広くはない坂道を、揉みあいながら下っていった。雨森も人波に流され、坂の方へと動いていた。彼に一つの認識を与え、彼に一つの壁、一つの挫折をもたらしたチカパシ祭りにひかれて、雨森は帰省先きの札幌から戻ってきたのだ。
 広場の中央の四人の語らいに、観衆は目もくれずに去っていた。目を向けるのは、雨森一人のようであった。彼は、いわくあり気なその四人の中の、たった一人の和人(シャモ)面をした少女の顔を遠くにして、坂へ坂へと押し流されていった。少女の背後で太陽が輝き、それは後光のように少女の顔を目映くさせた。

「あのオヤジ、面白かったな。」
「オヤジが出てきたら、がぜん調子よくなったものな。」
 口々に批評しあう高校生に取り巻かれながら、笈田は黙って坂を下っていった。
”この生徒の中から、アイヌ問題により深い関心、より深い情熱を抱き、一生を棒にふってしまうような人間がはたして出るだろうか。”と、笈田は考えているのだった。
 彼は心の中で、彼の指導した郷土史研究部の、古い部員を数えあげていた。生活の波をかぶり、心ならずも、或いはあっさりと研究を忘れていった者もある。しかしまた、大学で考古学を学ぶ者、民俗学を学ぶ者、そして勤めのかたわら、乏しい休日をさいて遺跡や部落(コタン)を廻る者もあった。
 しかし、それはただ、それだけのことであった。それは決して、アイヌ解放には結びついていかないのだ。
 笈田は彼等に、声高にアイヌ問題を語りはしなかった。その社会的運動を志し、その一弾を黙殺された彼には、時代が繰り返し塗り込めてきた分厚い壁の存在がわかっていたからだ。彼がその壁を感じとったのは、あの六全協の決定が下された夏の日に遡ることができるのかもしれない。革命の挫折はとりも直さず、アイヌ問題の澱みを意味するに違いないのだ。
 しかし、坂を下りながら、笈田は考え続けた。
”あの飛び入りのオヤジのように、断ち切れた貧しいアイヌの輪舞(リムセ)に、精気を吹き込んでいく道は、おれにとってないのだろうか……おれは所詮、外側で、輪舞(リムセ)を観る客の一人にしかすぎない。輪舞(リムセ)の中に飛びこみ、和人もアイヌも共に踊りまわること――その日こそ、アイヌの人権がよみがえる日であり、我々の人格が脱皮をする日なのだ。そんな時を造りあげる道は、おれにとって本当にないのだろうか……”
「暑いなあ。誰か氷水おごれや。」
「オヤキの方がいいぞ。」
「馬鹿、今どき。」
「夏のオヤキも旨いぞ。」
 高校生の話題は、もうとっくに変っていた。

 人波の向こうに、雨森は笈田の頭を見つけた。彼は言いようのない感動を、笈田に向かって語りだしたい欲求に駆られた。笈田から奪えるものは、みなすべて学びとり、奪いとらねばならぬような気持が、雨森にはした。
 事実、今の雨森にとって、学べる者は彼一人なのかも知れなかった。細胞会議は、あれ以来まだ開かれていない。そして、少くとも、あの石木や広部のような前衛党員に比べる時、笈田ははるかに自分自身の足元――この北の小さな町に、魂のトレンチを掘り続けてきたのだ。
 人波を掻き分けながら、雨森は笈田に追いつこうとしていった。

 ピラリ山の展望台で、富美子は、父と祖父、祖母の三人と並びながら、S川の対岸――ふるさとの部落(コタン)を見つめていた。
 三百年の昔、チカパシはこの部落(コタン)に何を思い、風景はどのような殺戮を見つめたのだろうか……歴史を秘めて語らない夏のがらんどうの明るさの中には、アイヌ民族の叫びが、静かに漂っているかのようであった。
 富美子は、S川のこちら――すぐ足元の坂を雲霞のように下っていく人間に目をやった。その中には、和人は勿論、アイヌも、アイヌの血を受けた富美子同様の和人も混っているのに違いない。こうして上から見る時、何一つの差別もなく、ごちゃごちゃと入り混っている人間達が、蔑み、蔑まれながら、歴史の彼方へ去って行くということは、誠に奇怪なことであった。
 雲霞の中に、富美子は、ふと雨森を見つけた。確かに、彼のようである。
 何を急ぐのか、右にぶつかり、左にぶつかり、人を掻き分けていく彼の足どりは、なぜかビッコのように思えた。一本気で強引な、そしてわりと話せるその新米の青年教師は、彼女にとってビッコのように思えた。
 自分の身体の中に、アイヌの血が流れていることを、いつか雨森に告げるであろうことを、富美子は予感した。
「オーイ! 映画館さ行って用意するべ!」
 同族(ウタリ)の呼ぶ声がする。チカパシの霊は、間もなく、この台地にひっそりと置き去りにされていくのだろうか……

あとがき

「お前の小説は、どうもゴチャゴチャしている」ということは、何年か前、ある同人雑誌に入っていたころからの仲間の批評であった。事情は今もって変わらない。ぼくにすれば複雑多岐な現実を何とか解きほぐしたいという願いのはてのことなのだが…どうか、ぼくの志を汲んだ上で、あたたかな批評をいただきたい。(昭和四十二年六月発行 北海道静内郡静内町字御園 向井豊昭)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。著者の他の作品はぜひ、『骨踊り 向井豊昭小説選』および「向井豊昭アーカイブ」などで御覧ください。

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【目次】
[小説]
1(初期短篇)
鳩笛[1970]
脱殻(カイセイエ)[1972]
2(長篇)
骨(コツ)踊り(「BARABARA」原型)[未発表]
3(祖父三部作)
ええじゃないか[1996]
武蔵国豊島郡練馬城パノラマ大写真[1998]
あゝうつくしや[2000]
[資料]
『根室・千島歴史人名事典』より「向井夷希微」[2002]
早稲田文学新人賞受賞の言葉[1996]
単行本『BARABARA』あとがき[1999]
やあ、向井さん[2007]
平岡篤頼「フランス小説の現在」[1984]
[解説]
鼎談:岡和田晃×東條慎生×山城むつみ「向井豊昭を読み直す」
岡和田晃「『生命の論理、曙を呼ぶ声』を聞き取ること」
 向井豊昭年譜

*「チカパシ祭り」文字起こし:東條慎生/テキスト提供・校閲:岡和田晃
*表記については、原文が書かれた時代背景や、著者が故人である事情に鑑み、原則的に初出に従いましたが、明らかな誤字脱字などを一部、整理した個所があります。
*本編「チカパシ祭り」について、詳しくは岡和田晃『向井豊昭の闘争』(未來社、2014年)を御覧ください。