エレナ・ポニアトウスカ『乾杯、神さま』訳者解題
2023年7月24日、幻戯書房は海外古典文学の翻訳シリーズ「ルリユール叢書」の第32回配本として、エレナ・ポニアトウスカ『乾杯、神さま』を刊行いたしました。エレナ・ポニアトウスカ(Elena Poniatowska 1932–)は
ジャーナリスト、小説家。パリに生まれ、1942年にメキシコへ移住。1978年、女性で初めて全国ジャーナリズム賞を受賞。本書『乾杯、神さま』とあわせて、『トラテロルコの夜』『ティニシマ』『レオノーラ』など、数々の作品が文学賞に輝きました。文学創作に証言を織り合わせながら、強靱でしなやかな独自の文体を確立した作家として知られます。その功績によって2013年にセルバンテス賞を受賞しています。
本書『乾杯、神さま』は、ポニアトウスカがまだ駆け出しの頃に出会った、ヘスサ・パランカレスという一人の女性の証言から生み出されたルポルタージュ文学です。
以下に公開するのは、エレナ・ポニアトウスカ『乾杯、神さま』翻訳者・鋤柄史子さんによる「訳者解題」の一節です。
エレナ・ポニアトウスカの綴った文章にはヘスサ・パランカレスの真実と噓がある。ヘスサの物語では、ヘスサの声にエレナの声が呼応する。ヘスサの怒声の奥には、声にならなかった悲しみが潜む。ヘスサという人物には、メキシコ革命を生きた女性兵士の、変動するメキシコシティで生活を送る地方出身者の、そして一女性として生きるその他大勢の経験が投影されている。
原書Hasta no verte Jesús míoは1969年に刊行された。始まりはその5、6年前、インタビュアーとして新聞の連載を担当し、すでにその才覚が認められつつあったエレナ・ポニアトウスカが、収監者たちに取材を取るためレクンベリ監獄に通うさなか、付近の建物の屋上から響きわたる怒声が放つ「尋常でない言葉遣い」を耳にしたことだった。ポニアトウスカは声の主ホセフィーナ・ボルケスにこれまでの経験について語ってくれないかとインタビューを申し込む。当初「そんな余裕はない」と一蹴され、代わりに仕事を手伝えとオイルまみれのオーバーオールを手渡され、洗濯場で洗ってこい、手が空いたら鶏を日なたに放してくれ、と次々と経験したことのない家事を言いつけられたという。しばらくすると頑ななホセフィーナも段々とエレナと打ち解けるようになり、二人は、ホセフィーナが唯一時間のある水曜日の夕方4時から6時に毎週集いはじめる。このホセフィーナ・ボルケスこそ、本書でみずからを語るヘスサ・パランカレスだ。
一読するとわかるように、本書は聞き取りの単なる文字起こしではない。作者自身これがある種のフィクション性を備えていることを認めている。実際のインタビューでは、ヘスサはエスピリチュアリスモについて多くを話したがり、他の場合は大家との確執や近所の喧騒に対する不平、それに「以前はパンの値段だってこんなに高くなかった」と生活の現状の過酷さを訴えることがしばしばだったようだ。ポニアトウスカはその証言からエスピリチュアリスモに割く分量を大幅に減らし、ヘスサの女性としての生き方に重点を置きつつ、メキシコ革命やその他の歴史的出来事、社会文脈に沿った語りの展開を図った。この意味で語りは筆者の裁量で構成されたものだ。さらに、後述するようにポニアトウスカはヘスサの証言に、みずからが見聞きしたメキシコに生きる多くの人々の姿を織り込んでいる。この改題では、口語体・対話調で記述されたヘスサの語りを切り口に、現実世界と虚構世界を自在に行き来するポニアトウスカの筆遣い、そして歴史叙述として有する特徴、大きくこの二点について訳者の理解が及ぶ範囲で記していきたい。本書は、刊行当時から現在にいたるまでメキシコ国内外で多くの読者の関心を呼び、特に文章表現としてのあり方について様々な議論を研究者間に提供してきた。間違いなく、ポニアトウスカが文芸作家として認識されるようになる端緒を開いた作品の一つであり、彼女の筆力が、セルバンテス賞を受賞する2013年のおよそ半世紀前からすでに力強いものであったことを示す作品だ。
想像と記録の和声法
『乾杯、神さま』を皮切りに、ポニアトウスカはインタビューを基礎にした文学作品に励むようになる。本書刊行の2年後の1971年に『トラテロルコの夜』を発表する(日本語版は2005年に藤原書店より北條ゆかり訳で出版)。1968年10月2日オリンピック開催直前のメキシコシティ、トラテロルコ三文化広場で、武装した政府軍が学生や民間人を襲撃した事件とそれに至るまでの学生運動・社会運動を扱ったルポルタージュだ。ポニアトウスカは政府の統制下にあった当時の事件に関する報道に疑問と不安を覚え、出産直後の体で翌月と翌々月に現場で証言を取り始め、翌年にはルクンベリ監獄に足を運び、収容されている学生たちに聞き取りを行った。テクストは、膨大な量の証言を基にしつつも緻密な構成を持つ。筆者としての介入をできるだけ避けながら多くの当事者の声を伝えようという明確な意図のもと、単に事件の経緯を羅列するのではなく、ポニアトウスカ本人の言葉で言えば「歴史の目撃者が発した声」を「コラージュ」するという技法が用いられている。筆者の声はあくまで数多の一つに過ぎない。読者は多方面で生々しく響く声に導かれながら事実を探り当てていく。
ポニアトウスカの作品はその特徴からしばしば「証言文学」や「記録文学」と解釈される。『乾杯、神さま』と『トラテロルコの夜』の初期の二作品はともに、つねにフィクションとノンフィクションの狭間から語りかけようとする著者の代表作であると同時に、その比重の寄り方は対照的だと言われる。前者は事実に立脚しながらも虚構世界との融合がみられるのに対して、後者は事実を伝えることに重点が置かれており、それぞれの目的に沿った文体が用いられている。虚構と現実の曖昧な世界観と事実重視のルポルタージュ、先のキャリアの中でポニアトウスカは大きくこの二つを柱としているととらえることができる。続く70年、80年代の作家活動を見てみても、一方では、芸術家ディエゴ・リベラ宛に元妻ロシア人画家アンへリナ・ベロフが送った数々の恋文『親愛なるディエゴへ、キエラの抱擁を』(1976)や自らの人生経験を素材にした『フルール・ド・リス』(1988)など、実際に起こった出来事や実在の人物を題材に創作を行い、他方『沈黙は強し』(1980)では、公に取り上げられることのない社会運動家の活動を取り上げ、『なにもない、だれもいない。地震のどよめき』(1988)は85年メキシコを襲った震災を記録したものだ。以降も、この二つを主柱に精力的な作家活動を続けている。
エレナ・ポニアトウスカという作家の大きな魅力は、証言に即しつつ事実性との距離を常に図って出来事を描写する、こうした技法と文体にあるのだろう。前述したように『乾杯、神さま』でも、ヘスサの声を尊重し、その言葉遣いを最大限に活かす工夫がなされている。ここでひとつ指摘しておきたいのが、人類学者の仕事との相違だ。ポニアトウスカの手法は人類学者が研究手段とするフィールドワークやオーラル・ヒストリーと共通点を有していながらも、他方その文体は、客観的な立場から主体の言葉を記述しようとする当時の人類学的報告書とは明らかに一線を画している。ヘスサと出会った時期と同じころ、ポニアトウスカはアメリカの人類学者オスカー・ルイスの原稿の校正・編集を手伝っている。ルイスは「貧困の文化」という枠組みを用いてメキシコシティや中米地域の貧困街でフィールドワークを行っており、彼のもとで働いた経験はたしかにポニアトウスカのキャリア形成に影響を持ったと考えられるし、それは多くの研究者によっても指摘されている。
けれどもポニアトウスカはその影響を認めながらも、ルイスのフィールドワークに対する姿勢に対して後に批判的なコメントを寄せている。テポストランの村へフィールドワークに赴く際、ルイスは殺菌済み浄水タンク、Kleenex のティッシュケースとコーンフレークの箱を大型フォードにぎゅうぎゅうに積み込み、スタッフをぞろぞろとしたがえて行動した。また聞き取りを行うのにもみずからが出かけていくのではなく、大きな屋敷に相手を呼び出し自分の空間で事を済ませていたそうだ。ただしポニアトウスカは同時に、研究者であるルイスとインフォーマントのあいだにある不均衡な関係性に言及しながら、この『乾杯、神さま』はだれに帰属するのかと、著者として名声や収入を得る自分と相変わらず共同住宅の一角に居を構えるヘスサの関係についても自問している。
他方、ポニアトウスカはリカルド・ポサスという別の人類学者の名前を挙げ、ヘスサにインタビューをしていく過程で人類学者として有する彼の手法、その根気を羨んだと述べている。ポサスがどんなふうにして『フアン・ペレス・ホロテ』(1948)を仕上げていったのか、とヘスサとの自分の境遇に人類学者の姿を重ねたそうだ。自分の思惑で事が運べたならヘスサはフアン・ペレス・ホロテと結婚することになっただろう、とも記している。ポサスの発表した『フアン・ペレス・ホロテ』は、革命時を生きたチアパス州チャムーラ出身のインディオ、フアンへの聞き取りをもとにその生涯を一人称の語りで記しており、当時隆盛したインディヘニスモ文学を代表する一つとなっている(日本語訳は『コーラを聖なる水に変えた人々』[現代企画室、1984]に収められている。日本語版には翻訳に加えて、清水透もみずからフアンの息子・孫に聞き取りを行い、その息子の語りを通してポサスの記述した出来事の先を書き添えている)。チアパスのインディヘニスモ文学としてはロサリオ・カステジャノスの名が代表格として挙がるが、ポサスの作品も人類学の分野にとどまらず文学作品としてもとらえられてきたと言える。この意味で、ポニアトウスカは『フアン・ペレス・ホロテ』に親近感を覚えたのだろう。けれども、ポニアトウスカとポサスは作者としてのポジションに違いがある。ポサスがあくまで研究者の立場に徹したのに対して、ポニアトウスカは表現者として手法・技術を駆使してヘスサの声を最大限に活かそうとし、なにより作者としてみずからの声を発することをためらっていない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、エレナ・ポニアトウスカ『乾杯、神さま』をご覧ください。