新年特別編 『1月1日に生まれて』(全文無料公開)
父の誕生日は、1月2日だ。
正月気分で過ごしていると、うっかり忘れてしまうことがある。
3日になってから家族みんなで「あれ? そういえばお父さん、きのう誕生日だったね」と言い合ったりした年もあった。父も、もはや祝われないことにすっかり慣れていて、怒りも傷つきもしない。
実は父が生まれたのは、12月28日だったらしい。
彼はそれを三十代になってから知った。
父が青森の実家に帰って、まだ幼かった僕に、自分の子供の頃の写真を見せようとアルバムをめくっていたら、寝転ぶ裸の赤ん坊の写真を見つけた。
赤ん坊の枕元には豪快な筆書きで父の名前が書かれた半紙が置かれている。
写真の裏をめくると「12/28」と記されていた。
「おかちゃ、これ、なんがの間違いでねが?」
驚いた父は母親に訊ねた。
「んだのさ、親戚からいわれで。年末より縁起良ぐなるはんで、正月さ変えだのし」彼女は気まずそうに答えた。「本当は元日でも良がったんだけんどさ、さすがに1月1日はやりすぎだど思ったのし」
かくして、父は自分の「本当の誕生日」を知ることとなった。
その話を聞いた時「年末は縁起が悪いから避けたいけれど、さりとて1月1日は気が引けた」祖母の当時の思い悩みが絵に浮かんで、微笑ましかった。
とはいえ、本当に特別な日に生まれた人も、もちろんいる。
先日、仕事仲間の女性が1月1日生まれであることを知った。
「わたしの誕生日はみんな覚えているのに、いつも忘れられるんです」
彼女は苦笑しながら不思議な告白をした。
彼女の誕生日が1月1日であることは誰も忘れないが、当日は皆がすっかりそのことを忘れてお祝いの言葉は届かない。
「あけましておめでとう」に、「誕生日おめでとう」が負けてしまう。
プレゼントがクリスマスと兼ねられる。もらえても神社のお守りだったりする。ケーキのかわりにおせちが出る。誕生日パーティに人を呼べない。レストランも閉まっている。
「みんなの誕生日は祝われるのに、なぜわたしの誕生日は祝われないのか」と元日を呪ったりもした。
彼女にとって救いだったことがある。同じ元日生まれの幼なじみがいたことだ。365分の1でしかないのだけれど、特別な日に生まれたわたしとあなた。ふたりは根拠のない特別感を共有し、友達になっていった。元日の誕生日パーティをふたりで開きプレゼントを交換した。初詣に行き、劇場で正月映画を楽しんだ。どこか選ばれたふたりのような気がしていた。占いを見る。生年月日も星座も同じ。未来に待ち受ける幸せも、不幸せも共有していた。
けれどもある日、その幼なじみは唐突に病気で亡くなってしまった。
葬式に行っても実感が湧かなかった。ただ、ぴったり同じ時間を生きた人間がこの世界からいなくなってしまったことに、自分の一部が損なわれてしまったような気がした。
それ以来、占いも神頼みも信じられなくなった。
「同じ運命だった人が先に死んでしまったのだから、もはやなんの意味もないなと思っちゃうんです」と寂しそうに彼女は言った。
その時、僕はなにも言うことができなかった。
けれども奇しくも今年の1月1日に大震災があり、多くの人が悲しみに暮れる中、いまなら少しだけ伝えられることがあると思うようになった。
僕の誕生日は3月12日。
ありふれた誕生日だった。13年前のあの日までは。
あの日僕は、電車がすべて止まり、人で 溢れかえった真っ暗な道を歩きながら32歳になった。その時、これから毎年「この日を超えて誕生日を迎える」ことになるのだと悟った。
けれども、そのことをきっかけに初めて被災地に出向いたし、初めて募金もしてみた。
天災というものを、「自分ごと」として考えることができるようになった。
他人の人生を変えることはできないかもしれないけれど、自分の人生ならば少しは動かすことができる。その少しが、もしかしたら誰かのためになるかもしれない。そう信じて映画を作るようになったし、小説を書き続ける理由にもなった。
今年の元旦。
夜の初詣に行く前に、えいや! とネットで募金をしてみた。
誰かを想う気持ちを込めて、賽銭箱にお金を入れて、手を合わせ祈る。
あの時に感じる、確かに誰かと繋がっているような気持ちが、心の奥に感じられた。
そうか。
誰かを応援する気持ちは、自分を励ます気持ちと、どこか似ているのだ。
あくまで参考として。
僕はこちらから寄付をしました。
被災地の方々へ、心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い復興を、微力ながら応援致します。