日本でニュースを見ることの百害

「立派な社会人とは、毎朝ニュースや新聞でも読んで、世の中の動きに常にアンテナを張っとくもんだ」

古くから多くのビジネスマンを頷かせている言葉かもしれません。

しかし私はこの風潮に今こそNOを突きつけたいと思います。

その理由は、"誰かを幸せにする仕事以外は不要な仕事"であり、"今の日本のニュースはほとんど誰も幸せにしていない"からです。



まず、現状を把握するため、今の日本のニュースを見てみましょう。


どこかの3才児を親が殺しただの、

自称住所不定無職の爺さん(78)が公然ワイセツで捕まっただの、

どこかの工事現場で事故が起きて4人が死んだだの、

どこかの道でトラックが児童の列に突っ込んだだの、

芸能人のWが不倫しただの、

負のエネルギーに満ち溢れた驚きの後ろ向きニュースばかりが来る日も来る日も流され続け、見ているだけでゲンナリです。


これらのニュースに共通して言えるのは、"そのニュース、誰の役に立つ?"ということです。

そのニュースを見て、誰か一人でも助かったり救われたり、少しでも幸せになる人がいますか?

3才児が親に殺された事件がもし誰かの役に立つ可能性があるとするならば、例えばそれをきっかけに、児童相談所とはどうあるべきかの議論が高まって、権力が暴走しない範囲で適切に児童を毒親から隔離できるような社会への変革が進むこと、などでしょうか。

あるいは、貧困層の虐待親が職場で溜め込んだストレスを子供で発散してしまった現状に、社会構造的な問題がないか等の議論も考えられるでしょう。


しかし今の日本の報道は、こうした問題に踏み込めるほどの分析力や思考力を微塵も持っていません。

ただただ虐待親がいかにヤンキー顔だったか、あるいはキモオタ風で自宅に大量のマンガ本があったか否か、どうでもいいことばかり詮索して面白おかしく報道し、悲劇を嘆いて、新しい不祥事が起こるか飽きたらおしまいです。

このように、事件の深掘りをせずに起きたことをそのまま垂れ流すだけのニュースを思考停止でただ見るだけでは、立派な社会人に自動的になれるわけでは当然ありません(また、事実をそのまま流すならまだしも、捏造や偏向報道という別問題もあります)。


さらに、ネガティブな情報やエネルギーに触れるだけで、関係のない人の創造性まで下がることが知られています。

(引用略、職場で部長が怒鳴っているだけで、怒鳴られた本人だけでなく、それを聞いている周囲の人までもが悪影響を受けてしまうという驚くべき結果が出ています)

つまり受け身でダラダラとバラエティ番組をつけていて、20:54から始まるチョイ枠のニュースでネガティブな事件事故を耳にするだけで、脳の生産性が下がってしまうのです。

私はこういった形で触れたくもないニュースに触れるのを一切避けることを習慣にしています。


今の時代は、自分の必要な情報は能動的に拾いに行くのが当たり前の時代です。

見たくもないニュースが勝手に流れてきたら、直ちにテレビを消しましょう。


実際、こうしたネガティブ報道があなたの性格にも悪影響を及ぼしているかもしれません。続きはこちら






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