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結果よりも生き様【小説】「老人と海」(ヘミングウェイ)

最近は小説に興味を持つようになった。
一つの物語の中に、何か人間の真理や生きる指針となり得るようなヒントがふんだんに散りばめられているように感じるからだ。そんないきさつで今回は「老人と海」(ヘミングウェイ)という作品を読んだので、簡単に感じたことを書き残しておこうと思う。

あらすじ

キューバに住む一人の老漁師が84日間もの不漁の後、自らを慕う少年に見送られ、ひとりで小舟で海へ出た。やがて、その釣綱に巨大なカジキが。3日間にわたる死闘の末に捕獲するが、その後にサメに襲われ、獲物を食い尽くされてしまうという話である。

漁に出てから3日。
ようやく手に入れた大魚を最終的にサメに根こそぎ食われてしまう。
自分の肉体もボロボロになった末に。

結果、何も得られずに陸へと帰っていく。

小舟にくくり付けられて残ったカジキは、
黒い塊となった「頭部」と剥き出しになった白い「背骨」と「尾びれ」だけだ。

あまりに残酷な結末ではないか。

散々苦労した挙句、
自分の命をも危険にさらし肉体はボロボロ。
(84日間も不漁の末に、行った漁がこの結果だ。)

不運というべきか、
これが現実というべきか。
世の中の不条理ともいうべきか。

でも、これはこの老人の「生き様」以外の何者でもない。

老人は漁師である。
だから海に出る、
そして漁をする。

ただこれだけだ。
そこに全てを懸けて全力で挑む。これ以上でもこれ以下でもない。

老人にとっての「海」、そして「漁」というものは、
「生きる」ということ、「生き様」そのものである。

そんなことが伺える。

そうなると、「結果」なんて大した問題ではないのではと思えてくる。
今回の漁で巨大なカジキが得られようと、失われようとどっちだっていい。
(もちろん得るために死ぬ気でやっているけれども)

そこは実は些細な問題に過ぎないのではないか。
命をかけて自分の人生を全うする。
ここに大きな大きな価値があるのではないか。

そして、老人は誰に言われたわけでもなく、漁に出る。
どんな不漁が続いても、歳を重ねても、
周りから「あいつはもう終わった」と揶揄されても。

きっと、この物語の次の日も、
何事もなかったかのように漁に出るのだと思う。

そういった結果や周囲に振り回されることなく、
自分の生き様を貫くのはかっこいいし大切なことに思える。

そして、自分がベストを尽くしたならば、結果というのは、
自分ではコントロールできる範疇ではない。

もう運に委ねるしかない。

特に自然が相手とななれば尚更だ。

人間のちっぽけな力ではどうにもならない。

それも全て受け入れた上で、
この老人は自分の人生を生きているのだ。

さて、自分にとっての海とは何だろうか。

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