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素人が源氏物語を読む~いずれの御時にか……ってどんな感覚なの?

そうだ 源氏物語 読もう。読みはじめたら、冒頭すら分かりませんでした。「いずれのおほんときにか」と始まります。

御時、それが治世とか御代のことを意味するのは覚えています。でも、時間って、そんなふうに意識されるものなのでしょうか? 

令和元年だった昨年には平成年間を懐かしむ趣旨のバラエティ番組などがありました。それは御代として懐かしんだ訳ではなく、元号で区切られた期間として懐かしんだのではなかったですか?

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「いずれの御時」というふうに意識されるためには、御代替わりが比較的に頻繁に行われる必要があるでしょう。そして帝が違えば世の中こんなに違うのか、と皆が思えるほど身近な何かが変わっていく必要があります。

葵上の父大臣は葵上が亡くなられた時点で4人の帝にお仕えしたと発言しました。

そこからざっくり、ひとの一生で遭遇する御代替わりは高々10回程度として、その程度で「いずれの」というほどでありましょうか。自分が何歳の頃だし「あの」帝の頃だとサッと分かりそうなものです。

「いずれの」と語り出すためには、自分の人生とリンクしない御代のことも、基礎知識として入っていたのでありましょう。あの頃のひとたち、どれくらいの過去まで知っていたのかなあ。

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そういえば、源氏物語を読んだ一条天皇が「作者は日本書紀をよく読んでいる」とおっしゃったという逸話があるそうですね。

はい、いまちょっとwikipediaと軽い本を見てきました。

発言から逆算すると、一条天皇は漢字ばっかりで書かれた日本書紀(日本の歴史について書かれた正式なものです)を読まれていたことでしょう。

それだけじゃなくて漢文もお詳しかったそうで、枕草子の清少納言がお仕えした定子様とは漢文について語り合う仲だったとか。仲、っていうか、妃なんですけど、妻が何人もいるならそれぞれと違った仲があったかもしれません。漢文は漢詩であったり中国の歴史だったりです。

面白いなあ、と思うのは、源氏物語の真面目男=夕霧くんのことです。光源氏の息子たる夕霧くんは、学問を身につけるべく下のほうの六位スタートにさせられて大学寮にも入れられたわけですよ。有力な貴族の息子たちは最初からそこそこ良い地点から始めて勉強なんかしなくても出世街道を進んでゆけたらしいのに。おっとりとした帝の御時はそれでよさそうですけど。賢者は歴史に学ぶ、ということでしょうか。学問がアレな感じの貴族に囲まれた学問好きの帝の孤独を思うと、ちょっと凄まじいものがあります。

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いずれの御時にか。

治世としての時、というのがまた、イメージできない。

数年で社長が変わる会社のようなものなのでしょうか。社長が変われば勢力のある派閥も変わる。時代的背景も変わっているだろうし方向性も変わる。奢れるものも久しからず。ただ、社長の方針は時代的背景も考慮したものであろかうからなあ、ピタリとは当てはまらなさそうです。

いずれの御時にか。

どんな感じなんだろうなあ、分からないなあ、と思いながら暮らしていると、こんな感じかな、と思えることに出会います。ふたつ、ありました。

ひとつめは、ある咄家さんのYouTubeを聴いていたときです。どなたかが大臣だった頃に、演芸の世界をお好きな方で寄席にその方が来ると楽屋ではどう反応していたとか、あるいはもっと具体的に何らかの恩恵があったというようなお話でした。うろ覚えですが、時代は変わるものですね、という文脈でのお話だったかと思います。

ふたつめは、先日の都知事選です。これまでの顔ぶれから察するに、都民は文化人枠が好きなのかなあ、と思いました。都政に絡んでなかった、つまり現場を知らないひとが突然トップになって、周囲は思いつきで振り回されたりしないのかなあ、誰が都知事だとしても。困るだろうなあ。都の職員とかだったら、誰が都知事の時っていうふうに時代を思い出すことでしょう。任期的にもそう遠くなさそうです。

そういう感じで言ったら、総理大臣と国家公務員なんかもそうかもしれません。どの首相の時だっけなあ、と思い出しそうです。

これで、「いずれの」と「御時」がイメージできそうな感じになってきました。

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このふたつがある前は、「あのミカド、私だったらメロメロにできそう」「私、皇太子のところに行く運命だと思うけど、前の前のミカドのほうが相性よさそうだったのにィ」とか内心思ってるようなガールズへの教育という意味もあって書かれてたかもしれないから、それで「いずれの御時にか」なのかなあ、と思っておりました。

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