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素人が源氏物語を読む~葵03~:週末婚っぽくモラトリアムっぽい夫婦

推理: 妻問婚だが職場・実家・別邸・浮気相手のところに居ることの多い夫と実家住みの妻とでは単純接触効果が発揮されず、親しみ・馴れが生じない。よくいえばいつまでもミステリアスで新鮮。光源氏と葵上の夫婦は目に見えないほどゆっくりと距離を縮めていったのではないか。

◆謎の夫婦のあり方を、納得したかった。

光源氏と葵上のカップルって、よくわからない。ラブラブだったり仲良しだったりじゃないみたいなのに、結婚9年目にして妊娠とかする。もうみんな、あの夫婦は仮面夫婦だと思ってたんじゃないでしょうか。

話のネタの消化試合みたいに読むのは嫌で、なんとかこの2人をナチュラルに読もうと願って、ついに思いつきました。

この夫婦、週末婚でモラトリアムって思ったら、しっくりくる、と。

役に立たない、与太話の類いです。ゆるりとお付きあいくださいませ。

◆早く生めば良いってもんではない

光源氏も葵も、結婚したからといって生活は何にも変わってないんですよ。彼らの場合、所帯を持つという感じにはなってないんです。年齢的にも思春期だし、やってることもモラトリアムっぽいです。

といって彼らがなっとらん、と言いたい訳じゃあございません。ローティーンで妊娠出産を繰り返すことの身体負担の大きさを思えば、それで許されるし、その間に別の女が正妻になる/ならないというトラブルもなかったし、ラッキーだとも言えるかもしれません。

◆週末婚っぽい

光源氏は元服しても相変わらず、父帝に可愛がられてることもあって内裏によくいます。光源氏と葵上の場合の結婚は、夫が妻の実家に通うスタイルでした。葵上も、結婚前と同様に実家に暮らして家族や女房もこれまでどおりに家にいます。どちらにも、独立した感はないですよね。付き合わなきゃいけない相手がひとり増えた、って感じで。

これは週末婚っぽいです。互いに生活があまり変わらないから、夫婦として馴染むのに時間がかかる。ミステリアスな状態が長続きするし、親しみが増すのにも時間がかかる。理想と現実のギャップに気付くのも受け入れるのも時間がかかる。それこそ妊娠するのに何倍の期間を経たのも、しょうがないんです。

◆光源氏の女たちとの距離感、ビフォー → アフター

藤壺に夢中な光源氏。実は年の差だけ見たらほぼストライクゾーンの葵上。葵上に藤壺を重ねてみることもできそうだけど、そうはならなかった。元服後に初めて見る女人が、これまで父帝の権力が後光のようにさしている美少年時代に好き勝手に御簾のなかにまで入って馴れ親しんできた女性たちと違う、って、そりゃそうですよ。勝手知ったる内裏とは違う場所に暮らしてる女の、おそらく初対面で、というだけで堅苦しく隔てがあると思いそう。

あとここは推測なんだけど、内裏で女たちのとこの御簾のなかまで平然と入っているとき、ほかの成人男子は御簾越しにしか話させて貰えない場面になどに遭遇したことがあっても不思議ではなさそうですよね。

そういう事態を少年時代の光源氏がどう理解していたのか。いずれ誰かの御簾の外側にいる男になると知っていても、それは遠い未来のことだと思っていたんでしょうか。

ヒカルの常識=世界の非常識。いいんです、非常識なひとに異様な美しさが備わってるっていう設定はよいです。

初対面のときに、光源氏が葵上に対して感じた堅苦しさは、彼がそれまでに知っていた世界がズレていたからかもしれません。

結婚して左大臣がバックアップしてくれるようになって、頭中将というお兄ちゃんができた。春宮であらせられるお兄ちゃんとは違う、自分と同じただの貴族。左大臣は着せ替え人形のようにじぶんを飾り立ててくれる。左大臣邸はいつも端然とキレイで、自分の匂いがしないから落ち着かない。でも皆で集まれば琴や笛でセッションする。お兄ちゃんも光源氏と同じで正妻がちょっと苦手だ。通う先も少なくなさそうなのに、ときどき内密に出掛けた先で自分を見つけ出すのが不気味だ。葵上は最初で正式な妻だ。タイミングをはからずともコンタクトをとれる筈の、自分の妻だと定められた女。藤壺が好きすぎる今は「これじゃない」感が拭えないけど、いつか馴染んでゆけるだろうか、長い時間の末に。

いつでも会えるから切実に会いたくはならない、これは正妻のハンデかもしれませんね。

◆なぜ御代替わりのタイミングで妊娠?

御代替わりというのは、徐々に進行していくようです。葵上妊娠は何故このタイミングだったのか。

王権復活の物語として読まれることもある源氏物語。貴族にとっては、どの帝の御代なのかは重要であったでしょう。人生の浮沈とも大いに関係します。

あと、これはただの邪推なんですけど
「新年になったし、お心を入れ替えてよ~」とおねだりして葵上との距離を縮めようとした実積のある光源氏。御代替わりなんていったら、どれだけの駆け引きができるでしょう。「御代替わりしたし、初めての夜からやり直すつもりで!」くらいのことは言ってたりしたら、いいなあ。

あと年齢的な話で、ざっくり十代を思春期とすると、二十代は人生の転機になりがちだと思うんですよね。思春期を終えて自分なりの人生を形成してゆく頃というか。

少年時代に未練のある光源氏の人生のなかで十代のうちに、自分から幼少から引きずってた何かを捨てることが出来なかった分、二十代になって運命の力で何かをなくす、ということが必要だったかな、というのは思います。

それで葵の巻では正妻と永遠に別れ、続く賢木の巻では愛人の六条御息所が伊勢へ下向し、父帝である桐壺院も崩御される。十代の彼を取り巻いていた人々との関係が一部解消されます。手札を半分くらい捨てた感じですね。

さて、光源氏の人生は新たな航路と出会うことが出きるのでしょうか。

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