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素人が源氏物語を読む~紅葉賀:白と黒の藤壺、プラス1の意味、滑稽と悲恋のあいだ

紅葉が降り注ぐなかで光源氏が見事な舞を披露するとか、藤壺の第一子が誕生したりとか、各人が昇進するとか、華々しい巻です。

今回は、こんなことを書きます。

あらすじ
白と黒の藤壺
プラス1の軽重
滑稽と悲恋のあいだ

■あらすじ

紅葉の頃にエンタテイメントショーが開催されました。そこでは光源氏の舞が注目を集めます。リハーサルのとき桐壺帝は、最愛の子=光源氏の舞をイチオシの后=藤壺とご覧になります。そのとき藤壺は懐妊してるのですが、お腹の子は光源氏のお胤だと彼女は確信しています。紅葉の降り注ぐなかの本番も素晴らしい仕上がりで、光源氏の舞の素晴らしさにより皆が昇進しました。

藤壺の出産予定日は12月。藤壺が里下がりしてる時期から逆算すると帝との子であれば年内に生まれる筈だったのですが、実際に生まれたのは2月の後半。世間では物の怪のせいで出産が遅れたことになりました。生まれた若宮は光源氏にそっくり。4月に若宮が参内すると、帝も「光源氏と若宮がよく似ている」とおっしゃいます。みなの祝福の声の中で青ざめる藤壺と光源氏です。

源典侍(げんのないしのすけ)という老女を光源氏と頭中将が奪い合います。老人が相手ということで、滑稽話ということになっています。

長い間、空位だった「中宮」(女御のなかから一人選ばれる)に藤壺が入ります。光源氏は参議となります。

■白と黒の藤壺

藤壺は桐壺なきあとの帝によく愛されました。そして病気療養のために里下がりした際に女房の手引きにより光源氏との交渉があり懐妊したのを、帝の子として生んだ女性です。禁断の事実があったのは確かです。しかしそれは禁断の恋であったのかどうか……。藤壺から光源氏に向けた確実に「愛してる」みたいなモノローグとか和歌は無いのです。

彼女は優等生っぽい雰囲気のためか比較的イメージしにくい人物です。私にとっては読むときによって白かったり黒かったり全然印象が変わる人物です。

・白の藤壺

中宮に相応しい清らかな女性。光源氏とのことは苦しく思っている。光源氏個人のことは継母として尊重する。出産後は母としてキリッとする。

・黒の藤壺

帝と光源氏の愛をもてあそぶ悪女。おっとりとした微笑みの下に恋の罪を隠す。ある意味、ダークマザー=弘徽殿女御より怖い女性である。

・リハーサル

帝の隣で光源氏の美事な舞をご覧になります。いつぞやの密会が無かったら、と「夢の心地」します。

白の藤壺のときは、「ああ、旦那と一緒に間男のショータイム見るとか、最悪だよね。こんな居たたまれないシチュエーション、解離しちゃうよね」と思います。

黒の藤壺のときは「帝に愛されて、世にも美しいあの男にも愛されて。人生って悩ましくも甘美だわ」と極上の夢を見るがごとく陶酔します。こっちはハラグロですね。

・出産後の光源氏とのやりとり

和歌のなかで藤壺は若宮(赤ちゃん)のことを「なほ疎まれぬやまとなでしこ」と詠むんです。私は残念ながら古文を読めない。しかし、この2ヶ所(「夢の心地」と「疎まれぬ」)に引っ掛かるのが私だけではないことは確認しました。結論は出てないことになっているようです。

白の藤壺のときは「思いもよらぬ妊娠ではあったけれど、(幼少期からどんな人もメロメロにしてきた)光源氏に似て非常に可愛らしい赤ちゃんです。こんなに愛らしい子を疎ましく思うことなど出来ませんわ」という優等生な発言に思われます。

黒の藤壺のときは「どうしても無心に可愛いとは思えないのです、遠ざけたい気持ちは拭えないのです」という非常にツラい、しかし類似の苦難を抱える読者にとって救済になるのではないかという衝撃の心情吐露です。この少し前の場面に「藤壺、覚醒」と名付けたいような場面があるのですが、そこの気高さからの振幅が魅力的になります。

・藤壺、覚醒。

これは白も黒も好きも嫌いも無く「藤壺、かっこいい」、と惚れ惚れするシーンです。何度読んでも、ここの印象は変わりません。

出産にむけて、藤壺は思い乱れます。秘密がバレたらどうしよう。いやいや、そんな息子のためにも私が生きてしっかりしなくては。でも憂き世が続くのは、もぉ嫌だな……。

今回の出産に関しては、ライバル=弘徽殿女御が呪いをかけていました。右大臣方面のマジカルなパワーをも使いこなそうとする意気込み、凄いな。それを聞いた藤壺が覚醒します。

ふっ……、あんな女に呪われて、……死ぬ?  あいつら、私が死んだら喜ぶの? へえ……、そんなこと、させない。絶対、負けない!!

この、闘う感じ、どうですか。呪われたら容易く死んじゃいそうな女の子が多いなかで、まあ今回も安産のための祈祷は為されはするけれども、当人が「死なない!!!」って決めるんです。

・藤壺=リトライ

さすがリトライですよ。帝の愛した女で光源氏の実母=桐壺は心労で死んだ。藤壺はその身代わりと言われますが、わたしは再試行と呼びたい。同じ失敗は繰り返されない。藤壺という実験では、ケース桐壺では為しえなかったことを、やり遂げるんです。そうでなくして、どうして悲嘆の日々があったというのか。

藤壺は桐壺みたいに心労で死んだりはしないんだろうな、という予感をさせますよね。まあ、ここにあるいは帝の宿願の深さというものを感じたりもします。


■プラス1の軽重

いちおう確認です。平安は数え年です。生まれたら1歳で、みんな正月という同じタイミングで歳をとってました。誰にとっても「1歳大人になりましたね、おめでとう」なわけです。

サラッと書かれてるけど、点と点をつなぐと星座になります。なっている気がします。こんなふうに色々探ってみるのも、源氏物語を読む楽しさかと思います。


・加齢

光源氏19歳の正月、不思議なほど「ひとつ歳を重ねたのだから、こうなってほしい」と周囲の女に声を掛けます。

ひとつ前の巻「末摘花」の最後の正月は、この巻の正月と重なります。新年最初に末摘花に逢いに行ったときには、こう言います。
「これまではシャイで一言も返してくれなかったけど、今年はひとつ大人になったのだから、一言でも返してくださいよ」
そうして末摘花はほんとに一言返します。

葵上には「新年だしもう少し夫婦らしく仲良くするように、お気持ちを入れ替えてくださったなら」と。葵上には、光源氏の住まいである二条院に女を隠しているとの噂は届いています。それで嫌気していながらも、冗談には笑って返したりしてくれるのです。2人の距離に少し変化が見られます。

紫の君には「新年になって、少し大人っぽくなりましたか?」と声を掛けます。まだまだお人形遊びなどしていますが、光源氏と夫婦になることを漠然と想像したりしているようです。可愛らしい成長です。

・昇進

光源氏は紅葉のなかでの舞が評価されて三位になっています。翌年7月には参議になっています。殿上人から上達部へと、ひとつ進みました。

同じ7月のタイミングで、藤壺は中宮になりました。彼女もひとつ階級を上がりました。これまでは複数いる女御のひとりでしたが、中宮は原則的には1人だけのポジションです。

この辺は本当に「ついで」みたいにサラッと書かれてるんですが、政治劇として読もうとするなら、重要なポイントです。帝の思惑はどの辺にあるのでしょうか。


■滑稽と悲恋のあいだ

前の巻「末摘花」は、光源氏と頭中将というイケメン2人が熱心に口説いていた故常陸宮の娘がブサイクだったために滑稽話とされています。

「紅葉賀」の最後の方に、付け足しのように書かれている源典侍(げんのないしのすけ)の挿話も滑稽ということになっています。教養があり色好みを解っている女性を争って、光源氏と頭中将が喧嘩をします。この挿話は、源典侍が老女であるということで滑稽話とされます。

女優の森光子さんがジャニーズの男の子たちに大事にされてたみたいな感じで、滑稽というより女子のドリームな気がしますが。

滑稽と言われる末摘花と源典侍とで共通するのは、女1人が2人の男性から求愛されたり愛されたりする組合せです。

そして、この組合せは藤壺ー桐壺帝ー光源氏にも見られます。

滑稽話2つに挟まれた藤壺の悩ましい板挟み。この配置には何の意味があるのでしょうか。藤壺のケースは滑稽話としては扱われていないようですが、女を中心にした三角関係が3連チャンなのです。ありがちなケースとしても、ここまで連ねるものなのか。なにか意図を感じてしまいます。3度も重ねたことで際立つのは、滑稽話との対比なのか類似点なのか。あるいは、紙一重なものを分ける文脈をこそ知れと言っているのか。

両者の間には、深い溝があります。

本日も長い間おつきあいくださいまして、ありがとうございました。

また、いつか、どこかで。

P.S.

時間があって更に何かを書くならば、この巻には着せ替え人形を可愛がるような愛のバリエーションが幾つか書かれているので、その辺ですかねえ。左大臣家は光源氏が寄り付かないことを嘆くだけじゃなくて「絵合」みたいに光源氏が居残りしたくなるような雰囲気作りをするべきだったと思うのよ。

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