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素人が源氏物語を読むーー身分違いの恋、下からすれば男もつらそうーー

『源氏物語』のテーマのひとつに「身分違いの恋」があります。少女漫画とかで鉄板のパターンです。

いまならセレブや芸能人と恋する庶民、って感じなんでしょうか。

この辺は、私はまだ態度を決めかねています。

今日この頃のことと置き換えたら、ときめいてキュンキュンします。今日とは違う世界での話と思えば、負荷はかかりますが世界観に近づけそうです。どちらも理解の一助となるし、それぞれ何かをロスします。

どちらでも、読める。そういう意味では『源氏物語』は読み手フレンドリーな作品だとも言えそうです。

身分、よく分かんないなあ。そのことを残念に思い、帚木3帖を読み返しています。

いまの時点での理解です。身分は、

家柄 × 財力 × 芸事スキル

のように見えています。

家柄は位、
財力は邸宅の趣向や教育費用、
芸事スキルは、和歌のやりとりや楽器によるセッションやダンスなどの技芸です。

彼ら、突如和歌のやりとりをして感情を乗せたり演じたりします。あるいは急に合奏をしたりします。

……何なんスか。日常でミュージカルをやってるんスか? と書いたら、問いに答えようとする私がいる。ミュージカルが歌劇であるように、『源氏物語』は歌物語なのですよ、と。

身分違いの恋の辛さを考えてみる。

地位が違う場合 → 階級が違うと会いにくいようだ

財力が違う場合 → 援助されれば出してもらえるかもしれない。でも、教育のされかたにも大いに関係あるのが財力。楽しみかたが違うと時間を共有しにくい。

芸事スキル → これは教育レベルの線引き/足切りとして機能してそう。

雨夜の品定め、に見る、男もつらいよ。

漢籍(当時の公式な文)を指導してくれた女に恩は感じても妻として長く付き合いたい相手ではない。と言った藤式部。家がそんなのってくつろげないよ、と。

不意に訪ねてきた自分以外の男との和歌や楽器の緊急セッションを見事に決めた女。確かに凄いけど引くわ、と言った左馬頭。

同じく左馬頭の発言。「和歌の巧い女が、時を構わずに和歌の手紙を寄越すのとか無理! みんながウマイ訳じゃないんだし返事できないから!」

これらに共通するのは。男側が教育格差の下にいることです。下にいるのって、男もつらいのですね。

まあ、光源氏&頭中将にしてみれば、自分の眼鏡にかなうものはいない、という辛さがあるのでしょうが。

はああ。みんな、辛いんだなあ。足ることを知らないひとたち。その辺は、今でも、っていうか、ひとの本質でしょうか。

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