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100人中100人に好かれる必要はないけれど、100人中10人には好かれないとダメ。

「人に嫌われるのが怖い」っていうタイプの人は一定数います。

そういう人は、とにかく八方美人で自分というものを押し出さず、常に他人の意向を気にして自分の感情・欲求を抑え、行動も変えていく。

100人の人がいて、100人の意向を聞いていくのは無理だし、それが1000人だったらなおさら無理。

そもそも、真っ当な大人だったらね、自分というものを持たずに他者におもねるだけの人間と仲良くなりたいとは思わないし友人になりたいとも思わない。

そもそも、そんな人間とコミュニケイトしたって楽しくもないわけで、「誰にも嫌われないように生きる人」は誰からも好かれないと言って良い。

けどね、逆に、誰にもおもねらず自分の生きたいように生きる人であっても、暴虐無人であってよいわけでもない。

人間は、誰も訪れないような山の奥で1人でハンティングでもしながら自給自足をするのでもない限り、完全に1人で生きるのは無理です。

誰かとコミュニケイトしなければならない。

少なくても「嫌われてはいない関係性」を築かないと、日々は安定しない。

なのでね、少なくても10人に1人、100人に10人、1000人に100人くらいには好かれる人である努力はするべきですね。

母数が1000人あれば、50人くらいでもいいけどさ、「気難しい・偏屈・変わり者」って言われる人でも20人に1人くらいの人には好かれる人間でないといかん。

じゃなければ、圧倒的な芸術的才能とか、太い親からの資産があるとか、投資して成功とか、世界の全てと没交渉でも生きていける理由・条件がないとよろしくない。


何度も書いてますが、私は高校まで心を開いて付き合える友達がおらず、そもそも今思い出しても嫌になるくらいのイヤなやつだったわけです。

でも、「マジでそれじゃいかん。悪いのは世界ではなく俺だ!」ってことに18才の高校卒業間際に気づいて、一浪して大学に入ってから新たな人間関係の構築と新たな人格形成につとめました。

まあね、すげえイヤなやつだった人間が、そんなにいきなり良いやつになれるわけもなく、それから相当に痛い目をみながら、それなりの長期間修行を重ねていきました。

で、まあまあ仲良く出来る友達が出来るようになってから30年近く経ったわけですが、最近しみじみ思います。

私の成人する頃からの人生の出発点は、「俺は性格が悪いし人当たりも悪い。だから仲良くしてくれる親しい人間もいない」っていう自己責任としての内省・反省と、「仲良くしたいと思い、仲良くできる友達ができたら、そいつらとは一生仲良くしていけるように、大事にしていこう」っていう明確な目標設定にあったんですね。

人間関係における明確な反省と目標設定から、成人後の日々は始まった。

なので、子供の頃から友達がたくさんいるような人とは意識が違うし、特に性格が悪いわけでもなく仲良くしてくれる友達がいないわけでもなく、漫然と人間関係をやりくりしてきた人とは明らかに意識が違う30年を過ごしてきた。

18才の時に、少なくても人のせいにせず、親も世間も先祖も呪うことなく、「俺が悪い。俺に責任がある。だから自分を変える。変えねばならない」って自己決定して、自分の責任と努力と成長と、プラスある種の自分に対する諦めを持つことによって、今日まで来れたのは幸福でした。

ちなみに18才以前は「俺に親友が出来ないのは、俺の周りに親友に値する人間がいないからだ!」ってことを当たり前に信じてました。アホですw

「マイルドヤンキー的地元の仲間」みたいな関係がずっと続いている人ならば友人関係に苦労することもないでしょうが、そうでないおっさんで用事がないのに電話できて、用事がないのに飲みを誘える関係が何人あるのでしょうか?

友達がいなくても、家族や子供、親しい親戚なんかがいればいいですが、友達も家族もいないおっさんが、仕事をやめた60才から80才までの20年間、どうやって楽しく生きられるのか?って言ったら、解決策は見つからない。

飽きることもなく、体力と気力が低下してもハマり続けられる趣味とかあればいいですが、そんなもんあるか?

読書が好きな私ですが、老眼がはじまって近くのものが見えないので、マジで恐ろしいほど読書量が落ちているわけですが、この先、体力全体も落ち、目が悪くなり耳も遠くなり、食欲も落ちて世界に対する好奇心もなくなった時、テレビを見る以外に1人で何をするんだ?って話です。

友達がいれば、会って酒でも飲める。酒が飲めなくなってもお茶を飲みながら昔ばなしを出来る。

長く続いている友人のありがたみは、何度も何度も話している昔ばなし・思い出話をしても一向に飽きないし、ずっと楽しいということです。

これは、若い頃には全く思いもしなかったこと。

それは、本当にありがたいことでした。


そして、子供がいて、孫がいたりすれば、その子の世話をして成長を見れるだけで人生に飽きている場合ではなくなる。孤独もクソもありません。

若い人も年を食った人も、自分の人生を守り豊かにするために、そして時に誰かの人生を守り豊かにするために、人間関係は大事にした方がいいですね。

誰かが言ってました。

縁があるないというのは、天の配剤、運命であり、正に御縁次第。けど、頂いた縁をつなぎ太くしていくのは自分の努力次第。

「人脈」という、人間関係をメリット・デメリットで測るような言葉は好きではありません。

自分にメリットをもたらす人との関係しか人脈って言わんでしょ?

でもね、「自分が好きな人と長く付き合いたい♪」って思いをもとに誰かとの御縁を守り強化する時、たまにデメリットのようなことがあっても、そんなんは気になりません。

好きな人が困っているんだったら、カネや時間や労力をかけても、お手伝いしますよってのが人としての人情。

で、そういうことを当たり前にしたいと思える人と、御縁を繋ぎ太くしていけばいいんじゃないですかね?

無理はする必要はないけれど、大好きでかわいい赤ちゃんには、ミルクをあげておむつを交換して抱っこしてやらないと、スクスクとは育ってくれません。

やらなければいけないけれど、やりたいからやる。

で、自分の子供を人脈とは言いません。

好きだから何かをする。

人間関係は、そういう感じでやれたら素敵ですね。

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