嫌いなタイプの人間

「えらそうな人」の解像度を上げる試み

自分の嫌いなタイプは「えらそうな人」だ。幼稚園、小学校、中学校、高校…人生で色々な人と出会い交流するたび、この考えは強固なものになっていった。ここ数年はこの軸をもとにして父親に対してもはっきりと嫌悪感を抱くようになったり、最愛の(※2024年7月7日現在)恋人に対しても思うところが出てきたりした。
ふと考える。「えらそうな人」とは一体どういう人のことなんだろう。私は何に対して強烈な拒否反応を示しているのだろうか。

まず他者を侮るところから始まる

人間どうし能力や性格などに差があるのは当たり前である。その差によって他者に対して見下すという感情が生まれてしまうことも理解できる。
しかし、そもそも自分以外の他者を(ほんのり)侮っていて、たまに尊敬するような人は本当にいけ好かない。その逆で、基本的に他者を(ほんのり)敬っていて、たまに見下してしまうような人には共感できるし、まだ好感を持てる。

前者のひどい例は私の父である。何につけても絶対的に自分が正しいという軸で動いており、自分の考え方を疑うような素振りは今のところ見たことがない。自分より優れた人間がいることは認めているものの、大多数の人間のことをバカにしている。すぐに人を判断しほぼ100パーセント貶す。他者を判断するときにまず粗さがしから始める。父とは職場の人間の話、テレビ出演者の話などをよくするが、ほぼ決まって「周りの人間はバカばかり」「自分は人よりも優れている」「自分もこの優れた人と同等である」という結論に至る。両親の関係性をみても、父は母を完全に侮っている。二人の会話などから、母を子供や召使いと同じに見ているようだ。親子の間に上下関係があるのは分かるが、夫婦でもこんなことになるのかと愕然とした。

そんな人と関わっていると

まず人を侮るところからスタートする人との会話は驚くほど楽しくない。堂々と自慢はするものの、人の成功体験はこき下ろしたり曲解したりする。

そしてこういう人は十中八九自分のことも下に見ているだろうなと嫌でも思ってしまう。だって基本的に人のことを馬鹿にしているんだもの。そういう人と関わっていくうちに知る、自分に対する行動や発言を鑑みると、やっぱりこの予想は当たっていることが多い。

人を見下しがちな人の考え方

人を見下しがちな人を嫌いな理由は、他者を評価するときに「自分」を絡めるところが傲慢だと感じるからだ。考え方の軸として倫理的に良いか悪いかよりも自分と比べて劣っているか否かが強いように思う。この人の××なところは○○だからダメだよね、で終わればよくないか。よって、自分より劣っている(ドドン)という結論になぜなるのか。
自分は他者を見下しがちだなーっていう人、違ってたらごめんなさい。

自分の世界には「見下しがちな人」をできるだけ排除したい

対等な関係を築くのは難しくても、まずお互いを尊敬し合う状態が理想だ。
見下しベースな人は、そもそも相手を尊敬する気持ちが弱い。
そういう人は私の狭いコミュニティ(友人関係、恋人関係)にはあまり居てほしくない。

そして最近、人を見下すことと尊敬することは背反しないという意見をもらった。たしかに二つの感情は両立するだろう。
だが、どちらを中心にして動いているかによってその人と距離を置いたっていいはずだ。







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