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【為になるんだか成らないんだか!】 その六

「豊かさとは・・」

例によって白川先生の「豊」の解説である。
白川静『常用字解』
「象形。食器である豆の中に黍稷(きび)の類を盛って入れた形。脚の高い器の豆の中に多くの黍稷を盛って供える形が豐で、“おおい、ゆたか” の意味となる」

豊かなる量のお供え物の様子。
うーん!さすが!だんだんそう見えてくるから不思議だ!

豊かであることは「自分のため」でなく「ご先祖供養にこそ」
豊かな食材をお供えして敬うといったところだろう。

現代の私たちは「自分が豊かどうか?」を問う。
愛する家族や親兄弟、大切な仲間が豊なら幸せなのだ。

西郷隆盛は青年期、吉之助を名乗り親兄弟ともども貧乏の中にいた。
薩摩の同じ集落内にはあの大久保利通もいて幼少から仲が良かった。
大久保家はお家事情からさらに貧困だった。毎日食うにも瀕していた。
そんな時、3歳年上の幼馴染の西郷は黙って自分の家の
食卓に大久保家の席を空け、親兄弟もそれが当たり前の事として
受け入れ食を共にしていたという。お互い様なのだ。
大久保の西郷贔屓はこの恩にも関与していたことだろう。

また、仁徳天皇はある日御所の高台から民の様子をご覧になり
炊飯時の立ち上る煙の少ないことに心を痛め、民が苦しんでいると
3年間租税の免除を広め、後に炊煙がたくさん上がったのを見て
安心し「世は満足しておる」と安堵したという。
何というお心遣いか!

後世、不勉強な歴史ドラマの中で
「うーむ!余は満足である!」とテメーの満足を現す言葉に
引用していることは歴史ドラマの軽薄さの表れでもある。
「世の中はこれで満足できいているようだ・・」が正解説である。

ことほど左様に「豊」とは自分以外の大切な人々をして
そう成させる、という意図を指す。
こういう教育は戦前は当たり前のように「教育勅語」修身教育によって
子供のころから皆教えられ、敬いの気持ちを自然に持つようにしたのだ。

教育勅語=軍国指導主義などとたわけた事を抜かす教育者が
たまにいることの無学・不勉強さが本当に情けない。
又、堂々と今こそ、そのような逸話に即した勅語を知らせばこんなバカな
政治家や利権者も生まれまい。
それこそ「豊」なる教育なのだ。
人を敬い社会貢献できる人間とは
自然にそのような教育の中で育てば自ずと立派な人間になる。

学問はそのためにある。吉田松陰はその厳しくも教育者の叔父より
徹底した文武教育を受け、
なんと7歳にして藩校の教師を務めたのだ!
並みいる藩士たちが7歳を師と仰いだのだ。

年齢ではない。凝縮の期間なのだ。天才の要素もあろうが、
実にそれは、何をなすべきかが物心ついた時から腹に据わった当時の
日本人の生き方だったのだ。
それを聞いて驚くことは、いかに現代の我々が情けない教養しか
身についていないかの証明でもある。
学歴偏差など飯の役にも、身を立てる仕事にも、役になど立たない。

「私に期せずして公に期すべし」
自分のみの保身のためではなく、まず、社会のために何ができるのか
それが先達たちの生き方なのだから・・・。
その先に「豊」の意味が見えてくる。
我々だって彼らの子孫なのだから。

やればできる!




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