増量→減量の不思議:日本とアメリカ(1)
いくら食べても太らなかった時期
大学時代には、時間があったら自転車に乗っていた。信号が少なく、州全体に坂がない地形だったので、とても気持ちがいい風を浴びながらいつまでもどこまでも漕いでいた。気がついたら1日100キロぐらい乗ったりする。
そのせいもあってか、食事はお腹いっぱい食べるのが当たり前だった。出されたものは全て食べるように育てられた僕は、見たことのない量の付け合わせのポテトフライも残さず食べた。当時のレシピ本にあるディナーの肉の量は一人前1ポンド(450g)ぐらいが珍しくなかった。
しかも、栄養士の母からしっかりと野菜を摂るように言われていたので、生野菜を大量に食べていた。胃がポンポンになるまで食べるのが当然だったのだ。
それでも自転車にずっと乗っていた時代は体重は70キロぐらいで、脚の筋肉が発達している以外は、上半身は肋が見えるほどに細かった。
結婚してからは
結婚してからは、脂が苦手の家内に合わせて、外食時以外はポテトを食べなくなった。長距離自転車に乗ると心配するので、車に乗ることが増えた。二人で一人分の値段で食事ができるクーポンブックを購入したので、外食が増えた。ところが食が細い家内は、巨大なアメリカの食事を半分も食べられず、余った料理を僕に食べさせるのが習慣になった。僕はアメリカの巨大な食事を一人半前食べるのが当たり前になったのだ。
いくら食べても太らないのが当たり前だった時代なので、それでも完食していた。
流石に少し体重が増えては来たが、義兄たちを見ると丸々と太っているので、全く目立たず家内もむしろガリガリであるより好ましいと思っていたようだ。
日本に帰国する頃には、80kg になっていたが、体重のほとんどは脚の筋肉に集中していてちっとも太っては見えなかった。
日本の食事は肉の量がはるかに少なく、二人ともいくら食べてもお腹が空いていた。結果大量の米を食べるようになった。
翻訳を始める頃には家内も国際学校に就職し、残業が多くなって食事が遅くなって彼女が体調不良になるので外食が増えた。相変わらず僕が1食半以上食べるパターンが続いた。
翻訳のペースが上がり、睡眠を取らずに作業するようになったら、眠気覚ましにコンビニのおにぎり、サンドイッチ、スイーツなどを食べるようになった。とにかく何かを食べていないと眠くて作業を続けられない。しかも、週末も真夜中もなく厳しい納期が続く。生活習慣が似たハッカーたちにも肥満が多いが、眠らないで食べる、これが一番悪かった。一番重くなった時には114キロにもなり、糖尿の父が遺伝しないか心配していた。
結果、腎臓結石で入院した。糖が出ていたのに、病院食ではカロリーの大半がご飯だ。糖尿が心配でご飯を減らしてくれと言ったが聞いてくれないので自分で残すようにしたら、一週間の入院で体重が5キロ減った。二ヶ月後の検診では糖も正常になっており、糖尿病って治らないのよ、と母が驚いていた。
入院で反省した僕は、家中のパントリーにあった白米、漂白小麦粉、砂糖、食塩、を玄米、全粒粉、黒砂糖、海塩に置き換え、おやつも食べず仕事の合間の食事の中心は、玄米ご飯に納豆、キムチ、生卵にした。そのまま一日2時間ほど坂道を歩いてみたら、なんと大量に汗をかいたせいか一日500gずつ体重が減っていったのが高血糖克服の鍵だった。
仕事の量を元に戻したら、2時間も歩けなくなったのでどうせ汗をかいたら体重が減るのならと、半身浴をしながら睡眠をとるようにしたら、500gまでは行かなくても数百gずつは減量するようになった。
しかし、90kgぐらいまで体重が減った頃には、汗が出なくなり半身浴をしても体重が減らなくなった。
体力はあったが、24時間体制で翻訳をし続けているとこれが限界だった。それから何年も同じ生活が続いた。