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肩幅の広い方求む。

今日は、土曜日、昼過ぎに散歩に出た。アパートの鉄骨でできた階段を、二階からカンカンカンとかかとの硬い靴で降りて通りに出た。

暑くも寒くもない、晴れたり曇ったりの午後だった。ポケットに手を入れて町場へ向けて下を向いて歩いている時、ふと道端に見つけた2、3cm角ぐらいの石ころを蹴って、側溝にシュートしてみた。
ポトッという鈍い音と共に、流れる水の中へ落ちていった。あぁ、あの石はこのまま、ずっと、側溝を取り替えるまであそこに沈んでいるのだろうか?それとも、最近の豪雨で流れが速くなった時には、あの石も流されて下流へ行きつき、やがて海へ戻るのだろうか?
そんな事を考えながら、サッサと足を町場へ向けて歩いていく。

また、手頃な石を見つけて蹴ってみた。右利きの僕は、石を蹴るのも右だ。まっすぐ蹴ったつもりが、右足の小指辺りにあたり、その小石は右へ見事なカーブを描き反対側の側溝へ向かっていった。
右側の側溝に石が落ちたかと思いきや、側溝の縁に落ちていた手のひらサイズの折り紙のような紙ごみに命中し、石はそこにとどまり、その紙ごみが、衝突の勢いでバランスを崩して水の流れる側溝へ音もなく落ちた。別に狙ったわけでもないが、そういう事になった。

駆け寄り、側溝を覗くと、その紙ごみは、紙飛行機である事が確認できた。誰か、子供が折った紙飛行機が落ちていて、そこに命中し側溝に落ちたのだ。あまり精巧なできとは言えない、折りが戻りかけていた紙飛行機は、側溝を流れる水の上に浮かび流れに乗ってどんどん下流へ流されていく。

飛行機は、空を飛んで遠くまで行く物なのに、皮肉な事に、飛ばしてもあまり飛距離の伸びそうにないこの飛行機は、水の流れに身を任せてぐんぐんと流れてゆく。まるで、急流下りの船のようだ。どこまで行くのだろう。
思わず、その紙飛行機の行方を追うように小走りになって側溝の先を急ぐ。

とうとう、その紙飛行機は、側溝の蓋がしてあるトンネルに入ってしまい、これ以上追いかける事ができなくなった。あの紙飛行機は、この後どうなるのだろう?と行く末を少し案じている自分がそこにいた。

しばらく歩いて、町場へ向かううちに、紙飛行機の事はすっかり忘れていた。高台から町場へ降りる石作りの階段があり、そこから遠くを見ると湾が見える。雲が出ているが、空は意外に高いので視界は良好である。対岸がうっすらと見える。雲間から日差しがさすと海をキラキラと照らしているのがわかる。

階段を降りて、路地を曲がってしばらく住宅街を歩き、ポツポツと空き地や、駐車場が出て来て、事務所や、小さな工場もちらほらと見えて来た。
右手の小さな工場の方から鉄屑と油の混ざったような匂いが漂って来て、ガチャン、ガチャンと規則正しい音が道路側に響いている。

その小さな工場の隣との境の隙間から、野良猫がのっそりと出て来た。白地に大きな黒の斑点がいくつかあり、左目の周りは、パンチを喰らったような黒斑点がある。結構いい生活をしているようで丸々と太っている。
こっちをいぶかしげな様子で覗き見るように振り向くが、僕を危害を加えるようなヤカラではないと判断したようで、進行方向へ向き直って知らぬふりをして、そそくさと道を横切って、左側の家と家の隙間に消えていった。

その少し先、左手からは水が小さな落差で落ちて勢いよく流れるような音がする。上の方から流れて来た側溝の水が、町場の川へぶつかり、合流する地点である。その水の流れる音に目をやると、先ほどの紙飛行機が町場の川へ合流する手前で側溝にゴミ取りのために嵌められた鉄柵に引っかかって水に踊らされている。

あぁ、と僕は理解した。さっきの側溝は、トンネルを通って階段の落差を下り、町場のこの川にたどり着いたのだなぁ。
それにしても、その紙飛行機が形を残して、水に踊らされているのを見て、何か可哀想な気がして来た。なので、僕はそこへ手を伸ばして、びしょびしょに濡れた紙飛行機を拾い上げた。

これは、新聞の折り込み広告を使って作った物だろうなと感じた。紙質が良かったせいで、水の上の長旅にもかろうじて耐えて、印刷の文字もなんとか読める。その紙飛行機の折りを戻して、開いてみるとそこに現れた文字は、「肩幅の広い方求む。」と書いてある。

「肩幅の広い方求む。」?
え、意味がわからない。即座に、好奇心の強い僕は、その意味を知りたくなった。他の小さな文字は、カスレていてはっきり読めない。広告の主題が大きかったのでかろうじて読む事ができたのだ。
それにしても、「肩幅の広い方求む。」ってなんの職業なんだろうという疑問が頭の中に充満する。充満した疑問は、いくら考えても、一向に解決策が思い浮かばない。

そんな事を考えながら歩いているうちに町場の中央通りに突き当たった。そんなに大きな街ではないが、歩道にはアーケードがかかり、一応バス通りでもある。こよのうな時代だから、個人商店が商売を続けて行くのは容易な事ではないのだろう。また、高齢化の波もご多分に漏れずこの地域にもやって来ていることをひしひしと感じる。空き店舗が目立ち、シャッターが閉まっているところも結構ある。その中でも、移住して来た若者が、町おこし的に始めたカフェや、昔ながらの個人事業のスーパー、金物屋さん、お団子屋さんなどなど、なんとか生活必需品はこの商店街で揃うような機能はまだ残っている。ポケットに入れた千円札を確かめながら、今日の午後を過ごす、昭和風のカフェを目指していた。

このカフェは、60過ぎの親父が昭和の頃からこの商店街で営業を続けて来た昔ながらのカフェである。カフェというより、喫茶店といった方が合っているかもしれない。アーケード商店街のはじのほうにある。
特に、今時の流行り物は置いていない。深煎りのコーヒーは、ストレートで、ミルクやお砂糖を入れずに飲むとスッキリしていて美味しいと思う。お酒よりも甘い物の方が性に合う僕は、親父の奥さんが作るクラシックショコラが好きだ。

その喫茶店の戸を開けて中に入り、通りが見える窓際の席に座った。店内は、4人掛けの席がいくつかある程度で、窓際は、私の好きな席である。このようなところなので、一人で窓際の4人席を、コーヒー一杯で過ごしても、何も言われないし、店側の親父はお構いなしだ。

南面に向いている窓越しに明るい日差しが入るこの頃は、居心地が良い。
いつものように、深煎りコーヒーを注文して、窓の外を眺めていた。人通りはまばらだし、車の通りもそれほど多くない。窓越しに外を眺めていると意外に外の音は聞こえず、ゆっくりと時が流れて行く無声映画でも見ているようである。僕は、慌ただしくもなく、かといって、無表情でもない、何気ない街の様子をボーと見ている事が、結構好きである。

少しの間、街並みを眺めていた時、遠くの方から大型車のエンジン音が近づいてくるのに気がつき、目の前を通り過ぎていくのを眺めていた。一時間に一本もあるだろうか?隣り町へ行く路線バスが通ったのだった。そのバスの側面に貼られている宣伝の看板が目に入って来た。そこには、「肩幅の広い方求む。」という文字が、連絡先と一緒に出ていた。一瞬の出来事だったので、連絡先を書き留めたり、記憶するまもなく通り過ぎていったのだが、確かにあの「肩幅の広い方求む」の文字だった。

僕の中では、今日一番の一大事であることを悟り、頭の中で居ても立っても居られない感情が湧き上がり、まるで神様から頂いたお告げであり、使命でもあるかのような気持ちになった。

思わず店の親父に、「肩幅の広い方求む」って言う広告を知っているか尋ねてみた。が、全く心当たりがないとのつれない返事。折角土曜の午後、この居心地の良い喫茶店で本でも読みながら夕食前まで過ごそうと思っていたのに、このままではいられない感情に動かされて、500円のコーヒー代を払い外に出た。

僕は、気がついた時には、その通り過ぎたバスを探してその広告をもう一度見るために、街のバスターミナルを目指して足早に歩いていた。きっと、バスターミナルに行けば、あのバスはまだ停車しているに違いない、と確信していた。バスターミナルは遠くない。歩いても数分である。でも、足早、いや、気が急いて小走りだったせいもあり、かなり心拍数が上がっている事に気がついた。もしかしたら、小走りによるせいというよりも、まるで探偵になったような気分で、ちょっとしたスリルでドキドキしていたのかもしれない。

あ、あのバスである。こんな小さな街なのだから、バスは何台もあるわけではないし、さっき通ったバスであると直感的に判断した。
ところが、先ほど見た向きとは反対に停車しているのだから、自分が回り込んで反対側へ行かなくてはいけない。頼むから、あと少し、バス停に留まっていてくれと願いながら回り込んだ。

あった!あの看板が!
「肩幅の広い方求む」と、そして、下の方に隣り町の住所と会社名、電話番号がある。会社名は、(有)佐野八とだけ書いてありそれを記憶したや否やバスは出発してしまった。数字や記憶は大の苦手なので、その会社名をなんとか頭に焼き付けておく事に専念して、隣り町の番地と電話番号は頭の片隅にも残っていなかった。

さてどうしたものか。僕にとって、今日の一大事である。もしかすると、夕食を抜きにしても、この「肩幅の広い方求む」という意味の謎をなんとしても解いてみたいという気持ちが湧き上がって来た。
決して、僕自身は肩幅が広いわけでなく、求むという事は、きっと求職広告なのだろうから、僕には、今、全く関係がない。
でも、この意味不明な求職案件の謎を解き明かさずにはいられない衝動に駆られている。これは、僕の中でここ最近起きた、一大イベントのように思えた。

(有)佐野八とは、なんの会社なのだろう。名前からして、結構老舗のように思える。どう考えても、最近流行りのITだの、DXだのカタカナ文字が関係する職業ではなさそうである。やはり、力作業を必要としている仕事なのだろうか?でも、力があるのと肩幅とは関係がない。考えれば考えるほどわからなくなり、益々、その広告の意味を知ってみたくなった。無性に広告主に意味を聞いてみたくなった。きっと自分には全く関係ない職業なのだと思うけど、それを突き止めてみたいという衝動は、益々募るばかりである。
ならば、隣町へ行って(有)佐野八を探して扉を開き直接聞いてみれば良い。でも、肩幅が広くはない、そして、別に転職を考えていない僕が、何を理由に、訪問すれば良いのだろう。
全く、訪問するキッカケが、糸口さえも見つからない。訪問して、自己紹介して、そして、「肩幅の広い方求む」の意味を教えてください。でも、私は関係ありませんが、、、なんて会話は、成り立たないと思い始めた。先程の、興味の頂点から湧き上がって来た知りたいという衝動から、少し不安な気持ちに変わって来た。

もしかして、怪しい仕事の募集だったらどうしようという心配も出て来た。扉を叩いて中へ入ったら最後、その筋の方々に囲まれて身動きが取れないようになったりしたらどうしようと想像し始めた。

そうこう思案しているうちに、日差しも傾き始め、もうしばらくすれば夕方を迎える時間になる。先程の疑問を解決するためのほとばしる情熱もやがて、心配の方が優先されて、夕闇に紛れて薄れてしまいそうである。
僕は、今、決断が必要であると察していた。このような時は、迷わず先へ進むべし!である。心の中を支配しそうになった恐怖心をグッと抑えて、問題解決へ向けて突き進めと心に決めたのである。

一度決めるとやる事は明快で、早い。隣町行きの次のバスに乗って行ってみよう。街を歩けば、きっと(有)佐野八は見つかるだろうと思った。現金はあまりないが、交通系電子マネーを使えば乗れるので、帰りは心配がない。

そして、一時間ほど待ったあと、隣町行きのバスに乗った。
隣町も僕の住む町と似たような作りで、アーケード街が中心街として一つある。アーケードといってもその通り全体を屋根で囲ったもので雨風をシャットアウトするような大規模のものではなく、真ん中には自動車道路があり、商店の歩道上に屋根がついているものである。なので、行きは右側を歩き、アーケードの先で歩道を渡って、帰りは反対側を歩いてくれば一通り歩くことができる。きっとそこをひと歩きすれば、(有)佐野八を見つけることができるだろうと思った。

バス停を降りてアーケードを歩き始めて少し行くと、右手に例の(有)佐野八があった。いとも簡単にその場所を突き止めることができて、少しあっけない気分であった。これで、問題解決とまで思うほど気持ちは一瞬楽になった。がしかし、本番はこれからである。その扉をあけ、例の「肩幅の拾い方求む」の意味を聞かなくてはいけない。いよいよ本日のクライマックスと思わんばかり、急にまた、ドキドキしてきた。

看板はただ、木でできた木製で、縦書きの黒字のペンキで(有)佐野八と書いてあるだけで、入り口は、アルミ枠で曇りガラスの古ぼけた引き戸が左右で2枚あるだけである。何とも不気味な感じを醸し出している。商売をやっている様子がない。曇りガラスの向こう側は、暗くて全くどうなっているのか予想もできない。

僕は、今一度扉を開けるべきか、やめるべきか躊躇した。これからの展開に不安を隠しきれなかった。

僕は意を決して、そのアルミの引き戸を開けた。中は、日が差すような窓もなく暗闇が漂い電気はついていないし人気がない。そして、中へ足を一歩踏み入れて周りを眺めると事務所ともお店とも言えないような土間のような空間であった。

「す、すいません。あの~。」ととりあえず声をかけてみるのだが、呼応するような返事は帰ってこなかった。なんとも気まずい雰囲気である。やはり、後退りして帰ろうかとも思ったが、足が意に反して動かない。しばらく、その土間に立ち尽くしていると、土間の先にあるガラス戸の向こうから人が出てきて、ガラス戸を開けてこちらを見た。七十過ぎだろうか、頭の禿げた老人が、いぶかしげな顔をして、こちらをじっと睨むようにみていた。いよいよ、気まずさは頂点に達して、少し身震いをして棒のように立っていた。

その老人は、土間に降りて来て、「何か御用ですか?」と素っ気なさそうに言った。「あ、あのぅ、あの広告を見て、、、あのぅ、肩幅が広い方求む、、、」
その僕の言葉をしっかりと確かめるように、「あのバスの広告か?」と念を推した。僕は、すかさず「ハイ」と答えた。すると、急にその老人の顔は、和らぎ、ニコニコ顔になった。と思うや、直ぐに奥の方を見て、「おいお前、アレだ。アレの準備をしなさい。」と言って振り返ってそそくさと土間を上がり奥の方へ入っていってしまった。

あっけに取られた僕は、引き返すでもなく、かと言って、土間を上がって中に入るわけにもいかず、そのままそこにしばらく立っていた。全く訳がわからなくなった。その老人に睨まれた時は、自分が悪い事をしているような気分になりかけたのだが、あの、ニコニコ顔に変わった瞬間に、僕は歓待されているという事が一瞬にしてわかった。

なんとも変な気持ちのまま、暫く時間が経った。5分?10分?、本当は、2分程度なのだろうか?でも、その暗闇に立っている時間がやけに長く感じた。
すると奥から着物姿の婆さんが出て来て、「さぁさぁそこに突っ立ってないで、靴をそこに脱いで、お上がりなさい。」と、手招きをするではないか。「あぁ、あのぅ、」と言いかけたが、「さぁさぁ」と手招きを再三されるものなので断る事もできず、言葉も続かず、素直に従い、靴を脱いで土間を上がった。

よく磨かれた板張りの廊下をその婆さんの後に続いて奥へ通され、左手に障子戸があり、右手にはガラス窓の先に縁側があり、小ぢんまりとして、丁寧に行き届いた日本庭園のような庭があった。その左手の障子戸を開けて畳の部屋へ案内された。そこは、八畳ほどの広さで、例の如く奥には床の間がある。節の形をそのままに皮を剥いでツルツルに磨かれた丸い柱の横が半畳ほど奥まっていて、掛け軸がかかっている。なんて書いてあるのかは全く見当もつかないほどの達筆である。部屋の真ん中に、四角い漆塗りのお膳が置いてあり、左手の分厚い座布団が敷いてあるところに座るように促された。

まるで、客人扱いではないか。全く見ず知らずの突然の訪問者を、あの広告を見たというだけで、客間へ案内するなんて普通ではあり得ないだろう。
しかし、この着物の老人の物腰といい、派手ではなく、綺麗に整い節度のある、いわゆる昔の日本家屋の典型的な座敷と庭の風景といい、少し心が落ち着く感じがして、決して嫌な雰囲気ではなかった。いかにも、歓待されているという感じを受けた。

さて、そこに、先程の老人が、しかし、先程の雰囲気とは全く変わり、着物を着替えて、客人をもてなすような様相で座敷に入って来て右手の座布団に腰を降ろした。

唐突に、「貴殿は酒を飲まれるか?」と聞かれた。貴殿とはなんのことか?え、もしかして、僕のことで、酒を飲むか?と誘われたようである。
「貴殿は、酒を飲まれるか?」と今一度聞かれたので、アレルギーがあるわけでもなく、下戸でもない僕は、「あ、ハイ」と答えた。すると、手を二度ほど叩いて、奥や奥やと声をあげて、「アレをもってこい」と言い放った。
すると、先程の婆さんが、熱燗を予め準備していたようで、徳利に入った酒を膳の上に置いた。

「では、まずは盃(さかずき)と行こう。」と老人は言う。なんだか、少しかしこまって来た事に、窮屈さを感じ始めていたが、ここまでくれば成り行きであり、何がこの先にあるのか興味も湧いて来たので、お猪口を手に取り、その老人と乾杯をする事になった。お酒は嫌いな方ではないが、そんなに呑んべいでもない僕は、お猪口に口をつけて、グイッと行き、酒を喉に滑らせた。うん、悪くない酒だ。と言うか、美味い。と感じた。

その老人は、「さぁ、どうだ、美味いか?」と聞きながらもう一杯注いでくれた。断る事もできず、もう一杯をグッと行きながら、頭の中で、そろそろ、これはどう言う事なのかと聞こうと決心した。

僕は、「あのぅ、」と言いかけたが、その言葉がかき消されるほどの勢いのある言葉で、「魚はすきか?」と老人は聞いて来た。
「あ、はい、」と答えると、その老人は、また、奥の婆さんに向けて嬉しそうに、では「次をよろしく」と伝えた。僕は、魚は好きだ。というか、嫌いなものは特にない。焼き魚だろうか?煮魚だろうか?なんだか、知らぬ間にこの接待に心地よく甘え始めていた。心の片隅では、いやこのままではいけない、なぜこのようになったのかをはっきりさせなくてはいけないと考えている。

この、相反する気持ちの面持ちのままでいると、その老人が口を開いた。
「さて、少し驚いていると思うが、心配はいらない。今日は、これからじっくりと楽しい時間を是非一緒に過ごそうじゃないか。」と老人は言った。
僕は、少し強引だなと思いながら、返事をせずに、自身を取り戻し漸く言葉を放った。

「これは、どういうことなのでしょうか?私は、あの広告に興味を持ち、ついあの扉を開けて、その意味を聞いてみたかっただけなのですが、、、」と漸く言いたいことを言った。すると、その老人は、急に満面の笑みを浮かべて大笑いをしだした。
「あはっはっはぁ~、あはっはっはぁ~」と笑い転げていた。
「そりゃーそうだよな、この若い衆、ところで、名前は何というのかなぁ、わしは、佐野八兵衛という、そしてうちのカミさんは、富だ。」
「あ、私は、源五郎です。」
「源五郎か、覚えやすいな。ところで、源五郎君、あの広告の意味は、何もないのだ。」
「え、何もないとはどういうことですか?」
「いや、わしもこの佐野八という屋号の商売を引退して早10年以上になる。子供たちは、とっくに巣立って遠くに行ってしまいなしのつぶてだ。親戚は、遠くのほうなのであまり付き合いはない。仕事を引退してしまえば、寂しいもので昔の得意先などは見向きもしてくれない。
わしたちは、仕事一筋でこれといって趣味なども持ち合わせていなかったので、日々庭の手入れと、カミさんとにらめっこぐらいしかやることがない。
老人会や、町内会の集まりというのも、なぜか気が進まずに来てしまった。
引退後、数年は何とか過ごしてきたのだが、このままではいけない、何とかしないと思案をしていたところなのだ。」
「すると、ある時新聞の折り込み広告に、「老後のひと時を楽しむ方法を教えます」というものを見つけたのだ。誰でも、簡単に少しばかりのお小遣いで楽しむことができるかもしれない。という方法だそうだ。このかもしれないというのが怪しいところで、何の保証もなさそうだが、「絶対に楽しめます」というよりも、誠意が感じられるので、一つ試してみるかと、カミさんの了解をもらって、その広告主に電話をしてみたのだ。」「すると、その電話の先のものが、何の保証もないのですが、と冒頭から言い放ったうえで、10万円お支払いいただければ、新聞広告で1回とバスの看板広告を一枚、一週間という条件で、「肩幅の広い方求む」という広告を打ってくれるというのじゃ。」
「考えもごらん。「肩幅の広い方求む」という広告で応募してくる、本当に肩幅の広いものなどこの世の中にはいないだろう。けど、源五郎君、貴殿のように世の中の不思議をまじめに捉えて、疑問に思ったことを、まっすぐ突き止めようとするもがいるとすれば、この広告をみて必ず反応するというわけなのだ。そして、その者は、肩幅など広くなくとも、求人を探していなくとも、その意味が何なのかという事を、ただ、純粋に突き止めてみたいと思うはずじゃ。」
「そして、そんな純粋な心の持ち主は、このご時世少なくなってきており、また、勇気をもって突き止めてみようなどと考えるものは、きっと悪い奴はいないだろう。もし、そのような者が訪ねて来たら、それをきっかけにして一席設けて自宅に誘い入れて、楽しいひと時を過ごす機会になるのではないかと言う事なのだ。」
「なんだか不思議なアイデアではあるが、もし本当に誰かが訪ねて来てくると考えるだけで、わしら、老夫婦にとってもちょっとした楽しみになりそうだと納得したという事である。」
「10万円で宝くじを買う楽しみよりも、ワクワクするように思わないかい?」「というわけで、あとは、その広告主に任せて、「肩幅の広い方求む」という見出しにわしの連絡先をつけて広告を出してもらったというわけである。どうかね、これで納得がいったかね。」

なんとも拍子抜けした回答だと思った。あの広告には、意味はなかったと言うのだ。だけど、そんな間抜けな広告に興味を持ってここまでやって来たかと思うと、少し腹立たしい気もした。が、それと反対に、よく考えてみると、何もする事がない土曜日に、自分の好奇心が幸いして、とんだ展開になり、楽しいひと時を過ごしていると考えればまんざらでもないなぁとも思えた。まして、一人ではなく、歳格好は違えども酒と食事を共にする仲間のような存在がある。

酒の勢いも借りながら、魚だけでなく、婆さんの手料理が次々と運び込まれて来て、あれやこれやと口の中に運びながら、そんな顛末を聞きながら会話が弾んできた。

佐野八は、昭和の日本を支えて来た中小企業が、技術力を磨き作り上げた、金属加工製品を問屋の機能として、全国つづ浦々回って販売して来た会社だそうだ。機械式時計が全盛期だった頃のゼンマイや、歯車などこの地域の中小企業が作った製品のサンプルを鞄に詰めて営業して来たそうである。
僕は、自分の知らない老夫婦が経験して来た面白い人生談を興味深く聞いていた。

そうこうしているうちに、日が沈み家に帰る最終バスの時間が少し気になり出して来た。

突然、その老人が、僕の真正面に向き直って、相変わらずニコニコしながら、「ところで源五郎くん、菜を御所望かな!」と切り出した。

菜を御所望とは、なんのことだろうと、我に帰った。ポカンとした顔つきを察して、老人は、「菜というのは、青菜の漬物の事じゃ、そして、所望とは、食べたいか?と聞いているのだ。」と説明してくれた。

僕は、なぜそんなまどろっこしい言葉を使うのか訳もわからなかったが、青菜は、サッパリしていて上がりには良さそうだったので、「はい」と答えた。

老人は台所にいる老婆に向かって、「奥や、菜を出してくれ」と頼んだ。
すると、老婆が座敷の所までやって来て、畳に三つ指をついて、「旦那様、鞍馬から牛若丸が出でまして、その名を九郎判官」なんて、訳のわからない事を言い始めた。

僕は、呆気に取られた。何が起きているのだろう。今目の前で。全く見当がつかなくなり、焦り始めた。
すると、老人は、「そうか、では義経にしておけ」と合いの手を入れる。
続いて、婆さんが、「旦那様、そろそろ、弁慶の出番かと存じますが?」と言うと、そうだなと微笑んでこちらを見た。

益々、僕の頭の中は、混沌として来た。何が目の前の老夫婦の間で起きているのだろう。まるで、平安時代にでも戻って演技でもしているようだ。牛若丸とか、義経とか弁慶まで出て来たが、なんのことやらさっぱり見当がつかない。既に、青菜の事はすっかり忘れてしまっていた。
老人は、そのキョトンとした僕を見てそろそろお開きにしようかと申し出た。

外はもう暗くなり、帰りの最終バスに乗らないといけない僕は、そろそろ帰ろうと思っていたので、ちょうど良いタイミングではあった。
最後は、なんとも違和感のある終わり方ではあったが、突然の訪問にも、歓待してもらい、土曜の午後を有意義に過ごせたことを感謝して、その場を去る事にした。

僕は、なんとか最終バスに乗る事ができて、月明かりの中を町場から階段を登り自宅にたどり着く事ができた。
バスの中で、先程の、菜から始まった牛若丸、義経、弁慶の事が気になってネットで調べてみたら、実は、それは、落語の「青菜」という物語の落ちの部分を、あの老夫婦で演じていた事がわかった。僕をそっちのけで、老夫婦二人で楽しんでいるような会話だった事が思い出される。

僕は、その日の夜、布団に入りながら、紙飛行機から始まり、「肩幅の広い方求む」という求人広告、そして、老夫婦との出会い、楽しい会食、最後は、謎めいた老夫婦の粋な演技の事を思い浮かべながら、なんとも充実した一日だった事を感謝しながら、スーと寝ついたのだった。


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