日記#15

よく"誰か"という存在を引き合いに出される。本当のところそんな存在はいないし、虚構にすぎない。
ただその誰かに縋らないとやっていけないどうしようもない日があるのも事実だ。
人は弱い。だから誰かからか認められたい、縋りたい、救いが欲しいと感じる。

昨日は救われた夜だった。ただ話すだけでも考えが整理整頓されていく感覚があった。それだけでも実りのある日だと感じた。

年齢が10個ばかり離れているとはいえ、そうじゃないところでの信頼がある。
やはり年齢なんてただの指標でしかないのだ。大事なのはその人自身である。良くも悪くも対等でい続けたい。こればっかりは譲れないし譲るつもりもない。

文庫本に栞を挟み、次の物語に入り込む瞬間を待ち遠しく感じるのに似ている。きっと人との付き合いは永続的ではなく断続的だ。

いちいち止まっているからわかることもある。後ろに下がるのも助走をつけているだけだ。そうやって私はこれからも詭弁を垂れるのだろう。きっとそれも悪くない。

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