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授業研究とは何か

 先日、広島大学教育方法学研究室のOB・OGのオンライン学習会があった。自分自身がどのように授業研究にかかわってきたのかを、とりわけ、何を事実・データとしてきたのかという視点から考える機会となった。提案や協議を聞きながら、私は、3種類の授業研究に取り組んでいるのだと思えた。

 一つには、授業成立のためのコンサルティングである。学級崩壊だった学年のクラスを受け持った指導教諭は、自らの授業実践の枠組みを学びほぐすために、授業を見せてアドバイスを求めてくれることがある。学級崩壊を経験してきた子どもたちの言葉にならない異議申し立てに応えていくには、教師自らが変わらなければ授業は成立していかない。これまで教師が培ってきた方法のどこを変えればよいかを探ろうとするものである。一時間の授業を観て、子どもたちと教師がどのような関係を構築してきたか、子どもの関係性はどのように育ってきたのかを、授業の発言内容だけでなく、子どもの発言をほかの子どもがどのように聴いているのかを見極めたり、書き出しの動きや困ったときにどうするのか、あるいは、掲示物の絵や描かれている文章と重ね合わせ学力を把握しながら、子どもとともに授業を変えていけるように、授業のプロセスや構造を把握し、子どもの言動を解釈しながら、子どもが提起している意味をとらえようとする。教師自らが授業実践をひらき、教師自らの授業観や子ども観を変革していくために、外部の他者を必要とするものである。したがって、個々の教師からの依頼が多い。

 二つには、子どもの学びという意味でのカリキュラムから構築していく単元づくりである。学校の主題研究にかかわって、学校を単位に呼ばれることが多い。本年度は、たとえば、国語の物語文の単元づくり・授業づくりといった依頼に対応している。授業を参観し、事後検討会でコメントするのではなく、授業と事後検討会を参観し、学校全体が何に囚われているのかを見極めながら、具体的な単元の内容と順序や、授業方法を提案するようなコンサルティングとなる。授業の様子だけでなく、掲示物やノートもふまえつつ、子どもたちが教科やジャンルをどのように理解しているか、国語や物語の学びをどのようにとらえているかを解釈しつつ、新たな単元づくりや授業づくりの視点を協議していくものである。教師と子どもの発言そのものをべた記録として起こすこともあるけれど、こちらから依頼することはない。教師や子どもの発言や行動の意味を解釈できるようにならないと、単元づくりや授業づくりにはつながらないからである。

 三つには、授業研究そのものがプロジェクト評価に位置づくものである。学校を当該の教職員が自ら改善していくために共有するエビデンスを探るものである。学校が変革していきたい問題に対して、子どもの言動や関係性の何をどのように指標にしていくのかを探るシンクタンク機能を期待されるものである。年間計画や授業外の取組にも目を向けて、学校教職員のインタビュー調査も行っていく。こちらは、市町村教育委員会から依頼されるものであり、本年度は、N市教育委員会からの依頼を受け、協力校と取り組む。まだまだ手探りなところもあり、プロジェクト評価のあり方を学びながら、私自身も実践していくものとなり、多様な知見を必要とするため実践と研究が融合しているととらえている。

 以上のように、私に授業研究を依頼していただける方々が、個々の教師、学校、市町村教育委員会であるかで、授業研究のあり方が異なってくる。一つ目と二つ目は、研究というより私自身の経験と学びの蓄積で対応しているところがある。研究と実践が互いに独立した関係となっている。授業「研究」と言えるのは、三つ目だけかもしれないのかなとも、学習会のなかで思えた。

 

 

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