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めあては、個人の課題ではなく、誰をも取りこぼさないみんなで遂行するものである ― 外国語の授業を参観した

 外国語活動は、子どもたちの相手意識を育てるものである。教師自身も冷や汁をオーストラリアの相手に伝える手紙を書き直すところを子どもに示していた。オーストラリア人は知らないシソの葉を具材から抜いたのである。
 さらに、自分が英語では知らない言葉を相手に伝えようとするとき、主体性が現れる。だから、「ごぼう」って何て英語で言うのかを聞きに来た子どもに対して、ALTもわざと「それは何か」と返して、子どもが「黒い」「細い」「長い」といった自分が知っている英語を駆使して、何とかごぼうを伝えようとしていたシーンがあった。
 「間違えたら、修正すればよい」「ミステイクはO.K!」が徹底されていた。教師自身も間違えては修正する。できないことというのはない。できることを増やしていく楽しさを子どもたちが共有しているように思えた。
 休み時間から子どもが自主練習をしているので、本気でやるという準備ができていると判断したら、授業が始まる。「最後に、グループでゴールの確認タイムは何分要るの?」と、めあてが個人の課題ではなく、誰をも取りこぼさないみんなで遂行するものであった。できるようになるために、互いを助け合うこと、できるようになったことを共有することが子どもたちも大切にしていることが伝わってくる授業だった。
 外国語の授業を参観した。

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