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休むということ

 『学校と日本社会と「休むこと」-「不登校問題」から「働き方改革」まで』(保坂亨、東京大学出版会、2024年)を読む。

 ・勤務間インターバルには、通勤時間が意識されていない。
 ・有給休暇を5日間取得することを義務付けると、他の日は未消化で終わってしまう。
 ・長時間労働の問題は、残業代に依存せざるを得ない低賃金の問題でもある。
 ・児童生徒が出席・欠席しているか、登校しているか否かという形式面ではなく、学習が保障されているかどうかという実質的なことが、いま必要ではないか。
 ・学校教育の授業には、「休むこと=欠席」が想定されていない。欠席に対する補習などは制度化されておらず、欠席者には自助努力で追いつくことが当然となっている。
 ・患者さんは、へとへとになっている医師に手術をして欲しくはない。

 さまざまに学びが生まれる読書体験となった。本書で指摘されていることで考え続けたいのは、以下の指摘である。

 「児童生徒(子ども)のためという仕事のあり方は、労働における「権利」として「休むこと」(休息)が見えなくなり、あたかもそれが悪いことに感じてしまう。(33頁)年休をどう使っていると聞かれた時、教師だから人間性を豊かにするためと答えることも、年休=有給休暇が、働く人にとって「権利」であるという発想がまったくない。(245頁)仕事を「休む」ことが法的にはもちろん、心情的にも「ふつう」にできるようになる(121頁)ためには、学校の何を変えなければならないか。

 本書では、学校教育における「休むこと」の対極にあるものとして、一年間休まなかったことを称する「皆勤賞」を指摘している。学校が休まなかった児童生徒を表彰することは、暗黙に「休むことはいけないこと」という規範をつくり出しているのではないかという。

 学校における「働き方」改革を時間をつくり出す工夫で終わらせるのではなく、不登校問題にも通じる学校文化の問題として検討する必要性が指摘されているのである。 

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