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3年算数「あまりのあるわり算」

 学級の歴史づくりがあった。ただ、「無言で移動ができた」「給食片づけが全員間に合った」「国語で全員発表した」などの短冊をみると、規律面が評価されている。子どもたちとどのように授業をつくっていくかを共有し、達成感とともに短冊に書いて、次の課題を共有するというサイクルを繰り返すと、子どもたちともに成長していくことができるので、もったいないなと考えた。

 学級の歴史づくりとして子どもたちと授業づくりに取り組むためには、何が必要なのか。どこを変える必要があるのか。

 めあてを個々人の課題ではなく、学級全体の課題にする必要があるように思えた。「あまりをどうすればいいのかを考えて、答えをもとめよう。」ではなくて、「あまりをどうすればよいか、図・言葉・式でわからない人に説明して、みんなが答えを求められるようにしよう」と、学級全員が取り組むめあてを示すのである。

 というのも、「35人の子どもが、長いす1きゃくに4人ずつすわっていきます。みんなですわるには、長いすが何きゃくいりますか。」という教科書の問題に取り組んだあと、自分たちの学級では、どうなるかを考えたとき、つまり、「26人の子どもが、長いす1きゃくに4人ずつすわっていきます。みんなですわるには、長いすが何きゃくいりますか。」という問題の答えを、6人という子どもと7人という子どもと8人という子どもに分かれたからである。わかっていないことをごまかすことのない、正直な子どもたちなのである。

 でも、自分に正直になるのは、次の場面でも必要だったのではなかろうか。

 一つは、子どもたちが「あまりをどうすればいいか」を、まず言葉で説明したとき、「3人あまるから、3人をすわらせるために、いすを1きゃくふやすから9きゃくになる」と先生のまとめた。しかし、先生が書いたまとめをい全員が理解できたのかどうかを子どもたちが示すことができなかった場面である。「お互いに理解できているかを確認するので、隣の人に説明させてください」とか、「大事なところなので、自分で理解できているか、繰り返していいですか」とか、自分たちも使えるように表現させてもらう機会を要求することが、子どもたちには必要ではなかろうか。

 二つには、「35÷4=8あまり3 8+1=9」という式での表現が子どもたちから出てこなかったとき、「考える時間をください」とか、「途中まで式を言っていいですか」とか、自分たちの考えを整理する時間をもらったり、自分たちがどこまで理解できているのかを表現したりする機会を、子どもたちが要求する必要があったのではないだろうか。先生が説明した時こそ、もう一度自分たちの時間を要求するのである。

 教師が説明したり、補足をしたりして、授業をていねいに構成しているからこそ、子どもたちは立ち止まったり、自分たちでも言えるように繰り返す時間をもらったり、子どもたち自身が学びの主人公となれているかどうかに、子どもたちは正直になる機会が必要だと考えたのである。

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