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#なんで生きてるの

今朝、疲れの抜けない、ぼーっとした頭で、X(Twitter)を見た。



タイムラインを少し流し、おもむろに虫眼鏡のマークを押す。


すると、


「#なんで生きてるの」


と表示された。


…。


「なんでやろ」



「子どもに聞かれたら、どうする?」みたいな質問まであった。


だがすぐ、答えは出た。

その理由は、「なんで生きてるの」は近頃、頻繁に考える事があったから。

僕の答えは



「守りたい人達がいるから」


それが生きてる理由。



逆に言えば、それがなければ…


なんて考えてしまうこともある。



ふと思う。

「生きている」のか、「生かされている」のか。


手を動かすことは、自由にできる。

では脳や心臓は?

この二つは自由に止めたりできないから、「生きてる」ではなく、「生かされている」のかもしれない。

ともすれば、「なぜ生きてる」なんて考えるのはナンセンスと思う。

そもそも、理由づけをしたくなるのは、現代日本人の悪い癖な気もする。


インドの川で、壺を頭に乗せて、座っている人がいた。
現地人のガイドさんに、「あの人は何をしてるの?」と聞いた。
「何もしてないですよ」と返ってきた。
「え、何もしてないの?」
「はい。何もしてない。ただ、そこにいるだけです。」

これは、大学の講義で聞いた話。

何もせずとも、そこに存在する

それだけでいいはずなのに。


意味づけをしたくなるのは、悪い癖だろう。


そして色んな方向に思考が飛ぶ、悪い癖がある僕は、食物連鎖について考える。


人が生きている理由。


というより、地球上の命が生きている理由。

それが食物連鎖だとしたら。

人もその中に入っているはず。


ある時代、人は文明を築いた。

火を味方につけたことが理由なのか、智慧の実を食べたおかげなのか。

文明を築き、偉くなった気でいる。


令和の今、智慧の実の効果が切れたのか。
人間同士の争いばかりで、何がしたいのかわからない。

が、人も動物である。

SF映画では、「地球を汚染する害虫」と、よく耳にするが、文明がなければ、人も何かしらの食糧だったはず。

それは、ライオンやトラ、ワニなどの肉食動物なのか。
それとも、朽ち果てた後の骨が、地球の栄養になるのか。


2023年現在、間違いなく言えることは、僕たちはある「虫」の栄養になっている。

それは、蚊。


思い出しただけで、痒くなる。
なので、これ以上、蚊について言及は避けるが。


また「なぜ生きているのか。」と問われた時、「蚊の栄養」なんていう現実的な話も違うとも思う。


そもそも、この「なんで生きているの?」は、そういう話でもないとも思うし…。


脱線しまくったけど、「なんで生きてるの?」と聞かれたら。

「人それぞれ!」

でいいと思う。


もし邪魔くさい時は「蚊の為に」というでもいいとは思う。


文明が築かれて、ネットも広がって。

理由を考えないと、ダメな気がするのも、寂しい気がする。


意味づけもいいけど、理由づけもいいけど。


もっと感覚で。

ナチュラルに。

今の瞬間を楽しむのも、一つかもしれない。


人は生まれた瞬間から死に向かってる。。

そこに理由はないと思う。

生まれたから、死ぬ。

ただ、それだけのこと。



問いたい。

なぜ人は死ぬの?

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