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大河ドラマで何が悪い!「新選組!」に想う、創作物の中に隠されているかもしれない真実

大河ドラマというジャンルの創作物


大河ドラマというジャンルの創作物をご存知だろうか。

歴史をテーマにした創作物は多数あり、映画や小説など、色々なものがある。大河ドラマもその中の一つ。

そして「新選組!」は、大河ドラマであり三谷幸喜氏が作られた創作の物語であり、決して史実通りではなく、脚色をされている。

しかしこの大河ドラマというもの、なかなか面白いもので、本当に歴史上の人物達がそう考え、話していたかのような錯覚に陥ることもある。

ともすれば、好きなテーマや主人公ともなると、毎週ワクワクするし、知らない人が見ればそれが史実と錯覚してしまうこともある。

その中でもこの「新選組!」というドラマは、放送以前以後では、新選組への見方が変わったといっても過言ではない、素晴らしいドラマだったと私は思う。

実際に、このドラマの放送後から新選組界隈で始められた行事は多数あるし、ゲームやアニメのテーマとしても広く用いられることになった。

まだ一度も見たことがないのであれば、ぜひ一度、レンタルショップで借りて見てほしいと思う。

そして気に入れば、DVD-BOXで何度も繰り返し見てほしいと思う。

この「新選組!」は、何度も何度も見れば見るほど、味わい深くなるドラマである。

新選組という者達

新選組は、創作物ではなく幕末の日本に実在した者達である。

江戸の剣術道場の主であった近藤勇達が、尊王攘夷派や倒幕派の志士から京都の治安を守る為に上京(上洛)をし、紆余曲折あり組織された。

その紆余曲折の部分については、是非ドラマを見て頂きたいが、歴史の教科書でもご存知の通り、新選組は、西郷隆盛・大久保利通らによる新政府軍により敗退する。

その為、新選組の情報や残留品などは、敗軍ゆえにほとんどが消されてしまったし、歴史の教科書にもほとんど記述されていない。

新選組の持ち物を持っていては、新選組ゆかりの者だとされたり、新政府軍に対する反発とされた為、ほとんどが失わられたという。

今ある新選組の情報も、近藤勇の意見書や他の資料も残るが、昭和の初めに子母澤 寛 (しもざわ かん)が、自身の小説を制作する為に、八木家の子孫など当時を知る者から情報を集めたことや、新選組二番隊組長の永倉新八が、大正時代に新聞紙のインタビューを受けて口述により答えたもの(新撰組顛末記として刊行中)から時代考証をしたりなど、資料としての数はそう多くはないという。

それゆえに、新選組には浪漫があるのではないだろうかと私は思う。

史実は事実?近藤勇と坂本龍馬と桂小五郎

さて本題の大河ドラマの「新選組!」である。

私はこれまでに、
「新選組が好きなんです。特に大河の新選組!が好きで…」と話すと、
「あぁ、大河のね…」という会話を何度か経験している。

もちろん、その反対に「私も大河の新選組!が好きです」という人もいた。

しかし肯定的な人より否定的な人にあった後のほうが、どこか引っかかるものがある。そこで考えた。

なぜ大河の「新選組!」は「大河のね…」になるのだろうか。

その答えはもちろん、否定した人にしかわからないので、私に答えを出すことは出来ない。

しかし考えられることとは「所詮大河ドラマでしょ?」ということもあるかもしれないが、「新選組!」の内容があたかも史実の新選組のように信じる人が多いからではないだろうか。

先述の通り、新選組は実在した者達である。だが、三谷幸喜氏による創作物である「新選組!」は、史実とは違う創作の世界である。

例えば近藤勇が東京で、坂本龍馬や桂小五郎と会い、一緒に黒船を見に行くシーンがある。

近藤勇と坂本龍馬達が肩を並べて黒船を見に行ったなんてことは、何かの文献に残されているものではないし、そんな事実を耳にしたこともない。

だがそれは、文献や言い伝えとして残っていないだけで、本当は会っていたかもしれない。

黒船が江戸に来た頃、龍馬は江戸で北辰一刀流の稽古をしていた。だとすると、近藤勇と出会っていてもなんら不思議はないのである。

そして本当は出会っていた記録はあったのかもしれないが、幕府側の近藤勇と、倒幕側の坂本龍馬、桂小五郎が出会っていたという記録があればマズイと考えた誰かが、その事実を隠蔽したのかもしれない。

これらは証拠も根拠もないことだが、「隠蔽していない」という証拠も根拠もないことだと私は思う。

だとすると、文献や資料や口述で残っていることのみが正しいことだと決めつけていいのだろうか。

山南敬助と明里

山南敬助という隊士をご存知だろうか。
堺雅人氏が演じる山南敬助という隊士は、土方歳三と共に副長を、そして後に総長を務めた人物である。
山南敬助は、この「新選組!」の劇中における最重要人物だと考える。

それは山南敬助の死ぬ前と後で新選組が変わるからである。

池田屋の後、隊士が増え、手狭になった新選組は、長州藩への対策のためにも本願寺へ屯所を移すことになった。
そのことが理由なのかどうかはわからないが、山南敬助は法度を侵して、隊を脱走する。

局中法度とは、土方歳三らが定めた、新選組の規律で、この局中法度を破れば、即切腹という厳しいものだった。

劇中、山南敬助は明里という島原遊郭の遊女と共に出立し、大津で沖田総司(新選組一番隊組)に捕えられ、明里と窓越しに話をし、切腹をするというシーンがある。

この窓越しの別れは、涙無くしては見られないシーンで、私自身「新選組!」の中で一二を争う好きな場面である。

だがこの窓越しの別れのシーンは、子母澤寛氏の創作ではないかという説がとても多い。
なぜ創作と言われるているかというと、子母澤寛氏が書いた新選組の物語は、創作が多いとされているからである。
また、永倉新八が書き残した山南敬助の切腹の場面に、この明里が出てこないからである。

「え、それだけ?」と私は思う。それだけの理由で創作だと決めつけてもいいのだろうか。

永倉新八氏が単に興味がなくて忘れてただけかもしれないし、もしかしたら「明里ちゃん、可愛いなー。山南さんいいなー。本当はモノにしたかったけど、できなかったし書くのやーめた」などでワザと書かなかったり記憶から消していたのかもしれない。

子母澤寛氏はこの2人の別れを、
「なんという根性の別れなのだろうか。取材を続ける中で、この2人の記録こそ、しっかりと残しておきたい」と描いたのかもしれないし、明るみに出てはいけない何かがあった為、あえて創作のように描いたのかもしれない。
そんなバカな絵空事のような話もまた、証拠も根拠もないことだが、「存在していない」という証拠も根拠もないことだと私は思う。

フィクションという名の真実

創作物の中に歴史に埋もれた事実がある可能性もあると私は考える。

文章で残っていなくとも、証拠がなくとも、事実ではないという証拠がないのであれば、それも事実という可能性もあるのではないだろうか。

もしかすると、三谷幸喜氏は新選組に関わりのある誰かの知り合いであって、事実を知っているのかもしれない。

話はそれるが、タイムマシンなどが出てくるSFの映画は、「未来を知っている人が未来を伝える為に描いた」なんていうSF的な考えを耳にしたことはないだろうか。

この「新選組!」も事実を隠さないといけないから、フィクションとして嘘の物語、創作物として描いただけで、本当は真実であったかもしれない。

…というのは、わたしの妄想であるが。

「新選組!」が大好きと胸を張って言おうと思う

何はともあれ、大河ドラマ「新選組!」は私の人生を変えた、素晴らしいドラマである。

あんなに生々しい人物像。

近藤勇を主体とした新選組の物語。

それでいて近藤勇以外の隊士や、敵となる人物達、新選組が生きた幕末という時代の者達に脚光が当たり、人間味がある。

隊士も、敵となる者達も、それぞれの背景にあるストーリーや考え方など、その人となりや本当にいた人物が、あたかもそうであったかのような想像を掻き立てられる。

私は「新選組!」を見て以来、新選組をテーマとした作品に興味を持ち、見てきたが、「新選組!」を越える作品に出会ったことがない。

テーマである敗軍の新選組。

信じた徳川幕府に裏切られ、それでも侍たるを貫き、自身が決めた局中法度を貫き、最後まで脱退せずに散っていった土方歳三。

負けて散るという日本の独自の美学。

はたまた、新選組というテーマをここまで作り上げた三谷幸喜氏が素晴らしいのか、それぞれの役者さんが素晴らしいのか、音楽が素晴らしいのか、撮り方が素晴らしいのか。

きっとその全てなのだ。

それらが揃って出来上がった「新選組!」だから、ここまで胸を鷲掴みにされたのだと思う。

事実、この「新選組!」以降に新選組の史跡などや関係する場所で、様々な行事が行われている。
アニメやゲームなどのテーマとしても広く用いられるようになった。
この「新選組!」は、新選組が世の中に広く知られたキッカケとなった素晴らしい大河ドラマだと思う。

あんなに胸が躍り、ギュッと切なくなる物語。新選組という実際に存在した者達。
士農工商というカーストが当たり前だった時代に武士に憧れ、農民から武士になろうとし、武士以上に武士となった者達。

信を貫く新選組という最後の武士達。

そしてその者達を素晴らしく描いている大河ドラマ「新選組!」。

だからこそ、この新選組のドラマは素晴らしいのだろう。

これからも私は胸を張って「新選組が好きです。大河ドラマの新選組!から新選組を好きになりました」と答えようと思う。


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