しろ_カメラゲネ写真_19

会社員をしながら演劇をしています②

結局、会社員をしながら役者をやっている。
最初は1年に1回のペースだったが、最近は1年に2回ぐらいになりつつある。
似たような境遇の人はよく同じことを言うが、「一度できることが分かってしまうともうやめる理由がないので続けている」のである。

会社員なのか役者なのか

週刊少年ジャンプで連載中の「アクタージュ」は「演技とは?」「役者とは?」を扱う作品である(めちゃくちゃ面白い)。主人公の夜凪景は第1話のラストで「お前は(何だ)?」と問われ、「夜凪景、役者」と言い放つ。
僕は今、同じことを訊かれたら「会社員です」と答えると思う。会社員と役者を二項対立で語るのはそもそもどうなのかという議論もあるかもしれないが、ここではひとまず切り分けて考えることにする。
当然、一緒に芝居をする人の中には、この質問に「役者です」と答えるだろう人もいる。別にこの自意識の差異が最終的なアウトプットに影響するとは思っていないが、自分の中で、会社員という社会的なポジションがベースにあるというのは常に意識している。
なので、「役者をするにあたって会社員をやっていてよかった」というよりは、「会社員を続けるにあたって役者をやれていてありがたい」という風に考えることが多い。日頃演劇に助けてもらっている。

成功体験パッケージ

公演に役者として参加すると、高確率で成功体験を与えてもらえる。参加する側からすると何をもって成功なのかは何とでも言える(僕の基準はたぶん甘い)が、身も蓋もないことを言ってしまうと、企画書と台本を読んで、あとは客層を大きく外していなさそうであれば、まあ最後に「成功!」と言えそうだなあというのはなんとなくわかる。
2、3か月かけて準備して、成功体験を味わえるというこのサイクルがよい。この「文化祭セット」とでも呼ぶべき麻薬的なパッケージがたまらないのだ。

自分の場合で言うと、会社の仕事で関わるプロジェクトは大規模なものが多く、開始から完了まで平気で1年以上かかるものもある。いざシステムをリリースするとなれば、公演の本番を迎えるときと同質の高揚感は得られるのだが、いかんせんそこまでの道程が長すぎるし途中で飽きてしまう。
もう少し短いスパンで、この本番への「飢え」が出てくる。生活の全てを調整して泥臭く走り抜けるアレが欲しくなってくるのである。

まだまだやれる

自分でもちょっと意外だったが、単純に役者としてスキルアップしている。
学生の頃は、自分にどういうことができるのかあまり自覚的ではなかったように思う。「上手くなったね」と言われたら「そうなんや、ラッキー!」ぐらいにしか捉えていなかった。
会社員になってからはそもそも公演によって団体も関わる人も異なるため、以前と比較してどうこう言われることは少ないが、できることが増えている!と自分で気づくことが多くなった。自己満足の域は出ないがなんとも嬉しい瞬間である。
色々なルーツの人と一緒にやることが多くなり、色々なスタイルやスキルに触れる機会が増えたのがいいのかなと思う。自分にできることとできないことが見えやすくなり、今の強みを伸ばそうとか技を盗んでやろうとか、そういう意識が自然と生まれている。
もういい大人なので、自分の成長を実感できる機会なんてそうそうないのである。年を重ねてもまだまだレベルアップできるかもしれないと思うと、これはやっぱりやめられない。

余談

これはごく個人的な話。会社員になってからの方が学生の頃より純粋に演劇を楽しめているように感じる。

大学で在籍していた演劇サークルでは、団体の運営面で中心的な役割を果たしていたし、公演製作においても精力的に活動していた方だったと思う。だが、第一に考えていたのは「サークルとしてどうあるべきか」という視点だった。作品のクオリティ向上もそりゃ大事だけど、まずはそれができる環境づくりに注力すべきでしょ、というスタンスで活動していた。
それでもやはり演劇をしたい人たちの集まりなので、周囲には文字通り心身を削って作品づくりをしているメンバーが沢山いた。そんなメンバーを見て、ちょっとだけ引け目や後ろ暗さを感じていた。自分は本当に演劇が好きなのだろうか、あの人たちみたいにのめり込むことはできるのだろうか、と。いや、そんな深刻なものではないけど。なんとなーく。

現在は役者としてはフリーで活動しているので、公演企画に参加させてもらうという立場である。基本的には、自分と作品のことだけを考えている。
会社員になってから初めて参加した公演が終わったとき、これからもまだ続けたいなと素直に思うことができた。僕も演劇を好きでいていいんだなと、何か赦されたような気分になったのである。


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