積乱雲の記憶(五)


その名は、子侶 という。

部屋に戻った子侶は、
展開、と唱えると遺伝配列の記号を
目の前のドミノ板の羅列に転換し
読み取り操作をし始めた。

モノリス遺伝子はある洗脳を
常に生み出し続け、即物的に書き換える
テレコミュニケーションを遠隔で行う
危険な存在だが、洗脳を失った時に
どう行動するかを調べようとした。
カルト宗教のTシャツを着た子侶は、
ある宗教家に言われた事がある。
この視界に違なる者が居た時、この道の上に
いる者だと思う事が互いにとって干渉だ、と。
己が道に何もない場合する事がないのに。

この事はいささかの意味を持って注意深く
なるにはうってつけだが、
コーヒーを淹れようか迷っている自分は
何も要らないという選択肢を失った。
歴史上名のある人物の形跡は、
自分に干渉していると見せかけて興味を引く
立場にある。なので過干渉かどうかは
思わずともしない事で、
する事の意味を鑑みる事。
その為にだけ、見えない存在に対し
少し行動に反作用を入れたつもりだったが、
子侶は展開の続きを読むのを
そこでやめてしまった。
逆順や逆光で計る真実はどうせ他愛もないに
違いない。

子侶。中国春秋時代の子路という人物像は、
孔子の私小説上の概念情報としての人物が、
弟子たちの必要最小限に加担した
ある種の宗教活動。
その転生であるという達観が
純然たる転生の意味に替えて立脚し得る
設定上の名前を持つという事なのだ。

丸首の伸びきった黒のTシャツ。
ダボダボのだらしないパンツ。
私から見るに彼にはそんなイメージしか持てない。彼が独りで居る時によくある行動に
タバコを巻くという事がある。
過酸化水素を蒸気にして炭素吸入という
意味を付けている事はこじつけで、
ひとりでに処理される遺伝的性向処理という
意味でもなく、大半を彼はそれに費やしているのだが、巻く行為が人物像のイメージに合っている
という事が大概の理由。
ある意味では遺伝的処理に充てる時間の隙間に
開放的なひと時が欲しいだけなのだ。
処理が必要のない人間は、遺伝子に見放されてる
のかどうか私には分からない。
私が部屋の周りを彼に付いて回る事で分かるのは
彼がそういう人物である事だけで、
それ以上の事は除外しても私の考えは変わらな
い。

モノリスは自分の遺伝配列の中の
ある一帯の平均値がその性質を持つべき
対称の世界にとっての洗脳元、影響元となる、
他者の価値観を書き換える行動を見せる
如何にしても自分にとっても危険な性向だ。
遺伝的性向を背負ってしまう人間にしたら、
遺伝子に従う事は良き事にはならない、と
考えるのは通常の範囲内の世界に存在する者に
とっての常識。
モノリスを持つと遺伝子側の審査を厳しく受ける。ある意味では自らがモノリスの立場で、
モノリスの働きをしなければいけなくなる。
そういった現実が顕現すると、
現実感の中に、通常とは異なる
現実観に従う現実が現れる。
それをスイッチ的に機能化したら、ひとつの
現実を結論が分かる状態で過ごせる。

その様な者を客観的にはどう言うか。
というのは還元される状態とその状態が現れる
現実として、考え方次第で世界が変わるという
状態に物質的な環境が感化される世界に、
何とは無しに流されているだけ。
ただ漂っている。
コーヒーなどとうに冷めた。
無機質な無機物の匂いのする冷ややかな。
その様な時間を何と言うか。
と言う事と同じなのだとひとり思うのである。

温度のない部屋で。



続く

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