櫛那姫 (七)

輪子とは

第三の眼

か。

臨床的体験上、病理の要因として挙げられる
事のひとつに諦観、そして情観。
このふたつの生理的現象が身体に表れて固有
の身体機能を有する霊体を得る場合がある。

心理的に第三の眼を有する事が障害しか
生み出さない長期間に及ぶ苦悩を生み出さ
ざるを得ない状態を、

又は、或いは。

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諦観は意識野で、夜

情観は無意識野で昼。

日と月。

意識は無能。
無意識は無。

諦観の常識として無意識に於ける諦観の
主義主張を諦観が退けて諦観たる所以を
自分で理由をつけて作り出す状態。
それでは無い事における理由、
それが働き出すのが情観。

理由的な事に於いて自然事由たる出来事
に左右されまいとした意識の理由は自己
にあろう。当然だが。
その事由が認識する諦観は落款を押された
行動に打って出るじぶんの能動的理由。

つまりは諦観は行動の事由。

詳細に詰められた文章はその書かれた理由
を内包して理由そのものであるが故に、
ひとつの情観である。

何故に?

ひとつこれを言えば理解する事。
それは情は感覚であるから。
感じた理由をあらんとするものでは無い。

ひとつの行動を起こす事が情観。
止める理由が諦観。
つまり行動の理由は止める事由。
諦観でない理由が情観。

他人の諦観、情観が作用する事、
又は、身体を持つ事を霊体と言う。
霊体に他人の事由を持つ。
その霊体は他者を左右する。
その理由の中で最も重大性を帯びた
最も重要な理由、つまりは事由、
それが淘汰されて取捨選択、
自然事由となる状態が霊体。

体内に蓄積された物質が
自然事由となって体質を手助けている場合、
その事由は霊体として在る。
本人の理由。本人の主張。本人の諦観。
本人の情観。その理由に、
ひとつの本体はふたつ以上の理由、
総じてひとつの事由。

その淘汰で、その次第で、
薬学的な数値的な科目的な分類的な
身体を有する。

淘汰なのだ。

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諦観は夜、月。
情観は昼、日。

月と日の世界の関係は、
対応的なものでは無く、
照応的な考えに基づく
あるからある、ないからない。

薬学的に見て日月、昼夜の関係性の中。

する事としない事、その理由。
どちらにあるかが逆転する事。


「ああ、アズマ。。櫛名田比売?」

「そう、クシナダ」

神がそうあらんとする意思に、
人がそう思うとする事後に、

そう働く意思に、

神は宿り。


「クシナダ。よろしく。」



櫛名田比売 了

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