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走り屋への道

私は中学生の頃から、免許を取ったら、とにかくクルマの運転が上手くなりたいと思っていた。1980年代の話である。
これは間違いなく、007やルパン三世などのアクション映画の影響であったと思うが、ヒール&トゥダブルクラッチなるテクニックがあることも知っていたというのもあり、クルマで考えられるすべてのレーシングテクニックを身につけたかったのだ。

免許を取得してすぐに練習を始めたのは、スピンターンだった。最もアクション映画っぽい派手な技である。
車速やサイドブレーキを引くタイミングなど最初は難しかったが、それほど難しいテクニックではない。コツを掴むといとも簡単にクルマは180度ターンそした。そのうち、交差点内や道を間違えた時など、所かまわずUターンで使うようになっていた。

夜中の峠道にも毎晩走りに行った。
練習初日にはリアが流れて、カウンターを当てても右に左にタコ踊りしてしまった。なんとか道の真ん中に留まることができたが、心臓バクバクだったのを今でも覚えている。最初のタイヤは155SR13としょぼく限界が低い上にショックの抜けたボロ車だったから、いつまで経っても挙動が治らなかったのだ。
制限速度30km/hの峠道で練習していたから、大したスピードではなかったが、無謀なチャレンジャーだったと思う。その日はストレートで60km/h出すのが精一杯だったが、レースゲームと同じで、少しずつスピードに慣れてくる。その1年後にはテールスライドをカウンターステアで抑え、2年後には峠道でキンコン※を鳴らせるようにはなっていた。
(※キンコンとは昭和のクルマで100km/h超えた時の速度警報音である)

峠だけでなく街中でもとにかく練習した。
交差点で一番前に来れば、スタートダッシュ時の素早いシフトアップを練習し、信号が赤になれば、停止線に向かってフルブレーキの練習。
シフトダウンの回転合わせの練習など日常的に行っていたが、高等テクニックであるヒール&トゥはできなかった。
ヒール&トゥができないので、街中でシフトダウンしてそのままクラッチを繋いだら、後輪がロック、所謂シフトロックを経験した。
そのおかげで、交差点でのシフトロックドリフトを自然に覚えてしまった。

もうめちゃくちゃな運転だったが、一通りの気が済むと、街中ではだんだんコップの水をダッシュボードに置いてこぼさないように練習した。
ギアチェンジも車線変更もブレーキも全てが流れるようにスムーズにショックのない運転を目指した。クラッチペダルを踏まずにシフトチェンジできるほど回転数合わせもシビアに練習した。そのうちヒール&トゥもできるようになっていたが、峠の運転はまだダメだった。

当時の走り屋のクルマは最低でも70扁平以下でグリップ力のスポーツタイヤを履いていたものだが、私のクルマはメーカー純正サイズの最低のタイヤだった。
メーカーのタイヤに対する意識は低く、カタログの廉価グレードのクルマに付いているタイヤは、びっくりするほど酷かったものだ。
もちろんサスペンションもブレーキもノーマルだが、ついでにこれもまた酷いものだった。。。笑

逆に言えば、40km/hほどでテールスライドが起きて、カウンターステアの練習ができたという利点はあった。
また、コーナー侵入時のブレーキングでも簡単に4輪フルロック状態になった。何しろABSなんてない時代だ。ステアリングを切っても曲がらない。
だが、ロック状態からブレーキを離してグリップが回復するとステアリングを切った方向に急転回するというラリーの技も自然に覚えてしまった。
これは90度コーナーや入り口がきついコーナーでは積極的に使ったが、ABS装備の現代では、もう一生使うことはないであろう。

今でもそう思うが、ポテンシャルの低いクルマの方が日々の練習には有効で訓練になるというものだ。ただクルマ絶対性能があまりに低いので、仮想ライバルに勝つことはできなかった。
大分練習を重ねたその時の私のクルマは少しマシなものになっていたが、グロス100馬力、ネット換算すると85馬力程度、パワーウェイトレシオは12kg/PSくらいで、見た目はスペシャリティカーだったが、相変わらずエンジンは下位グレードのトヨタコロナ2ドアハードトップだった。

パワーウェイトレシオが10kg/PSを切ればそれなりの走りができたと思うが、テールスライドをしながら立ち上がって、どんなにアクセルを踏みつけても次のコーナーまでのトップスピードは伸びなかった。
憧れのスポーティーカーであるセリカXXやスープラのような重いクルマをカモることはできたが、ライトウェイトスポーツに対しては手も足も出なかったのだ。

最終的に60扁平タイヤを履いてサスチューンを行うことでコーナリングスピードは格段に上がったが、これ以上はどうにもならなかった。
3速全開のゼロカウンタードリフトまでできるようになってから、FRのコロナハードトップを降りることにしたのだった。


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