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1055_Sam Gendel&Sam Wilks 「Sam Gendel&Bass Guitar More Songs」

たぶんあれはもう15年前にくらいになるのかもしれない。まだ独身で会社員だった時代、当時付き合っていた彼女の実家の徳島に遊びに行ったときの話だ。遊びに行くとはいえ、もちろんその実家には彼女のご両親もいるわけで、自分がきちんとしたお付き合いをさせてもらっていますという前提で、ご実家に伺う体にはなっていた。

だが徳島までの行きの道中は、幾分か自分自身が試されるのではないかというような不安と自身がないまぜになったような感情だった覚えがある。なにより彼女のご両親がそもそも具体的にいったい何をしている人なのか、彼女からあまりちゃんと聞けていなかった。

彼女は絵描きというかアーティストであり、その腕一つで食べていくという独立心の強さがあったので、おそらく親御さんも自営業でもされているのではないかとなんとなく思っていた。僕はしがない会社員でしかないので、いったいどんな家庭で彼女が育ったのか興味はあった。

彼女は名古屋市内の路上で絵を売っているところで知り合った。 僕が彼女の絵を買ったのが出会いのきっかけだ。射抜くように彼女の目は、自身の意思の強さを物語っていたが、彼女の両親にはそんな尖った感触がまったく感じられなかった。駅まで車で迎えに来てくれた彼女のお父さんは物腰も柔らかで、はげ上げた頭を撫でながら、気のいい田舎の町内会長みたいな佇まいで、「いやあ、ようこそ、こんな田舎にいらっしゃってくれた」と声をかけてくれた。

実家は立派な建物だった。「去年、建て替えたの。銀行もいっぱいお金を貸してくれたから、返すのが大変って、お父さんがぼやいていたわ」とつぶやいていたが、あまり頭の中に入らなかった。

玄関の前には彼女のお母さんらしき人が立っており、「いらっしゃい」と声をかけてくれたが、目が開いておらず、ひと目見ておそらく「目が悪いんだな」というのがわかった。(あとから、左目がほぼ見えず、右目も殆ど見えていないことを知った)

お父さんがお母さんの腕を取って、家の中を案内してくれた。夫婦仲睦まじい様子だった。僕は恐縮しながら家の中に入ったが、愛知から彼女の実家のここ徳島までのこのことやって来て、叱られるかと思いきや、思いがけない歓待ぶりに不思議な気分になった。

「一回は道場になっているの」
「道場?」
「そう、お父さんが、まあなんていうの、健康法みたいなものを教えてるから」
「健康法…」
「民間療法っていうのかな。私も、昔からやらされていたから」
「そうなんだ」

僕はキョロキョロしながら、そうなんだ、というなんとも気の抜けた答えしか返せなかった。健康法を教えるというだけでこんな立派な道場が建つこと自体が不思議でしょうがなかったが、極めて一般的な会社員の家庭に育った自分にはまだ知らない世間があるのかもしれない。

確かに彼女には、僕のような狭い世界の常識では図れない、明らかに違うものさしを持っている。判断基準が違うというか、間違いなく目の付けどころというのだろうか、人とは違うところを見ているのだと思う。その兆候は彼女の両親からは嗅ぎ取れないので、余計に拍子抜けしたところはあった。

でもまあ、銀行もお金を貸してくれたということだから、おそらくきちんとした健康法なんだろうか。でも健康法ってなんしかえらく定義が広い言葉だなとは心の端っこでは、思っていたが。

「じゃあ、すいません、長旅で疲れたでしょう。ごゆっくりとされてください、では」
「あ、はい。お気遣いいただいて、あの…」
「いいの、お父さん、午後の冷浴あるのよね」
「ああ、ごめんなさいね、失礼します」
「冷浴?」
「そ、気にしなくていいわよ、毎日やってるから、習慣なの」
「そういうことやってるの?他には?」
「まあ、あとは断食とか?なんか青汁みたいなもの飲んでデトックスとかみたいなのしてるわね。私は昔から飲まされてきたから、嫌いだけど」

あとで知ったことだが、彼女のお父さんは毎日、氷を入れた水風呂に入っているらしいということだった。夜にお風呂を使わせてもらったとき、なぜ浴室に湯船が2個あるのか不思議だったから、彼女に聞いたらこともなげに教えてくれた。

普通のお湯を入れたお風呂と、氷水を張った水風呂を交互に浸かるということらしい。時期は5月だったが、氷を入れた水風呂などなにかの罰ゲームとしか思えず、想像を絶する世界だった。まあ、健康法というくらいだから、そんなものなのかもしれない。僕の中の健康法の定義がだんだんとグラついてきている気がした。

「しかし大変でしょう、こんな娘ですから、なにしろ私達の言うことなどなにも聞かなくて」
「いえいえそんな」
夕食の宴の場で僕がお父さんから話を振られて恐縮していると、横にいる彼女からジロリと視線を感じるのがわかった。だが、ひとの言うことを聞いてくれないのは事実だから否定しようがない。それでも彼女のことを好いていたのは、また違う理由もある。

「あれを見てもらったどうだい」
「へ、あれって?」
「おまえがはじめて賞をもらったあの絵だよ」
「ああ、あれね」
「もしかして、前話してくれた絵のこと?」
「そ、私が高校の時にはじめて描いて入賞した絵ね」
「その絵を見たかったんでしょう?」
「はい、実は」
「変なの」

僕は思わず身を乗り出した。彼女の絵は本当に言葉にできない不思議な魅力がある。そんな彼女が絵の才能が花開いたのはその絵を描いたことよるものが大きいのではないか、と思っている。
「はじめて絵を描いていて、私、このために生きてるな、って感じたの。その絵を描いてから」

以前、お酒を飲んで、ほろ酔いだった彼女からその話を聞き、ぜひ見せてほしいと僕が頼んだら、実家にあるから無理、と言われて、結局この徳島くんだりまでやって来たというのだ。それだけ、彼女の絵の才能に惹かれている証拠だ。僕は絵や芸術に格別詳しいわけではない。でも、彼女の絵だけは別格だ。その世界観に一瞬で引き込まれる。純粋に恋愛感情なのか、彼女の才能に惹かれているのか、たまにわからなくなるときがある。

「奥の部屋に置いてあるよ。持ってきて道場でじっくり見てみなさい、なんたって大きな絵だから」
僕は息を飲んだ。その絵は「龍に魅了された青年」と銘打たれて、入賞時にその絵の前に立つ彼女と一緒に写真でしか見たことがない。実物が見れる。僕は身震いした。彼女は憮然とした表情でいるが、もうそんなことは気にならないでいる。お父さんが丸めていた絵を持ってきて、畳式の道場の中で広げてくれた。

そこには、写真で見た通りだった。絵には、右腕にタトゥーをした赤髪の青年が、長大な龍に心臓を差し出している様子が描かれていた。見た瞬間に、その絵のモチーフが何を意味するのかを解することは難しい。いったいこの絵には根源的に何が秘められているのか、僕は彼女の顔をはたと見た。

彼女はまさしく龍の目をしていて、僕の顔を射抜くように見た。
「この絵」
「この絵、はね」
僕が言葉を出す前に挟むように彼女の言葉が交錯する。
「たぶん、だけど」
「うん」
「青年はね、この龍に魅了されているの」
「それはわかる、てか、そういう題名だし」
「そういうんじゃなくて」
「うん」

この赤髪の青年は彼女の友達の年上の彼氏がモデルらしい、ということは前に聞いた。とても印象的な男の人だったと言っていたが、でもそこはあまりポイントではないようだ。

「龍はまあ龍なんだけど、たまたま龍っていう形を取っているだけで、もともとは龍でもなんでもないのよね」
「龍ではない?」
「ええっと、うまく言葉に出来ないんだけど、私がはじめてこの絵を描いたときにね、描いている途中で、なんだかこの絵と私自身が一体化したっていうか、自分とこの絵との境目がなくなった気がしたの。グレーゾーンっていうか、なんていうんだろう」
「絵と一体化した?」
「この男の子も龍と一体化しちゃってるっていうか、なんとなく曖昧で境目がなくなっている感じでしょ、つまりそういうことなの。言ってる意味わかる?」
「なんとなく、わかる気がする」

そして、改めてその絵をじっくりと眺めた。赤髪の青年と右目が合う。青年の左目にはもやがかかっていて、そこから龍がたちこめるように描かれている。不意に、彼女のお母さんの見えていない左目を思い出した。

「この絵を描いた時はね、まだお母さんの目が見えていたの」
急に彼女の口からお母さんの話が出てきて、一瞬自分の考えていることが彼女に見透かされているのかと心臓がドクンととした。
「お母さんにこの絵を見せたら、あなたにも見えているのね、って言ったの。何が?って聞いたら、あなたに任せるから存分に描きなさい、って」
彼女の射るように鋭い龍のような目は母親譲りであったことがわかった。

深夜にトイレに起きたふりをして部屋をするりと抜け出し、改めて道場に飾っているその絵の前に対峙した。輪郭がぼやけて、やがて僕とこの絵の境界線がなくなっていくのを感じる。彼女の言ったことがよくわかる。龍と、そしてこの青年と対峙したとき、僕は僕自身と対峙した気になる。この絵とひとつになる、とは、つまりそういうことなのだ。

あの絵と対峙してから、長い時が過ぎた。結局、そのあと1年くらい付き合ったあと、僕と彼女は別れた。彼女は外国で絵が描きたいと言って、僕は反対することもなくそれを見送った形になっった。今はカナダで同じようなアーティストと結婚して今でも絵を描いているらしい。

僕は今は会社を辞めて、しがない物書きになっていた。絵の才能はなかったが、僕は僕自身の中に存在する龍に魅入られたのだ。そしてそれとひとつになるための手段を一生かけて模索し続けている、と言っていいのだろうか。会社員というレールの上に沿った平凡な人生ではなくなったが、後悔はしていない。たまに、彼女と彼女の温厚な両親の姿を思い出し、そしていつか、またあの絵の前に対峙したいと切に願う。それが、僕の本当の望みなのだと。

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