1135_汲み取り力
だんだん大人になってくると、「汲み取る力」みたいなものが、目に見えて衰えてくるのだなと思えてくる。
子供の頃ほど、自分の感覚がすべてなので、100%主観だからこそ、身の回りのものなにもかもが新鮮だったなって思えた。
そりゃそうだ、そもそも前提となる知識や経験がないまっさらな空箱なのだから。目に入るもの、そこにあるものを100%全てを不純物なく受け入れざるを得ない。
「すげ〜、ヤベェ。こんなものがこんな世界にあるんだ」
曇りなき眼で見るもの全ては新しく、そして色彩鮮やかで輝いている。
だからだろう、初期衝動溢れるロックバンドや尖ったアーティストの言動、戦場カメラマンや冒険家たちの類稀な経験に基づく一次情報など、若い頃、非常によく刺さる。
でも、いつのまにかそれらを100%ではなく、70%だったり、50%の割合でしか、汲み取れなくなってしまっている。
話半分で聞いたりだとか、物事を斜に構えるだとか。確かにそれはそれで、人間の成長に伴って必要な視座なのであることは間違いない。
物事を客観的に俯瞰的に眺めてみることは大切だ。縁日やお祭りが、いつまでも、すごいすごいと浮かれていられるのはおそらく子どもの頃だけだろう。
でも、それだといつか本当に何にも「汲み取れない」人間になってしまうかもしれない。何にも感動できない、何にも共感できない、何にも刺さらない。自分が決してそうならないよう、真に恐れている。
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