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「だから、私がどんな気持ちでいるか、あんたにはわからないんや」
「そんなふうに言わんでも」
「そういうもんなんやって。子どもは親の気持ちはわからん。当たり前なんやって思ってるだけや」

いくら話しても通じない親を持った子どもの気持ちもあなたにはわからないだろうに。私は心の中で悪態をつきたい気持ちに駆られた。でもそんなことをしても無駄だということもよくわかっている。

少なくとも私はそんなこの母親の姿をずっと見てきたし、それが一切ブレることもないこと、もう70年そうやって生きてきたんだし、この先死ぬまでそうあり続けるだろうことも理解していた。

母親は、思い込みが強かった。そして、常に迷っていて、悲観的で受け身だった。私が生まれる前に、私の5歳上だった兄を亡くし、その身に起こった不幸と理不尽の意味を常に求め続けていたのだ。私はそんな母親の姿を幼い頃からずっと見続けてきた。

「なぜ、私だけがこんな辛い目に遭うのだろう」それが母親の固定化された思考形態だった。私は母親の影響下から脱しようともがき苦しむ日々を続けて、気付けばカルト宗教やマルチ商法など母親と同じ道を辿っていた。

「お母さん?」
「うん」
「長かったね、今日も」
「そう、言いたいことだけ言ったら、満足して電話を切るの」
そう、いつも、私の話なんて一切聞いてくれなかった。私は被害者、私の気持ちなんか誰もわかってくれない、それが母親の生きる唯一のストーリー。

「先にお風呂入りなよ。食器は僕が洗っておくから」
「ありがとう」
「仕事終わって一息ついた時に見計らって、かけてくるのかな、お母さん」
「なんでだろうね」

夫の言葉に私は笑った。私と母親の違いは、夫の存在だった。夫に私は救われた。夫は私と私の母親の間にある絡まったストーリーを丁寧に解きほぐし、私に安寧な時間をもたらしてくれた。

なんで、わかってくれないんだろう。そんなことはもう言い尽くした。子どもは親を選べない、それも自分の中で考え尽くした。あとはなるべく母親が生きている間に、母親が死んだ後も生き続けることになる私だけのストーリーのキチンとした落とし所をつけたいと思っている、ただ、それだけだ。

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