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409_Juana Molina「Tres Cosas」

ベッドから朝起きてきた子供の顔を見ていると、いつもと違った様子が見て取れたような気がして、なんの気はなく理由を聞いてみた。なにしろ毎日、私は子どもの顔をよく見ているのだ。子どもの微妙な変化には、母親特有のセンサーが機敏に働く。(夫の嘘を見抜く際にもこのセンサーは有効だ)

「悠真、どうしたの?元気ない?」
「うん…」
「何かあったの」

自分の中から何か言葉を絞り出そうとしている息子の顔を見ると、キューっと自分の体の中の臓物というか、内容物をペンチのような金物で握りつぶされたような感覚になる。夜にいうところの通り、3歳児はというものは無敵でありすさまじくまさに元気の塊というか、本当に毎日が発見であり楽しそうに生きているかのように見える。そんなものだから、当の本人がこんなにあからさまに元気がなさそうだと、母親としては途端に不安になる。そういえば、なぜか昨日の晩から言葉少なげでご飯もあまり食べなかった。高密度な情報が一瞬で点と線を繋がっていく。

何があったの、早く早く、その理由を教えて。私は宝くじの当選番号や合格発表の受験番号でも見るような、焦る気持ちですぐにでも子どもを問いただしたくなった。自分の中で、その急くような気持ちを抑えつけて冷静でいるのがやっとだった。「君はいつも子どものこととなると、心配しすぎだよ」以前聞いた最大限にイラッとする夫の言葉が、自動再生されるテープレコーダーのように頭の中でチラつく。

うるさい、やめて、今は黙ってて。あなた子どもの何もわからないくせに。あなたには、母親センサーが付いていないの。今は一刻も早く子どもの声を聞きたいの。私は停止ボタンを押してリピート再生する夫の言葉をかき消すように、つとめてポジティブな安心できるようなことを考えるようにした。たぶん急におもちゃに飽きちゃったとか、昨日見たいテレビアニメを見忘れちゃったとか、本当に大したことではないんだということにしてしまいたくて、子どもが元気がない大枠の原因というものを早く知りたかった。でも、子どもの言葉を親が先回りするのはよくない、ということを聞いていたので、じれったいながらも、ずっと次の言葉を息子が言うのを待った。

できれば、子供にはずっと元気でいてもらいたい、いつもそれだけを願っているのに。幼稚園で風邪をもらってきたり、道路に飛び出しそうで少しヒヤッとした瞬間があると、そんな必要最小限のほんのか細い私の願いさえ、神様はきちんと叶えてくれないかもしれないということを、母親になって毎日実感させられる。私にとって子育ては毎日が喜びと試練(あえてこういう言い方をするようにしている)と連続だった。

でも仕方ない、子どものこととなると、途端に見境がなくなる親がいるということはよくわかる。子どものためと思ってといろんなことを試したり葛藤したりする親が世の中にいくつも存在していて、側から眺める者たちが、必死な若い親たちの滑稽な様子を揶揄するような勝手なYahooコメを見て辟易することは多い。子育て世代はなんでか、こういう世間の由なし事に真っ向に矢面に立つようなことが多い気がして、憤りを覚えることが多くなった。我々子育て世代がいつも世の中の歪みの皺寄せを一身に浴びて、子育て支援金は減らされ、職場では無理解に苦しみ、段々と皆が思う世間一般の子育てというものがいわゆる無理ゲーになっていってるのを日に日に肌身で感じる。

独身時代には味わったことのない感情だった。たかが子どものことじゃないか。確かにそうだ、だけどそれが自分の子供だったら、そう言ってられますかと。マジ無理ゲーだよねー、だとか渋谷のギャルの様に無責任に諦めるわけにはいかない。だって目の前に私の子どもがいるのだから。子どもが悲しんで泣きそうな顔をしていれば胸が苦しくなるし、寒くて凍えて、お腹を減らしてひもじい思いなど絶対にさせたくない。こればっかりは自分の身に起きてみないと、きちんとその親の立場に置き換えて客観視できるような代物ではない。親になってからわかる、というのは本当にそれ以上に言い表しようのない表現なのだと思う。

親はこれから子どもに起きうるあらゆる受難を取り除きたい、できれば自分が肩代わりしたい、と思うものなのだ。昔、母親が呟いていた言葉を思い出した。あんたも親になればわかるよ、と笑いながら話していたけれど、その言葉がグサッと刺さるよう。母親は惜しみのない愛の人だったし本当に立派だなと子供ながらに昔から思っていたけれど、自分も同じ立場になってみて、より一層尊敬の念を深めた。私もあんな風にきちんと我が子に接していけるのだろうか。

「どうしたの。なんなのかな」
「ええっと」
「ママに話してみて」
「それがね…」

絡まった華奢な金のネックレスをときほぐしていくように、ゆっくりと子どもの心を探っていく。グズリそうな様子を察して、できる限り粘り強く子どもの声を聞くようにする。息子はまだこの世界のいろんな事象に触れたばかりで、その全てが新鮮でうまく言語化できているわけではないのだ。自分も子どもの時はそうだった、それをいつも胸の中に留めている。

子どもが一つ一つ言葉を紡ぐように喋り出す。
「昨日ね…」
「うん」
「燕さん」
「え?ツバメ?」
「そう、燕さんの巣がなくなっちゃったの」

ツバメ、燕の巣。スパコンのように、私の脳内でそのキーワード検索が駆け巡り、スキャンされた結果、ヒットする直近の事象。燕の巣を息子と眺めていたこと、その一部始終が私の脳裏にフラッシュバックのように再生されていく。時折寄るスーパーマーケットで燕が巣を作っていて、ヒナに必死にエサをあげる親たちの様子を興味深げに息子と一緒にその様子を観察していたのだが、燕の雛が全て巣立ったのか、昨日は巣がもぬけの殻になっていた。

「燕さん、いないよ。どこ行ったの」
「燕さんは大人になったから、巣から出ていったの」
「大人になると、巣から出ていかないといけないの」
「そうよ、それを巣立ちっていうの」
「巣立ち…」
「そうよ、人間もね、みんないつか巣立ちするの」

息子はまだ動物が巣から巣立っていくという概念を理解できない。自分と父親と母親という家庭というものが、おそらくこれからも永遠にずっと存続するものなのだと思い込んでいたのだろう。その後に、店の店員がヒナのいなくなった巣を撤去しようとデッキブラシで巣をつつきはじめた(後から知ったのだが、ヒナが巣立つ前に撤去しようとすることは鳥獣保護法違反になるらしい)息子はその様子をまじまじと眺めていて、文字通り言葉を失っているようだった。

息子の頭の中で、一体どの様な考えや感情の爆発があったかは私にはわからない。「巣立ち」という概念が新たに創成されていく過程で、いろんな疑問や葛藤が起こっていたやもしれない。その時の私は職場に残してきた取引先への未提出の仕事を明日朝イチでどう捌くかということと、なるべく時間と手間のかからない夕食の献立で頭がいっぱいになっていたので、息子の様子もあまり大したことだととらえていなかった。ハッとして、今、私は子どもに向き直っている。「巣立ち」というコンセプトが、彼の中で高速でアップデートされていることを直視している。

「巣立ちをするとね。みんないなくなっちゃうの」
「え」
「巣立ちしたら、みんないなくなっちゃって、それで巣もなくなっちゃうの」
「いなくならないよ、燕さんみんなどこかで元気に飛んでいるよ」
「ずっとどこかで飛んでいるの?」
「そう、もっと広い場所に飛んでいったの。巣から飛び出して、ずっとみんな元気に飛んでいるのよ。だから大丈夫よ」

子どもは相変わらず、何かを言いたげで、文字通り言葉で言い表せいくらい悲しそうな顔をしている。燕の巣立ちという事象が彼にとっての深い部分をどのように揺るがしたのか、私には計り知れない。だけど、燕は元気に広い世界を飛んでいることは事実だ。だけど同時に、巣から飛び立った雛たちは二度とあの巣には戻るまい。家族は同じ場所にずっとみんなでいることはできない。これも一つの真実だった。

「燕はみんなずっと元気でどこかの空を飛んでいる」
半分ホントで半分嘘。私はそう子どもにちゃんと伝えないといけない。親の燕は子どもの燕よりも早く死ぬ。私はあなたよりも早くこの世界からいなくなる。家族3人で過ごしたこの家もいつか朽ち果てて、全ては思い出の中にすら存在しなくなる。あなたは私たちがいなくなった後も違う場所に巣を作って、必死に雛である子どもたちのために餌を取ってきて世話をして抱きしめて、そしてやはりいつかあなたもおんなじようにこの世界からいなくなるの。

巣立ち、巣立ち、巣立ち。彼がこの言葉とそのコンセプトを覚えた日、私たちの家から巣立っていく日へのカウントダウンがはじまるのだ。そしていつかこの世界からも、皆飛び立っていって誰もその巣に残るものはいなくなる。私は堪えきれなくて、ずっとずっと子どもを抱きしめた。

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