ニケ… 翼ある少女 ： 第21話「アテナの奇跡と現れた式神」

「じいさん、来てくれ！　くみがたいへんなんだっ！」

榊原さかきばら家の庭にくみを抱かかえて舞い降りた飄ひょうが開口一番叫んだ。

　すぐに、アテナと安倍賢生あべの けんせいが家の中のそれぞれいた場所から駆かけつけてきた。アテナは飄ひょうの抱く娘のくみの姿を見るなり、彼に対して言った。

「あなたが飄ひょう君ね。くみをそのままこっちに連つれて来てちょうだい、お願いします。」

　そう言いながら飄ひょうを誘導する。アテナが案内した部屋は和風造わふうづくりの応接間であった。ここは賢生けんせいが気に入ってよく利用している部屋だ。そこに布団を敷しいたアテナは飄ひょうに対してくみを寝かすように促うながした。飄ひょうは言われるままに、くみをそっと優しく布団に横たえた。

　くみは額に玉の様な汗を浮かべて苦しそうな表情で眠り続けていた。ほっそりとした美しい首筋もやはり大量に汗をかいている。床とこに横たわるくみの横に心配そうに正座をして見つめている飄ひょうの肩を、賢生けんせいが優しく叩たたいた。

「さあ、飄ひょうよ。後はアテナさんに任まかせて、わしの部屋に来なさい。そこで詳しい話を聞こうか。」

　賢生けんせいに促うながされた飄ひょうは、心配で見つめていたくみからアテナに目を移し、すがる様な視線でアテナを見た。

　アテナも飄ひょうを見つめ返して「大丈夫だから…」と、優しい表情で頷うなずいた。飄ひょうはうなだれた様に肩の力を落としたまま立ち上がり、何度も振り返りつつ賢生けんせいの後に続いた。

　アテナはBERSバーズによる戦闘と汗で汚れたくみの服を脱がせにかかった。くみの全身はひどい汗をかき発熱を起こしていた。表情は変わらず苦しそうだった。左の足首にも強い圧迫を受けた後が残っていたが、右の足首に負った傷の方が酷ひどかった。何かひも状の物を巻き付けられ、強い力で締しめ上げられたような傷を中心にして、本来ほっそりとして美しいくみの足首は全体的に紫色にひどく腫はれあがっていた。

「ひどい…　これは毒だわ…　毒がくみの全身にも回り始めている…」

　アテナは傷ついたくみの右足首に、そっと自分の右手をかざすようにした。するとどういう事だろう…　あてなの右手がまるで黄金の様に輝き出したではないか。

　なんという光なのか、眩まぶしいほど輝いているのだが見ている者の目を傷いためるような光ではなく、見る者に温かな優しさを与え心地よく幸せな気持ちにさせる光だった。その光をくみの傷と毒で腫れあがった患部かんぶに当てる。

　するとくみの傷口から水蒸気が立ち上のぼり、傷口が沸騰ふっとうして泡立っているようだった。水蒸気はくみの患部と同じ紫色をしていたがアテナの右手が発する光に照らされて浄化され、普通の水蒸気となっていった。

　その現象が続くと、くみの患部の紫色の腫はれが見る間に引いていき、くみ本来のほっそりとした太さの足首に戻っていった。残っていた傷跡も、まるで高速度撮影された動画を逆に再生する様に見る間に治癒し消えていく。

　眠っているくみの荒かった呼吸が安らかなものに変わってきていた。最後には、くみの右足首には傷跡どころか染しみひとつ残らずに、15歳の少女の美しく健康な状態の足に戻っていた。アテナは呼吸の落ち着いたくみを見て優しい微笑みを浮かべた。

　以上の目を疑う信じられない様な現象は、時間にして３０分とかからぬ間の出来事だった。奇跡と言うしかなかった。これが女神アテナの持つ奇跡の治癒ちゆ能力が成せる業わざなのか…？

　アテナは濡ぬれタオルで、汗にまみれたくみの全身を優しく拭ふいてやった。くみの全身の発熱はすでに治おさまり、呼吸も安定していた。もう、くみは大丈夫だろう。

　アテナは綺麗きれいになったくみに下着とパジャマを身に着けさせてやった。安らかな呼吸で眠るくみに布団ふとんをかけてから、アテナは静かに障子しょうじを閉めて部屋を出た。

　アテナは片付けをしてから、三人分のお茶の支度したくをして賢生けんせいの部屋に出向き、障子しょうじ越しに声をかけた。

「失礼します、アテナです。」

　アテナの呼びかけを聞いた賢生けんせいが、部屋の中から嬉しそうな響きの声で返事をした。

「おお、アテナさん。お入りなさい。」

　アテナが入って来るなり、飄ひょうが立ち上がって彼女の顔を食い入るように見つめて質問を浴あびせた。

「アテナさん、くみは大丈夫なんですか？」

賢生けんせいも腕組みをしながら不安そうにアテナを見つめている。

「ええ、もう身体の方はすっかり大丈夫よ。今は眠っているだけ…　起きれば体力も回復していると思うわ。」

二人の男達は安心して、ほっと吐息といきをついた。

「アテナさんがああ言うんじゃから、もうくみの事は心配ないわい。さあ、飄ひょうよ…　アテナさんにも事の次第しだいを話してあげるんじゃ。」

　賢生けんせいはアテナに全幅の信頼を寄せている様だった。嬉しそうな表情を隠そうともせずに満面の笑顔で飄ひょうに言った。

「分かったよ…　じいさん。」

　そして、すでに聞いていた賢生けんせいは二度目となるが、アテナは今朝くみに起こった事件の経緯を、初めて飄ひょうの口から聞いた。

「前のくみの友達誘拐未遂ゆうかいみすい事件から一週間しか経たってないのに、またそんな事がくみの登校の途中であったの…　とにかく、飄ひょう君…　くみを助けてくれて本当にありがとう。あなたがいなかったら、いくらニケでも危なかった…」

　と言って飄ひょうに対して深く頭を下げた。飄ひょうはこのアテナの姿を見るなり、慌あわてて手を振りながら彼女に言った。

「やめて下さい、アテナさん。俺は結局くみを無傷むきずで救えなかったんだ…　くみにもアテナさんにも顔向け出来ないんだから…」

そう言ってうつむく飄ひょうに賢生けんせいがたしなめる様に、だが優しい声で声をかけた。

「何を言っとるんじゃ、飄ひょうよ。お前のお陰かげでくみはこの家に帰ることが出来たんじゃぞ。わしもアテナさんと同じ様にお前には感謝しておるんじゃ。ありがとう、飄ひょう…　この通りじゃ。」

賢生けんせいも飄ひょうに対して頭を下げた。

「や、やめてくれよ、じいさんまで…　俺は穴があったら入りたいくらいなんだから…」

飄ひょうが身体をすくめながら首を振った。

「ははは、もうよい。しかしじゃ、お前の話に出てきた身体を部分的に機械に置き換えた怪物ども…　そいつらは新しい敵なのじゃろうか？」

そうつぶやく賢生けんせいに飄ひょうが答える。

「さあ…　俺にも分からない。ただ…　俺の知っている、前に襲ってきた連中とは確かに違ってた。」

　そのとき、首をひねる三人がいる部屋の開いていた窓から、一羽の黒い折り鶴が風に乗って入ってきた。それは、風に飛ばされてきたというよりも、まるで生きていて自らの意志で飛んできたように、座すわって話をしていた三人の中央の座卓の上に着地した。どうやら、黒い折り紙を使って折られた物の様である。

「むっ、この折り鶴は何者かの打った式神しきがみじゃ…　いったい誰が…」

　賢生けんせいが身構みがまえて周囲の気配けはいを探った。しかし、近くに人の気配けはいは感じられなかった。すると、折り鶴が賢生けんせいの方に向きを変え、驚いたことに人の声でしゃべり出した。

「僕だよ、父さん。成治せいじだよ…」

「何っ、成治せいじじゃと…？　お前、今どこにおるんじゃ！」

賢生けんせいにしてはめずらしく声が上ずり、慌あわてているようだ。

　この賢生けんせいの口から出た成治せいじとは、以前に述べた事のある安倍賢生あべの けんせいの三男である。

　そして、読者の諸兄はご存じであろうが北条 智ほうじょう さとるの下で右腕として働いていた鳳 成治おおとり せいじその人であった。

　鳳 成治おおとり せいじは大学を卒業後に家を出たまま親に対しても音沙汰おとさたなく、消息を絶たっていたのである。しかし、飛び込んできた折り鶴の式神しきがみを見る限り、父と同じく陰陽道おんみょうどうに通じているらしい。

「慌あわてるなよ、父さん。僕は全然別の場所からその式神しきがみを通じてしゃべっているんだ。探しても無駄だよ。悪いがさっきから、そこでの話は式神しきがみを通して全部聞かせたもらった。僕にも関係のある話なんでね。そうだ…　アテナさん、ご無沙汰ぶさたしています。それから、君はひょう君というのか…　よろしく。」

「挨拶あいさつなどどうでもいいわい。何故なぜ、自分の家に帰って来て直接わしと話をせんのじゃ。水臭みずくさいにもほどがあるじゃろうが！」

賢生けんせいが成治せいじの話を遮さえぎって怒鳴った。

「それには訳があるんだが…今は話せないんだ、父さん。とにかく、さっき話に出ていた怪物の件だが…正体はHybridハイブリッド BERSバーズで間違いない。」

今まで黙っていたアテナが、眉まゆをひそめながら口を挟はさんだ。

「Hybridハイブリッド BERSバーズ…？　それは、いったい何なのですか、成治せいじさん？」

「ああ、義姉ねえさん…　BERSバーズというのは先日からニケ…いや、くみちゃんを襲っているという怪物集団の事で、実態はBERSバーズと言い、『Bio-enhanced remodeled soldier』の略称で日本語に訳すと『生体強化型改造兵士』と言うんだ。そして、今日襲ってきた連中がおそらくHybridハイブリッド BERSバーズだろう。究極の禁忌きんきドーピングで作り出されたBERSバーズの肉体の各部をサイボーグ化して、さらなる強化を施ほどこした混合型ハイブリッドの生体強化改造兵士だ。」

「ああっ！　何を言っとるのかさっぱり分からん！　わしにもわかるように言わんか！」

賢生けんせいがイライラして癇癪かんしゃくを爆発させた。

「まあ、あわてるなよ…　父さん。とにかくHybridハイブリッド BERSバーズは日本ではまだ開発段階で実用化はされていない。今回投入されたのは他国…いや、十中八九アメリカ製で間違いないだろう。それで、そのHybridハイブリッド BERSバーズ軍団はその後どうなったんだい？　ひょう君。」

　急に自分に声をかけられ驚いた飄ひょうは言いにくそうに、美しいアテナの顔をチラッと見て俯うつむききながら答えた。

「ああ…　俺が全員ぶっ壊こわした。」

　飄ひょうはアテナを意識して、敢あえて『殺した』とは言わずに『壊こわした』と表現した。

「……　何だって…？　Hybridハイブリッド BERSバーズの20人を少年の君一人で？　話の様子ではニケでさえ倒されたんだろう？　そんな話、到底とうてい信じられないな…」

「本当なんだから、しょうがないだろ…」

飄ひょうがぶっきらぼうに成治せいじに答える。

「まあいい。君達が20人のHybridハイブリッドBERSバーズ相手に生還せいかん出来たという事実がすでに奇跡と言っていいんだから…」

鳳 成治おおとり せいじがそういった後、少し落ち着きを取り戻した賢生けんせいが改あらためて成治せいじに聞いた。

「成治せいじよ…お前はいやに詳しいようじゃが、ちゃんと説明をしてくれんか？　わしらは今朝の襲撃事件と、くみが怪我けがを負おった事で混乱しておるんじゃ。」

そう実の父親に問われた成治せいじは、少し沈黙した後で慎重しんちょうに答えた。

「分かったよ…父さん。今から話す事は国の機密事項に関することなんだが、そこにいる人達はみんな当事者だ。知る権利がある。話そう…」

　こうして、鳳 成治おおとり せいじが自分の在席する内閣情報調査室の特務零課とくむぜろかにおいて、自分の上司であった北条 智ほうじょう さとるが企画した『作戦ニケ』について初めから語り始めた。

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『次回予告』
くみを襲ったHybridハイブリッドBERSバーズの集団を大量殺戮さつりくした飄ひょう…
殺戮さつりく現場に残された遺留品いりゅうひんから北条 智ほうじょう さとるに徐々に明らかにされていく真実。
そして、鳳 成治おおとり せいじが式神を通じて語る敵に関する情報とは…？

次回ニケ 第22話「暴かれていく風神の正体と、榊原家の団結」

に、ご期待下さい。