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傷はその人が生きてきた証|『凜として灯る』書評|豆塚エリ

『凜として灯る』刊行を記念して、詩人・豆塚エリさんに書評を寄稿していただきました。

読みながら、理由もわからず得も言われぬものがこみ上げ、目頭が熱くなることが何度もあった。何度も原稿から顔を上げ、一体その感覚は私の中のどこから来るのか探った。

米津知子さんと同じ、私の女の体、麻痺して不自由な体の内側には、きっとたくさんの傷がある。向けられる視線や言葉、触れ方。耐え忍び、感覚を鈍麻させずにはいられず、気付かぬうちに受けた傷がある。そしてそれは熱を持ち、膿んでおり、なかなか自然には治ってくれない。

本著は、1974年に『モナ・リザ』にスプレーを噴射したひとりの障害者女性であり、社会運動家である米津知子さんが、いったいどうしてそのような行為に及んだのかを彼女の人生を紐解きながら綴られている。

 平成生まれの私は、当時は盛んだったという社会運動の存在を大人になってから知ったほどで、縁遠く、まして当時健常者男性たちの嘲笑の的となった「『モナ・リザ』スプレー事件」については名前すら聞いたことがなかったが、まるで小説を読んでいるかのように鮮やかな筆致で描かれる知子さんの心情、ほとんど一冊の紙幅を割いて丁寧に説明された事件までの背景を知ることで、「『モナ・リザ』スプレー事件」がぐっと身近なものに感じられた。また同時に、それだけ丁寧に説明をしなければわかりにくく、共感を得にくいという事実に、問題の複雑さ、解決の困難さをひしひしと感じた。それは私自身、普段から馴染み深い感覚だ。

著者の荒井裕樹さんは「怒り」について書く。憎悪とは違う、尊厳のため、私とあなたの体といのちを守るために必要な怒り。葛藤を伴い、私とあなたで分かち合うべき怒り。

長い間――生まれる以前から――伝統的に長く続いてきた抑圧によってすっかり萎んでしまっていた怒りという感情を取り戻すのは、並大抵のことではない。社会は「良い女性像」「良い障害者像」を物心付く前から道徳として積極的に押し付けてくる。愛されて「選ばれるため」「与えてもらうため」「認めてもらうため」に、「理想像」を演じ続けなければならない。そうでなければ生きていけないのだと、「良くない」のだと「罪悪感」を刷り込まれている。二重の抑圧を受け続けた知子さんが怒りを忘れてしまったのは無理もないことだと思う。

そんな知子さんに「米津、あんた、もっと怒っていいんだよ! あんたの中には怒りが足りない!」と正面から言い放ったウーマン・リブの代表的な人物、田中美津さんの存在がまばゆい。痛みを、怒りを、ありのままの女の言葉で捉えることで、引受け、取り戻そうと、リブの女たちは率直にぶつかりあった。本気でぶつかることで、「存在の手応え」を感じた。

しかし、女であり障害者であることによって「怒りが足りない」知子さんに受難が待ち構えていた。優生保護法の経済条項を削除することで中絶の規制を強化し、また、胎児条項を新設し、障害児の「発生予防」のための中絶を可能とする「優生保護法一部改正案」が国会に提出された。

リブは障害者運動団体である「青い芝の会」との共闘の道を模索したが、互いに対する不信から、なかなか活路を見いだせなかった。女と障害者の狭間でひとり佇み揺れるばかりの知子さんは、不仲な両親の顔を見上げ見比べる、不安げな子供の姿を彷彿とさせる。それは身が引き裂かれ、自身の力を奪われていくような感覚ではないだろうか。

知子さんは女と障害者、どちらでもあり、どちらにもなりきれないもどかしさ、辛さから、どうにか双方のつなぎ役として役目を果たそうとするも、とある失敗を犯してしまう。

自らの愚かさに動揺し、つい言い訳をしてしまう知子さんに、田中さんは一喝する。「あんた、怒りがないんだろ。障害者か健全者か以前の問題だろう!」

つまり、ひとりの人としての問題なのだ。人の尊厳とは本来、そういうもののはずだ。女だからとか、障害者だからとかは、ほんとうのところは関係がない。田中さんの真摯な言葉はそれを教えてくれる。私たちは、いのちひとつ、体ひとつの同じ人間であるということを。

痛む傷に気がついた知子さんの生き方はまるで、傷を自らナイフで切り開き、溜まった膿を絞り出すようだ。痛みと出血を伴い、治癒にも時間がかかる。傷は何度も膿む。のたうち、苦しみながら、傷と向き合う。それは一見愚かにも見え、受けた以上の痛みを伴うものであったのではないか。
 
しかし、痛み無くして自分の輪郭はわからない。痛みがあって初めて、ひとつの肉体しか持たない孤独な生き物であることを知る。孤独は不安で恐ろしいものだ。けれどもそこから自分は何者なのか、探求が始まる。

傷とはその人が生きてきた証だ。一度も傷つかないままに死んでいくことはできない。そう思えば、雨の日の古傷の疼きもまた愛おしい。傷があるからこそ誰かとお互いに労わりあうこともできる。リブとはそういう居場所だったのではないかと本著を読んで感じた。

タイトルの『凜として灯る』とは、孤独の暗闇の中で燃え光る魂のようだ。同じ暗闇の中にいる私たちは、その火の明るさに惹きつけられずにいられない。ぜひ多くの人に読んでほしい。

荒井裕樹著、凜として灯るの書影画像です
●豆塚エリさん推薦●
『凜として灯る』
荒井裕樹著
1800円+税 現代書館


豆塚エリ(まめつか・えり)
一九九三年生まれ。詩人。一六歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。大分県の小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。


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