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一万年生きた子ども――統合失調症の母をもって| 第8回 震える唇

小学校2年生のとき、母が統合失調症を発症。私は生き延びるために、「一万年の子ども」になった――。単行本化を記念して、ナガノさんの子ども時代が描かれた第1~10回を公開します。

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東田病院での入退院を経て、医者が杉見先生に変わって数年、牛歩の歩みでも母は外出ができるようになりました 。幻聴の通りに行動することもほとんどありません。しかし本当にゆっくりとしか歩けないので、一目で普通でないことがわかります。私はそれが嫌でした。

母も自分の体や様子が他と違って見えることが自覚できるようになりました。唇が震えてしまう母に向かって、「唇が震えているよ」と何度も注意します。そのたび、母は冷や水を浴びせかけられたように怯えた顔をして、ぎゅっと唇を結びなおすのです。
「ハルちゃん、これで、震えてない?」
「うん、大丈夫だよ」
意識しているうちは震えが止まっていても、数分立てばまた震えだします。私はその唇を見るのが嫌でたまりませんでした。

でも、それはすごく残酷な指摘です。今思い返すと本当に申し訳ないことをしたという気持ちでいっぱいになります。唇が震えてしまうのは、恐らく薬の副作用なのです。でも、私は何度も注意しました。

私は「健全で清く正しい普通の人」の目線に立ち、二つの世界の間の防波堤のような気持ちでいっぱいでした。私は「狂った」と言われる世界に住んでいました。「狂った」世界を断罪しようとする「普通の人」たちのふりをして、「狂った」世界を隠そうと必死でした。複雑でした。体は常に恥に引き裂かれていました。恥ずかしくて、恥ずかしくて、息を吸うたびに恥ずかしくて。

私は、母が統合失調症であることを差別する人かそれ以外かで人を分けていました。自分が安心してそこに存在できるかに関わっているし、母を差別する人たちが許せませんでした。母が統合失調症であることを差別しない人は、病院の医者くらいしかいませんでした。それ以外の大人は総(すべ)て敵でした。

私は今でもその癖が抜けません。この人が統合失調症の母に会ったら、どんな反応をするのだろうと考えてしまうのです。今でも、友だちやパートナーはその基準で選んでいます。友だちやパートナーが母に会ったときに、馬鹿にしたり、普通と違うことを笑ったりしないこと、それが重要なのです。精神病者たちを差別し、笑う人には悪気というものが一切ありません。それが当然のことのようにやるのです。普通と違うことは嘲笑の対象なのです。

私も一万年の子どもでありながら、その意識を内面化しました。それは世間が恐ろしくてならないからでもありました。私は精神病の母を持って、世間から助けてもらった経験は一度もありません。これはきっぱりと言えます。事実です。

そして、私は敵たちから母を隠すために、母に普通に見える方法を懸命に教えるのです。早く歩くこと、唇が震えないようにすること、痩せること。それは母にとってはどれもどうしようもなくできないことでした。でも、母を敵から守るためには仕方ないのです。そして、自分を守るためにも。

「頭のおかしい人」とか「異質な人」という視線をたくさん受ける側にいながら、振る舞いは普通でなければいけません。普通の人を演じるのはしょうがないことです。そうしないと、生きていられるような世界ではありません。でも、自分のいる「おかしい」世界と「普通の」世界を行ったり来たりするのは、とっても疲れます。それに何か、本当は自分が攻撃されるべきエイリアンなのに 、人間のふりをしているようで、いつも恐ろしい思いをしていました。

母から「もう、普通に見えるよね?」と確認されることほど、苦しいことはありませんでした。私は「あなたは普通に見えないから、普通に見えるようにしてよ!」といつも怒っていました。「あなたが普通に見えないと、私も普通に見えないんだから!」と。なんて、ひどい。母が「おかしい人」に見えないように、「普通の人」のふるまいを強要するなんて。それはできないことなのに。しかし、「普通の人」のふりをする私にとっては、生存にかかわる問題です。

その頃から私は同じ夢を見ました。周りは全員ゾンビで腐った姿をしているのですが、自分だけが唯一人間なのです。ゾンビたちは人間を食べるのが好きです。私は食われないようにはらはらしながら、ゾンビのふりをします。ゾンビが「人間の臓物のおいしい部分」の話題で盛り上がると、それに合わせて、「私は、心臓などが好きだ」と言ってみます。「心臓? そんなにうまくはない、筋ばかりではないか。一番よいのは肝臓だ」とゾンビたちは不審がります。「いや、私はちょっと好みが変わっているから」と必死に話を合わせるのです。「そうだ、君、どうして靴などはいているのだ」と隣のゾンビが言い出します。ゾンビの道には蛆虫があえぐ池ばかり で、私は蛆虫を踏み潰す感触だけは我慢ならず、赤い運動靴を履いているのです。「いや、足が痛くてね」「そんな、人間みたいなものはやめたほうがよいよ。何しろ、足が熱くてたまらないじゃないか」。そして、私は最後にはゾンビたちに気づかれないように少しずつ歩調をゆるめて脱走するのです。

愉快な夢ではありませんでした。夢は血の赤、深い緑、黄色の光だけがじとじととした闇に際立つものばかりでした。逃げている内に私はゾンビでないことがバレて、襲われて殺されるのです。目を覚ますと、ゾンビの中で必死に取りつくろった気苦労ばかりが体に残っています。

目が覚めても、その気苦労は変わりませんでした。ただ、母にゾンビのまねをするように強要すること以外は。人間はゾンビで、正常で健康なのはゾンビで 、人間が好物で、好物は人間をバカにすることで。でも、私は自分に人間の資格があるとは思いませんでした。学校も、スーパーも、バスも、電車も、道という道、空間という空間とは、ごまかしつづけなければならない場所でした。「キチガイ」をごまかしつづけなければならない場所です。
 背中も足の裏もつむじも、小指も空間にふれるとびりびりと怯えています。体の中心は体温をなくして、氷柱にうずめられた胃が縮こまります。
 


ある日、同級生から公文に誘われていったものの、そのうちにあまり行きたくなくなりました。でも、同級生にどうしてもそれが言い出せず、母に断るように頼んだのです。母は私を公文に誘いに来た同級生に何事か応対して、追い返してくれました。

次の日の学校で、同級生がみんなに大きな声で話をしていました。
「ハルちゃんのお母さんって、すっごい牛みたいなしゃべり方するんだよ。ハ~ルぅは~、もうぅ、行きま~せ~んとかって」
「あたしもみた、すっごい、変なの」
同級生の揶揄に怒るべきでしたが、愛想笑いで過ぎました。母親を馬鹿にされた怒りよりも、恥ずかしさが勝ちました。私にとって、世界に存在するとは恥ずかしいことなのです。生きるとは恥ずかしいことなのです。ただ、びりびりと苦しいことなのです。

私はその同級生がそもそも好きではありませんでした。けれど、誘われると断れないのです。それは、人からどう思われるかいつも気にするという性質のせいです。一万年生きる子どもをやっていると、いつの間にかそうした性質が身についてしまいます。それは、いつも母と世間との軋轢を回避するために人の顔色ばかり窺うからです。自分で行動するのではなく、世間と母をコントロールすることが使命となっているのです。そうすると、同級生に誘われても、その子の顔色を窺うようになり、行きたくもない公文の誘いにのってしまったのです。

母を嘲(あざけ)った同級生。それは子どもらしい残酷さなのでしょう。私は一万年生きる子どもでしたから、そうされて恥ずかしいという気持ちも本当にありましたが、その一方で、子どもの考えなしの行動を超越的に見ている自分も、どこかにいました。やっぱり、という思いとともに。やはり世界とは敵なのだ。少しでも油断したら、ひどい目にあうのだと。

一万年の子どもである私に、子どもらしさは必要ありません。どんな大人よりも大人で、冷静で、論理的に、そして世間を上から観察できる能力があるのです。一万年生きるこどもが生き延びる方法は、母の妄想や行動を先読みして、世間との軋轢を最小限にすることです。私は今回それを見誤りました。

私は同級生の誰にも母の病気のことは言いませんでした。もちろん、先生にも。それは彼らには統合失調症が理解できないことがわかりきっていたからです。精神病は差別の対象であり、自分は「キチガイ」ではなく「頭がおかしく」なく「気が狂って」いない側の人間であることを証明するためにも、差別しなくてはなりませんでした。そして、彼らはそれらを無意識でやってのけるのです。会話の端々に、「そんなの頭がおかしい人のすることだよ」とか「それは気が狂ってる!」とか「お前はキチガイみたいだ」とか出てくるたび、私は絶望するのです。ああ、この人たちに母の病気のことは決して理解できないのだと。

そして一万年の子どもである私は、戦う覚悟をします。母の病気を決して悟られてはならないし、理解されようと期待してもいけない。私が世間と母の病気をコントロールして、差別の軋轢を避けなくてはと。そんなこと不可能なのに。私は一万年の子どもである頃、失敗にしか終わらない試みが成功すると信じてずっとやってきました。母を差別する世間が許せないと同時に、屈服していました。世間から差別されることが恐ろしくてたまりませんでした。

みな、本当に精神病者には残酷なのです。その残酷さを受けるのが嫌で、私だけは普通のふりをしていました。私だけは差別されたくない。そういう自分勝手な思いがありました。差別されるというのは本当に辛いことなのです。同じ人間だと認めてもらえないことなのですから。目の前にいても、どんな話も聞いてもらえない。モンスターのように言葉が通じないと思われる。そして、嘲笑って良い対象と思われる。白い目で見られる。そこにいないかのように扱われる。差別されたい人間なんていません。

でも、差別されたくないと自分だけが思うことに、私は罪悪感を抱いていました。自分が差別されないために、母に唇が震えないように求め、速く歩くように急かし、痩せるように注意する。私のやっていることは、差別とどこが違うのでしょう。本当に泣ける思いがします。差別が連鎖しているのです。それも母子の関係の中で。こんなこと許されていいはずがない。誰か、誰でもいい、助けてほしい。そう思っていました。

でも、誰も助けてはくれません。私の子ども時代に、私たち家族の状況を理解して助けてくれる存在はいませんでした。安心して母を預けられるのは、医者と新興宗教の人だけでした。姉は「キチガイ」の世界に安住していて、世間に対して恥ずかしいとかいう思いはあまりないようでした。世間がおかしいという姉の見方は、正しいものでした。だから、姉はあまり私の頼りになりませんでした。私はむしろ「常識を気にするおかしな人」という扱いでしたから。常識を気にせずにおれたらどんなに楽だったかと思います。

でも、一万年の子どもであった私にはそれができなかったのです。

(『REDDY』での連載に加除・修正を加えています)

ナガノハル……1979年、神奈川県生まれ。双極性障害II型という障害をかかえながら、日々の苦労をまんがにすることをライフワークとしている。著書に『不安さんとわたし《当事者研究的コミックエッセイ・総ルビつき》』『不安さんとはたらく』(山吹書店)がある。

『不安さんとわたし《当事者研究的コミックエッセイ・総ルビつき》』

不安さんとわたし


『不安さんとはたらく』

不安さんとはたらく


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