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7.「私の病気を理解して」?(青木志帆)|私たちのとうびょうき:死んでいないので生きていかざるをえない

「私たちのとうびょうき」は、弁護士・青木志帆さんと新聞記者・谷田朋美さんによる往復ウェブ連載。慢性疾患と共に生きる二人が、生きづらさを言葉に紡いでいきます。今回は、青木志帆さんの担当回です。

病名があってもただ患っていることは許されない

私の難病者としてのスタートラインは、6歳の時の頭蓋内CT画像に、ピンポン玉大の「あきらかに変やろコレ」と思わせてくれる白い影でした。なので、「診断がつかない」「どこへ行っても気のせいと言われる」という経験が私の中ではまったくありません。

谷田さんの記事に野島那津子・静岡文化芸術大准教授(医療社会学)の「病名がないのに、人がただ患っていることを社会は許容しない」というお話がありました。ただ、私は、汎下垂体機能低下症という病名をぶら下げて35年ほど生きてきましたが、病名がついていても周囲が納得するような説明も診断書もなく患っていることを、社会は許してくれません。「医療関係者がぐずぐずと患う私の治療におつきあいしてくれるかどうか」という意味においては、病名があるほうが格段にただ患っていることが許されるのでしょう。ところが、医療関係者以外の、私の生活を取り巻く人たち――家族、親戚、友だち、先生、同僚、近所の人等々――は、病名があるかどうかに関係なく、いつまでも治らない状態を受け入れることがなかなか難しいようです。ちょうど、最高裁判所が私に対して「病気を治してから司法修習に来れないですか」と尋ねたように。

「私の病気を理解して」ー子どものころの話―

この、「ただ患っていることが許されない」状況をなんとかしようと、難病や精神疾患の患者会は「私たちの病気を理解して」とよく訴えています。私は、こうしたメッセージを見るたびに、「私が理解してほしい「私の病気」ってなんだろう」「誰に理解してほしいんだろう」と思うのです。まさか、自分の疾患についての医学的に正確な説明を日本中の人に理解してほしい、と本気で思っているわけではないでしょう。「私の病気を理解して」とおっしゃる方に、私の汎下垂体機能低下症の話をしても、私が「わかってもらえた!」と感じたことは多くはありません。「私の病気を理解して」と思っている人でさえ、同じ思いを持つ別の病気の話を理解することはなかなか難しいようです。というわけで、健康な人が大半を占める世間に対して「私の病気を理解して」と訴えることは、私自身はけっこう早い段階で諦めました。

他方、自分のまわりの人については、ある程度わかってもらわないと困ることが山ほどあります。そこで、私は毎年のように自分の病気を説明してきました。担任の先生が変わるたびに「私に関してどういったことに気をつけてほしいか」を、4月の始業式の日にお願いをしに行くのです。一応、6歳の時に脳腫瘍の手術を受けたこと、その後遺症でいろいろ気をつけてほしいことがあることなど、医学的な説明を前置きしますが、言いたいことはこの4点に絞っていました。

1.視野狭窄障害があるので、座席は中央後方の見通しの良いところをお願いします。
2.常備薬が切れると頻尿になります。授業中にトイレに行っても怒らないでください。
3.3カ月に1回、通院のために早退します。怒らないでください。
4.開頭手術を受けているので、よく頭痛を起こして遅刻・早退になります。怒らないでください。

たったこれだけ。しかも四つのうち三つは「怒らないでください」という「○○しないでください」というお願いです。「○○してください」という、積極的な行動をお願いするよりもはるかに負担が軽いはずなのに、十分に通じた年はなかなかありませんでした。とりわけ、中学校以降は、担任に伝えただけでは各教科担任へ話を通すのが難しかったのです。どうしても毎年、何名かはあたりの厳しい先生に出会ってしまいます。

授業中にトイレに立ったら「お前、休み時間中何してたんや!」と怒られる。
「すみません、今日は頭痛がひどいので帰らせてもらえませんか」と担任の先生に聞いたら「ちょwまた?wええけどwww」。
授業中に保健室で寝てたら、保健室のカーテンをガバッと開けて「あんた!次の授業もまた休んだら承知せぇへんからな!」と叫んで、ガバっと閉める体育の先生……。

面倒な話と思われないよう、できるだけ「どうしてほしいか」だけが伝わるように毎年工夫して説明してもなお伝わらない。これは、私の説明が悪いからなのだろうか。病気の子(未成年だよ!)一般に求められる説明義務としてはきちんと果たしていたと思うので、ここまで来るともはや先方に受け取る気がなかったんじゃないかと思わざるを得ません。

谷田さんが、前回の記事の冒頭で指摘されていたように、私のこの話のせいで、担任の先生たちは「責められている」と感じたのかもしれません。今回の私のこのお話を読んで、そう感じる人もいると思います。もう昔のことなので、今さら持ち出して恨み節みたいなことを言ってもね、と思っていたのですが、昨年度まで私が勤めていた保健所で、小児慢性特定疾病(児童福祉法に基づく小児の難病保健事業)の担当者研修の資料が回覧されてきた時に、これとまったく同じ話が「難病の子を持つ親の想い」として綴られているのを見ました。35年経っても状況が少しも変わっていないことにがっかりしたものです。たしかに、「命の危険のない」難病の子の語りはそれほど多くはなく、そのことがこの不変の状況を作ってきたのなら、申し訳ない気がしました。

人の痛みはわからない。だからこそ。

「理解」といえば、数年前、弁護士職員として市役所に入庁した時に受けた市長訓示のことが忘れられません。市長は訓示中、突然自分の腕を思いっきりつねり、「どうや、これがどれくらい痛いかわかるか」とおっしゃいました。この人は藪から棒にいったい何を言い出すのだろうと呆気にとられていると、「わからんやろ。わからんねん、人の痛みは」と続きました。その話は、「だから、行政職員には人の痛みへの想像力が必要だ」という結論へ向かっていったと思うのですが、私はそこから先の話を覚えていないくらい衝撃を受けたのです。それまで、「病気は人に理解してもらえるし、理解してもらわなきゃ生きていけない」となんとなく信じていたのに、面と向かって「お前の痛みはわからん」と言われたのが初めてだったもので。でも、たしかに、あのとき市長が腕をつねった時の痛みは、私にはさっぱりわかりませんでした。

ああ、こりゃたしかに。
わからんわ。
人は、人のことを完全に理解することなどできないんだ。

診断があってもなくても、どれだけ言葉を並べても、あなたは私ではないので完全に理解することなど無理なのです。だいたいよく考えたら、私自身も私の病気のことなどよくわかりません。1日何時間の勤務を、どのような気候条件下で何日以上続けたら倒れるかなんて、私にもわかりません。案外いける時もあるし、まだまだ大丈夫と思っていても朝起きたらまったく身体が動かなかったりもする。どこが自分の限界か、正確に把握している難病者はいないでしょう。自分でもわかっていない自分の病気を、他人がわかるわけがない。

だからこそ。

そこに気づけたからこそ、難病者が生きていくために本当に必要な何かが見えたりしないだろうか? 「私の病気を理解して」という願いを成就することは難しいとして、私はいったいこの願いによって何を期待していたのでしょう。

わからないものと付きあうのは実際面倒くさいですし、まして病気だと言われるとしんどいのに無理をして余計に体調を壊されるのが怖いですよね。だから、人は「家で寝てて」と言ってくれるのです。でも、しんどくならないことを最優先して生きると、私は一生家から出られないのです。しんどくて出力7割程度の私でも、出勤して人と関わっていたい。たまに体調崩すけれど、そのことも含めて私を怒らないで、嗤わないで、排除しないでほしい。
私が始業式に説明しに行った先生たちは、みんな最初は少し驚いた顔をしながら、途中からあいづちを打ちながら聞いてくれていました。ただ、特に感想を言われるでもなく、質問があるわけでもなく、「わかりました」と言われて終わっていました。ひょっとすると、「あー、お前の話はようわからん! わからんから、また聞くわ」と正直にぶっこんでくれたほうが、お互いに気が楽だったかもしれません。

私の、私たち難病者の「私の病気を理解して」という願いの中にこめられていたのは、「私を排除しないで」という想いなのでしょう。「私の病気を理解して」というより、「病気の私のそばにいて」のほうが正確でしょうか。
それが、ただ患うことを許容するということにもつながる気がしています。

青木志帆(あおき・しほ)……弁護士/社会福祉士。2009年弁護士登録。2015年に明石市役所に入庁し、障害者配慮条例などの障害者施策に関わる。(2023年3月に退職し、現在は明石さざんか法律事務所所属)。著書に『相談支援の処「法」箋―福祉と法の連携でひらく10のケース―』(現代書館)2021、共著に日本組織内弁護士協会監修『Q&Aでわかる業種別法務 自治体』(中央経済社)2019など。



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