一万年生きた子ども――統合失調症の母をもって| 第4回 初恋と不法侵入
小学校2年生のとき、母が統合失調症を発症。私は生き延びるために、「一万年の子ども」になった――。単行本化を記念して、ナガノさんの子ども時代が描かれた第1~10回を公開します。
***
「わかりました。すぐ行きます」
私は慎重に受話器に向かって答えました。近くの交番の派出所から「不法侵入で母を保護している」と、電話がかかってきたのです。私はすぐに父が店長を務める店に電話します。
「ママがまた交番にいるんだって」
「パパ忙しいんだ。ハルちゃん、お姉ちゃんと一緒に迎えに行ける?」
「うん」
姉はまだ中学校から帰っていません。でも、私は父を困らせると思い、そのことは言いませんでした。私は一人で行く覚悟を固めました。父も仕事で動けないのです。
一万年生きる子どもの意識が立ち上がります。私はもう、ただの子どもではないのです。この世の誰よりも神に近く、大人になりました。私の体は黄金に変化しました。交番で警察官と同等の立場でやりとりできるように心が変容してしまうのです。
母が交番に保護されるのは二回目です。一回目は父と一緒に行きました。だから、どうすればよいかはわかっています。けれど、一人となると勇気が必要でした。交番は家から歩いて一〇分ほどの花屋の角にあります。私は速足で向かいました。息を整えてから、交番に入ります。
「すみません」
わずか10歳でしたが、大人のように振る舞いました。私が顔を出すと、大柄な警官は事務的に母を促しました。警官とはすっかり顔見知りになりましたが、それほど親切というわけではありませんでした。彼らはただ、黙々と仕事をしているだけです。でも、侮蔑のまなざしを向けてきたりはしませんでした。
母は警察が好きでした。それは、「キチガイ」である自分を、唯一人間として対応してくれる人たちだからです。他の人は杉見先生を除いて、ただジロジロと見たり、呂律の回らない発話を訝(いぶか)しんだりするだけで、きちんと話の内容を聞こうとはしません。母の妄想を誰よりも理解していると確信していた、つまり一万年生きる子どもであった私は、世間の人びとも母の話を全部聞けばそんなにおかしなことを言っているわけではないとわかるのにと思いました。母には母の世界があり、それは世間とは一線を画しているだけなのです。でも、妄想と共に生きる人のことを、世間の人びとは認めません。自分の世界が唯一絶対正しいと信じ込んでいるのです。それは妄想の世界を恐れているようでもありました。私は、母の妄想の世界を恐れたりしません。
警察は統合失調症の人の扱いにも慣れていて(おそらく、そういう人をたくさん対応するのでしょう)、表面上は優しく接してくれました。私が来たことで帰宅を悟った母は、さっさと歩きだします。私は無言でその後ろをついていきました。こんな姿を同級生に見られたら恥ずかしくて死んでしまいたくなります。周りを警戒して、人の目線を気にしていました。私は誰よりも大人になってしまっているので、世間の常識というものに敏感でした。世間を恐れていました。そして、その恐れを母や姉から責められました。「ハルちゃんは常識人だね」と嫌味を何度も言われました。母はわざと、「人前で怒鳴られるのが一番嫌なんだろう」と駅前で私を罵ったこともあります。自分は大声を出して人に注目されるのなんて、なんとも思わないのだと、人の目を気にする私は愚かだと、わからせたいかのような行動でした。
私は自分が「常識人」であること「人の目を気にすること」を恥じていました。我が家の価値観では、人の目なんて気にせず好き勝手にふるまうことが、一番とされていたからです。今から思えば、人前で暴れたり、大声を出したり、怒鳴られたりすることなんて、誰でも嫌だとわかります。しかし、当時の私にはそれがわからず、自分が悪いのだと思っていました。
ひまわりが一面に散っている母のワンピースは、夕闇に目立ちました。私はそれがとてもいやで、黄色が嫌いになりました。母はお腹だけ突き出た体形でそのワンピースを着るので、まるで妊婦のようなフォルムになりました。けれども、その顔を見れば、妊婦であるとは誰も思いません。変な太り方でした。手や足は細いままなのです。母はワンピースを気に入っているらしく、何枚も同じ形のものを持っていました。
*
翌日、小学校から戻ると、また母の姿がどこにもありません。私は不安になりました。追い立てられるような焦り。常識から外れた恥が見つからぬようにびくびくしています。私の毎日は不安と焦りと恥の連続です。それをどう回避できるか知恵を絞らなくてはなりません。
私は鍵をかけ、きちんと施錠できたかを確かめると、家を飛び出しました。警官に捕まる前に私が保護しなくてはと、心当たりのある路地をくまなく探します。
「母はまたあの家に行ったのだ」
私は心臓に冷たい砂をサァーッと流し込まれたように体が震えて、怖くなりました。母はその頃、久保田さんという見ず知らずの人のことを、自分の初恋の人で、父とは別にプロポーズしてくれた人だと思い込み、その人の家の中に勝手に入ったりして通報されていました。
久保田さんの家に向かうと、案の定、その周りをぐるぐるまわる母を見つけました。
「帰ろう、久保田さんはいないよ」
母を強く引っ張ると、思いっきり手を払われました。
「そんなことない。久保田さんは私のことが好きなの。だって、家に勝手に上がっても、優しく「だめだよ」と言うだけだった」
それは、「キチガイ」への哀れみなのだと、私にはわかっていました。でも、その人は私が母を追って奔走するさまを見て、言葉をかけるでも、不審な目をするでもなく、ただ迷惑で、少し気の毒そうな顔をしていました。久保田さんは私から見ても、美貌の男でした。がっしりとした肉体を持ちながら、やわらかい物腰は色気があります。
私はその頃、誰よりも母の妄想の理解者でありたいと願っていました。一万年生きる子どもである私には、母と妄想の世界の話を一緒にできるという自負があったのです。それは、母よりも母の世界を一手先に理解し、母のやってほしいことをやるということです。そして、母の世界と現実の差別の世界の狭間を、カミソリの刃の上を歩くように上手くやっていくということなのです。世界は母を異物として扱います。遠慮なく侮蔑のまなざしを向けてくるのです。私にはそれがとてもつらいことでした。だから、母の妄想を上手くコンロトールして、統合失調症のある母でも世間と上手くやれるように調整することが、私の役目のように思っていたのです。だから、そのためには何より母の妄想を知っていることが重要でした。私はいつも緊張していたのです。自分が上手く立ち回らなければ、カミソリの刃を歩くぎりぎりの世界から途端に落ちてしまうと。
母は目の前の久保田さんと初恋の人が別人であることはわかっているようでした。けれども、久保田さんが自分のことを好きだと言って譲らないのです。母の中で父のことはどうなっているのだろうかと考えることを、私は当時しませんでした。とにかく、母の妄想に合わせて生きること。そして、社会から母を妄想ごと守ることが私の使命でした。
母は久保田宅の斜め向かいの塀に立ち尽くしています。待っているつもりなのでしょう。 巨大な枇杷の木と肉厚の葉が母を世間の目から隠しているようで、その場所はちょうどよいと私は思いました。
「納得するまで待てば帰るだろう」
母の妄想を否定して、「久保田さんはママのことなんて好きじゃないよ。迷惑してるし。不法侵入は犯罪だよ」などと言っても無駄なことはわかっています。私は母から少し離れた駐車場の車止めに座り、砂利をもてあそびながら待ちました。
人通りの少ない路地に時々、夕飯の買い物に行く主婦や豆腐屋が通り過ぎます。そのたび、私は緊張して身構えました。母をじろじろ見る人ならば、警戒しました。久保田さんが帰ってこないことを祈りました。平日なので、家にいない時間帯です。久保田さんが何をやっているか知りませんが、勤め人であることは確かです。しかし、母はそれを理解できないので、毎日待ち伏せしているのです。久保田宅は古い木製の塀で囲まれた平屋です。外から見える庭らしき部分には濃い緑しかなく、常に日陰になっています。家全体が重苦しく、暗く、じっとりとした闇を隅に隠しています。幸福の絶頂から没落したような雰囲気が、我が家にも久保田さん宅にもありました。
母を待ちながら、私は貧血を起こしていました。視界の端々が薄暗く、自分がずっと遠くに行ってしまうようです。脂汗がにじみ、得体の知れない不安でおかしくなりそうでした。背後に私を罵倒する男の気配を感じました。それは、私にとって物心ついた頃から付きまとう影です。幻想と幻聴の間の傍若無人な罵声は、気がつくとすぐ近くにやってきてしまうのです。私は、まずいな、またあの暗黒焼け野原に落ちるのだと思いました。
「おまえはだめだ!おまえはおかしい!」
そういう幻聴のような声で頭がいっぱいになってしまうことが、私には時々ありました。けれども、私はそれが幻聴であることを理解していました。
私はどんなに胸糞悪くなっても、苦しくとも、立ち続け、泣き叫ばない自信がありました。恐怖で身をすくませても、恥で体が業火に苛まれても、不安にべったりと息を塞がれても、軽蔑のまなざしが矢のように降り注いでも、意地の悪い同情が覆いかぶさっても、侮蔑の視線に心臓が限界まで震えても。私に備わる冷徹な理性は、とっくの昔に私の感情を抹殺しました。それでも残った心は、切り捨てておいて行きます。生きるために。一万年生きる子どもであるとはそういうことです。
路地を抜けて、魚屋の時計を確認します。もう、何度往復したことでしょうか。
「もう、四時だよ、お腹もすいたし、帰ろう」
「お腹空いた?」
「うん」
私は母が子どもを可愛がる心だけ残していることを知っていたので、それを利用しました。お腹を空かせた子どもに飯をやることだけは忘れないのが、悲しくも愛おしいのです。私はやはり、確かにこの人のこどもであることを納得しました。それだけが、母と私をつなぐ証のようでした。過去と現在を自由に行き来する母は、今の私だけは過去にも連れて行っているようです。
「疲れたから、家に帰ってから、買い物にいこう」
その日もひまわりの黄色いワンピースでした。すね毛はぼうぼうで、その足を見て笑う中学生男子の前を通るとき、死ぬほど恥ずかしくなりました。繰り返し、繰り返し、世間のやつらは「キチガイ」の身体を笑います。身綺麗で正常な母親を連れた子どもを見るとうらやましくて呆然としました。
つい先日あったできごとを思い出しました。
「ハルちゃん、お菓子をあげるね」
金持ちの友人の美貌の母が差し出したお菓子を、両手でもらって帰ろうとしたときです。
「あの子、卑(いや)しい感じがする。だって、普通、お菓子をもらうとき両手いっぱいになんて思わないでしょう」と陰口を叩かれていたので、もう二度とその家には行くまいと思いました。私には予測不能な卑しい心や、しつけのなっていない振る舞いがにじみでているのだと思うと悲しくなるのです。自分で自分をしつけているつもりでも、10歳の子どもには限界がありました。なので、授業中に校門を見つめながら、美しい母親が私を迎えにくる夢想を繰り返ししました。
(『REDDY』での連載に加除・修正を加えています)
ナガノハル……1979年、神奈川県生まれ。双極性障害II型という障害をかかえながら、日々の苦労をまんがにすることをライフワークとしている。著書に『不安さんとわたし《当事者研究的コミックエッセイ・総ルビつき》』『不安さんとはたらく』(山吹書店)がある。
『不安さんとわたし《当事者研究的コミックエッセイ・総ルビつき》』
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