中世の本質(8)中世王の王権、再び

 封建領主たちは中世王に分割、分与の大権を与えましたが、彼らはさらにもう一つの大権をも与えていました。それは当然のことですが、中世王が日本を支配する権力です。
 中世王が日本を支配する権力は二種類、あります。一つは大名を支配する権力です、そしてもう一つは日本全体を支配する権力です。先ず、前者ですが、それは中世王が大名に直接、指揮、命令をする権力です。例えば頼朝は関東の領主たちに平家を討て、義経を捕まえろ、と命じます。して秀吉は大名たちに戦国大名、北条を攻撃するよう命じます。その命令を受け、領主や大名たちは直ちに行動を起こし、主君の敵を討ちます。
 このように中世王は大名を顎で使います、それは中世王の大権です。但し、注意すべきことですが、中世王は大名の領民を直接、支配できないのです。大名の領国経営に介入しません、できないのです。何故なら、領民を支配する権力は大名に帰属するからです。つまり中世王は本領安堵を通じて大名たちの領主権をすでに認めているからです。
 従って中世王の王権は大名個人を支配しますが、全国民を直接、支配できないのです。それが分権支配です。日本を支配する国家権力は中世王と封建領主に分割されたのです。これが中世固有の支配主体の一つである分権制です。頼朝から慶喜まで一貫して存続した中世の支配体制です。
 一方、古代王は例外なく、国民すべてを直接、支配します。中央集権制です。古代王の命令を遮るものは何もありません。それは古代の専制支配であり、恐ろしい支配体制です。国家権力を握る者は古代王以外誰もいなく、彼のみが全権をもちます。権力は分割されず、一体のものとなっています。
 さてもう一つの中世王の王権は中世王が日本全体を包括的に支配する権力です。それは大名領国を超えて日本全土に及ぶ事柄、例えば土地制度、大名統制、軍事、外交などに限り、行使されるものです。目的は全国の秩序の形成と治安の維持です。
 例えば頼朝は封建領主同士の土地争いを裁き、彼らの争乱を未然に防ぎます。泰時は御成敗式目を定め、武家社会の秩序を整え、武士を統制します。秀吉は不合理で、杜撰な荘園制に代わり、石高制を全大名、全農民に向けて発布し、武家独自の土地制度を確立します。家光は武家諸法度の制定や参勤交代の制度化を通じ全国の大名を統制する。そして家斉は異国船打ち払い令を大名に向け発布する。
 従って中世王の王権は大きく分けて三つあります。一つは分割、分与の権力、一つは大名個人を支配する権力、そしてもう一つは日本全体を広域的に支配する権力です。中世王はこれらの支配を通じて中世日本の秩序を整えたのです。そしてこの王権は時代によって強弱の差はあるものの鎌倉時代から江戸時代までを貫いて存在していました。それ故、中世王は中世の支配主体といえます。
 一方、古代王の王権は絶対王権です。古代王の命令は絶対です。そしてすべては古代王の下に集中します。中央集権制です。彼は国民のすべてを一方的に、そして直接支配できます。それは残酷な支配となりうる。ですから古代王権は単純素朴であり、中世王権のようなややこしい、複雑なものではありません。ここからも古代と中世とは全くの別物であることがわかります。

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