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思想のことば【0012】

十歳の子供の問いと、夢は、大人のいかなる饒舌な哲学よりも、至純で具体的で人間的であるに違いない。只その表現の手段と技術がないだけである。

〜中井正一「新しい神話を追い求めつつ」より〜

「十歳」といえば、世の仕組みやしきたりなどもぼんやりと見えてはくるが、それまでの子どもの世界から抜け切ってもいない、ちょうどそんな年齢だろう。
だからこそ、「世の仕組みやしきたり」に馴染まないような物語…神様がどこからか自分たちを見ている、というようなファンタジーに違和感を覚えつつ、同時に、そうした「子どもの世界」を捨て去ることもできないわけである。そして、そうした背反する思いが、「神様はどこにいるのか」といった問いとして具体化されるのだ。
逆に言えばこうした質問は、それまでの自己の世界を相対化する端緒であり、おそらく発話者のなかでは、決定的なレベルでのパラダイム・シフトが進行しつつあるに違いない。
「表現の手段と技術がない」ために、子どものそうした疑問について、僕たちはしばしば、微笑ましい牧歌的なイメージを持つかもしれない。しかし、彼らの中で起きているドラスティックな変容に思いを馳せるなら、そうしたイメージは、きっと雲散霧消することだろう。



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