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寺田寅彦「流言蜚語」に学ぶ

適当な科学的常識は、事に臨んで吾々に「科学的な省察の機会と余裕」を与える。そういう省察の行われるところにはいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱められなければならない。

〜寺田寅彦「流言蜚語」より〜

先日の福島沖地震(2021年2月13日)で、また腹立たしいことが起こりました。特定の人々を名指しして、「あいつらが井戸に毒を投げ入れるから気をつけろ」といった趣旨のツイートをした人間が、僕が確認しただけでも、少なくとも複数人いたのです。その卑劣な行いを「ネタじゃないか」と擁護する人間を含めると、おそらくあの日、かなりの数のヘイトが発されたはずです。
物理学者の寺田寅彦は言います。
そうしたデマが「流言蜚語」として広く伝播されていくならば、それは、そのデマがデマであることを見抜けない、市民のせいである、と。より具体的には、僕たち市民の科学的なリテラシー、あるいは論理的思考力の欠如ゆえである、と。
寺田はこの「流言蜚語」のなかで、「大地震、大火事の最中に、暴徒が起って東京中の井戸に毒薬を投じ、主要な建物に爆弾を投じつつあるという流言が放たれたとする」と仮説し、科学的思考がいかにデマの拡大を防ぐか…ということを論証します。この随想の初出が大正十三年九月『東京日日新聞』であることから、寺田の念頭に、大正十二年の関東大震災で生じたマイノリティたちの大虐殺があったことは明らかです。
夥しい数の犠牲者を殺したのは、自分たち市民の無知である。
寺田は間違いなく、そう主張しているのだと思います。
「何のために勉強するのか?」
人はしばしば、そうした問いを口にします。
その答えの一つが、しかも、大切な大切な一つが、寺田寅彦の随想「流言蜚語」には明示されています。



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