「ふしぎな島のフローネ」を見た

昨日ここに記事を書いたらやはりアウトプットへのハードルが下がったのか
色々書きたいことが浮かんできたので書いてしまおうと思う。
これが行動興奮という奴か…
人間の脳みそは所詮刺激に対して反応を返すようにできているのだ。

もうだいぶ前だけど「ふしぎな島のフローネ」というアニメを見た。
世界名作劇場の内の一作で原作は「スイスのロビンソン」という作品でスイスから当時入植がはじまっていたオーストラリアへ引っ越す途中、船が難破して無人島に取り残されてしまった一家のサバイバル生活を描く。
主人公一家の三兄弟は原作ではみな男だったが、アニメでは主人公フローネが女の子に変更されているという。へえー
以下感想にネタバレを含みます。

世界名作劇場と言えば子供向けのアニメではあるので、サバイバル描写もそこまでハードではないのだが、その中でどこまでをどう描くのかという匙加減がひとつの肝である。
実際船が難破した際に他の乗客の多くはボートで逃れたが、最後まで残っていて海へ投げ出された主人公兄を助けてくれた船長はのちに海岸に打ちあがって発見され、絵的にはショッキングな描写はないもの明確に人の死が描かれている。
また座礁して中途半端に海面から突き出していた船体がなすすべなく沈んでいった際には、船に残してこざるを得なかった家畜たち、牛とかロバとか鶏とかが一緒に沈んで行ってしまうことに思いをはせて見つめる姿が描かれており、これも画としては描かれていないものの結構つらい場面である。
このように子供向けであるからと言ってサバイバル物として無視できない側面をおろそかにしておらず非常に好感が持てる。
一方で最後に島から手製のいかだで脱出する際、島で出会った他の遭難者である船乗りのじいさんに、食料も水も余裕はないのだから犬は連れていけない(前述の亡くなった船長の飼い犬でサバイバル生活の中苦楽を共にした)と言われて対立した問題では、最終的には船乗りが折れて共に脱出することになった。
実際の遭難の際であれば、どのくらい続くかわからないいかだでの航海には本当に少しでも余分なものは載せられないはずであり、犬を連れていく判断は合理的とは言えないが、このもはや登場人物の一人といってもよい犬を主人公が、大人の圧力があったとはいえ能動的に見捨ててしまうのは子供へ向けた物語上問題ありという判断であろう。
サバイバルの厳しさを押し出したもっと高年齢層向けの作品であればそこで悲しい別れとして描く方法もあっただろうが、今作においては犬を見捨てない主人公としたのは良い判断であったと思う。
また厳しいサバイバル生活にあっては、心の支えとなった動物に普通以上の情が芽生えることもあるかもしれないので、実際リアルな判断としてもあり得ることかもしれない。
食料を得るためせっかく作った畑が野生動物に荒らされたり、一度海に船影が見えのろしを上げるも見つけられずに素通りされたり、一度希望が見えるも厳しく閉ざされてしまうというシーンにサバイバルの非情さがしっかり描かれているので、甘い作品とは感じない。
この全体を通して難しい匙加減を巧みにやってのけた作品だったと思う。
脚本のクオリティという意味で見ていて危なげがない。
お父さんがいつも冷静で頼りになる理知的な人物で一番好きなキャラクター。
無人島に暮らしていても子供たちへの教育をわすれない。
兄のフランツも神経質なところもあるが成長性があって良い。たまに毒舌を吐く。
母も農家の生まれで頼りになるし、夫の帰りが遅いといつもすごく心配するのがなんかリアルで信頼感を感じて良い。
弟はきれいな貝殻を集めてて良い。

本作を見ていて一番こころに残ったのは主人公フローネの見せるある子供らしい反応様式である。
それは「問題が目の前に現れてみないと自分の気持ちがわからない」ということ。
具体的には、
初めオーストラリアに引っ越すと聞いた際には大賛成して新天地に期待に胸を膨らませていたフローネが、いざ出発が近づくと急に寂しくなって渋ったり、
この島には狼がいるとわかった時には、「銃もあるしそんなの追っ払っちまうわよ!」と意気揚々と怯える母親を元気づけていたのが、
いざ夜に狼の群れに襲われた際には怯えて何もできず、最初からビビりまくっていた母親が銃を取り火を振りかざし子供を守ることとなったシーン(ここのお母さんが実に懸命で緊張感あふるる良いシーンなのだ。父と兄は出かけていた。)などに見受けられる。
またオーストラリアへの出発に際しては、兄のフランツは逆にスイスに残ると言っていたのが、土壇場で動き出した船に飛び乗っている。

これを私は「子供らしい行動様式」といったが、実際私も身に覚えがある。
今一番に思い出されるのは、かつて数人で集まって一つのある作品を作ろうとしていた時の事、制作の初期段階で一人に、「もしメンバーとどうしても意見が合わなかった場合、融和をとるか作品性をとるか?」という質問をされた。
当時私はよく考えもせず「そりゃあ作品でしょう」と答えたのだが、
しかして実際メンバー内に軋轢が生まれた際に、私はそれをすり合わせたり都合するのがめんどくさくてすぐに折れようとしたことがある。
私はメンバー内の軋轢というのがどれほどめんどくさいか、それをうまくやるのがどれほど難しいかを知らなかったし、考えていなかったのだ。
なんならそう言った問題が起こりうるということも真剣に考えていなかった。運が悪くなきゃ起こらないだろうと無意識的に思っていたかもしれない。いや~、200パーおこるよ、そういう問題は………
「作品を取るって言ったじゃん」とそいつには言われてしまったことを覚えている。
「いやーそんなこと私は気にしないね」と強がっていた(といっても強がっている自覚はなく、本当にその時はそう思っているのだ)にもかかわらず、実際にその問題が起きると日和ってイモを引く、問題に直面して初めてその問題の意味や重大さが理解されにわかにあせるということが、普通に年取ってからもままあるように思う。
こういういわば「フローネ性行動」が回避され、前もって確かに身構えることができるのはやはり経験によるもんだろうと思う。
逆に言えばまだ経験のない事柄に関しては大人であってもまだ起こっていない問題の重大さや難しさを事前に察知して真剣になるというのは難しい。
自分自身がその場面でどう感じるか、ということさえも実は自分でもよくわかっていないものと思われる。
失って初めてわかる…なんて言葉もあるし。
前にある漫画家志望だった人が、何度描いても思うように芽が出ず、ついにはもう辞めよう、と思ったとき、「ああ、自分はもう漫画家を目指さなくていいんだ」とある種開放的な気持ちになって驚いたという話を書いていた。
好きで目指していた夢がいつの間にか義務化していたことに気づいたのだ。
またある不妊に悩み何年も不妊治療に努めていた方が、見かねた夫に「養子縁組を考えてみるのはどうか」と提案された時、一瞬こんなに頑張ってきたのに!と怒りを覚えたものの、すぐにいや、それもいいかもしれない、素晴らしいアイディアかもしれないという気持ちが沸き上がってきて、そうすることに決めた…という話を読んだこともあった。
これら例がフローネ性の例として適当かわからないが、人間の感情は意思とは関係なく”ネイチャー”の産物であるからして、自分でもコントロールできないし極論予測も不能だということでしょう。

ただこの作品を通じてこういうフローネ性が人間には誰しもあるということを知っておいて、自分もいざとなったらわからないぞと心に留めておくだけでも、特殊詐欺とかに引っかかりにくくなったりするんじゃあないでしょうか。

世界名作劇場の作品を私は他に見た覚えがないが、こういういわゆる子供向け作品は落ち着いた作風というか、言ってしまうと地味な印象を受けるがゆえに、正直子供心には退屈なのではといういらぬ危惧がある。
子供はむしろ刺激的なものを求めがちな気がする。
というので、この派手さはないが染み入るような味わいがあって、危なげないハイクオリティのアニメ職人芸を堪能享受できるのはむしろ大人なのではないかとも思う。
ので個人的には大人にこそおすすめしたい一作です。

ではまた。

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