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アクセラレーター奮闘記(仮)/概要説明-その1-

202X年X月、「季節もクソもなくなったんじゃないか?」と勘違いするぐらい強い日差しの降り注いだ暑い秋…
千葉県在住のとある40歳中年男性が思わぬタイミングで【アクセラレーター】なるものに挑戦することになった。これはそんなまたもや“よくわからんカタカナの肩書き”を手に入れるべく、不器用でちょっとはみ出したおっさんの記録である。

とそんな入り方をしましたが、まずは筆者の職業人生を紹介をします。
僕は今から15年ぐらい前に学生卒業と同時に開業。
「自分たちの作品で食っていける世界を作ろうぜ!」って言って、大学の頃の仲間たちと宇都宮で【デザインオフィスみたいなもの】を立ち上げました。
当時は“ホームページビルダー”ってソフトで“インターネットショップ”作って作品売ったり、街のギャラリー借りて展示会開いたり、空き店舗使って地域活性化イベント企画してやったり、頼まれたもん作ったり描いたりしてました。しかしたった2年で廃業。
意気揚々とノリと勢いで8人のメンバーで始めましたが、1人また1人と離脱していき、気づいた時には自分だけになっていました💦

それでも「ま、みんなにはまだ早かったんだべ!俺1人でもみんなが帰ってこれる場所を作って待とう!」と決めて、必死で何とかしようと思ったけども何ともならず…
結果500万溶かし、体も壊してまともに起き上がれなくなって、最後は親父の救済を受けて、地元に逃げ帰りました。まだ今みたいにBASEとかメルカリとかなくて、マッチングサイトもなければ、助成金だのピッチイベントだのコワーキングスペースだの、な〜んにも知らなかったしなかった時代のお話です(^_^;)
(自分の仕事がなくなった経験その①)

何とか生きて地元に戻り、飲食業界に入りました。25歳にして初めての“就職”です。
そこでは8年間、【イタリアンレストランの店長】をやりました。この間に東日本大震災が起きて、未だに騒がれる福島県で全力で被災者もしてました。
(自分の仕事がなくなるかもしれない経験その②)

6年ぐらい前に転職で東京に出てきて、“飲食コンサル”として駆け出したけど全然ダメで、転職2年目に会社の新規事業で「創業支援と海外進出サポートを主軸としたインキュベーション施設」…要は“コワーキングスペースの立ち上げ”をすることになり、【コワーキングスペースのコミュニティマネージャー】という当時は引くぐらい“謎の肩書き”を与えられました。「何やんの?」って聞いても誰もはっきりした回答をくれない、肩書き同様、仕事も謎で、就いているのにその仕事が何なのかを探求する『哲学』みたいなことを始めました。
後にも先にも僕の人生でこれ以上に謎の仕事で、カタカナの並ぶ肩書きを名乗ることはもうないでしょう。(いや、そうであって欲しい)
そこでは3年ぐらいですね。この時は(皆さんも状況は同じですが)新しいことスタートして2年目にして“例のアイツ”がやってきて、全く会員さんがいなくなり「売上立たないじゃん!」って状態なんかにも直面しました。
(自分の仕事がなくなるかもしれない経験その③)

でなんとかかんとか施設を潰さずにある程度落ち着くまで踏ん張って、その時ワークスペースを利用してくれていた会員さんにお仕事誘われて、退職。人生二度目の独立をして、フリーランスになってあれやこれやをやっていました。(誘ってくれた会員さんの仕事をD社とします)
その時、全国のワークスペースを紹介するあるサイトの立ち上げメンバーにも参画。いろんなコワーキングスペースの取材したり、コワーキングスペースのコンサルティングサービスの設計に携わりました。(これをA社とします)

A社の組織はプロジェクト型?ホラクラシー型?って言うのかなぁ…
3年ぐらい前ですけど、今で言う『自律分散型組織』的なチーム構造で、“ワークスタイル系ビジネス”を創造していこうとしていました。
皆、それぞれ本業のある会社員だったり。
自分で会社持ってる社長さんだったり。
独立してフリーランスだったり…
とにかくいろんなスタイルの人がいて、食ってくための「ライスワーク」は持っていて、代表以外はサブっぽい感じで「ライクワーク」的にA社の事業創造に参加して形にしていこうぜ!みたいなことやっていました。(ちょっと『チーム・ゼロイチ』っぽい感じの組織です)
※ライスワーク=ご飯を食べて生きていくためひ必要な収入を得るための仕事
※ライクワーク=この仕事での収入の有無は生存生活には影響せず、金銭的報酬度外視で好きでやる仕事

なんですが…僕は2本やっていた仕事のうち、1本のD社が続けられなくなってしまい、A社にフルコミットせざるを得ないような状態になってしまったのです(;´Д`)
一度目の“あの時”の気持ちを忘れられなくて、また独立してみたけど、やっぱり僕にはうまくできなくて、自信も失いかけていたので新しい仕事を取ってくることもできず、「A社だけで何とかしたい!」って思っちゃって、しがみつこうとしてしまいました。
ですが、こんな予定じゃなかったし余裕もなかった僕にはそれは長くはもたず…
収入も仕事も不安定で、未来もあまり見えない。
そもそもA社の組織自体がそんな設計でもなければフルタイムを雇用する準備もない。
奥さんよりも収入が低い状態にもなり、いろんな思いがグルグルしてしまって耐えきれず。
A社の仕事をしながら、37歳にして“地獄のフリーランス再就職活動”をし始めることになったのでした。

to be continued…

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