【73歳父の小説】あのころ⑤オーレンのころ
73歳になる父親が趣味で小説を書いている。
今更になって、父がどんなことを思って、どういうふうに生きていたのかが、わかって嬉しくなった。
それと共に、もっと早く読んであげればよかった、とも思った。
ちなみに父は元気である。
あのころシリーズはこちら
あのころ⑤オーレンのころ ポール守谷(著)
お腹が痛くなっても、小さい頃はしょっちゅうお腹こわしていた気がしますが、お医者さんに行くと言う事がなかったですねえ。
これは単に経済的に苦しいのでお医者さん代が支払えないという理由からでした。
じゃあどうしたかと言いますと、母の奥の手。
精神鍛錬でした。
「ちょっとくらい腹痛くたって我慢しろ、じき治る。」
おなかの痛みに神経を集めずに「腹力入れて、踏ん張って見ろ。」と精神修養で。
それでだめなら、早めに安静にして床に就く事です。
第3は父が山から採って来てくれて乾燥させといた薬草、トウヤクやオーレンを煎じて飲むことです。
良薬は口に苦しと言うのですが特にトウヤクは苦くて。
オーレンの方が好きでした。
苦いとちょっと安心で、この苦さが効くんだろうと。
またひと時苦みに気が行き痛さを忘れていて。
「少し痛みとれたかな、効いてきたかな。」と思えるほどで。
普通はここで治療は終了です。
大体このあたりで収まるのですが。
どうしてもと言うときは、置き薬のお世話になります。
越中富山から運んできてくれるお薬で年2回ほど訪ねてきては補充していかれた。
今も続いているという。
薬屋さんが相手の事を信用して薬を置いて行かれる。
信用の尊さ越中商人の人の大きさを改めて感じました。
その薬箱の中の「快腹丸」とか「赤玉」と言う名のおなかのお薬を飲ませてくれます。
「ちゃんとしたお薬を飲んだんだ。」と思う事で、かなり腹痛を抑える精神的に良い効果が表れて、痛みは収まってた気がしました。
そうだ、このお薬補充と集金に来られるときに、折りたたんだ紙風船をお土産にもって来てくれました。
楽しみでした。
油紙の材質で赤や青黄色に色分けされ印刷されてました。
ふくらますとカラフルな色模様で見て楽しいものでした。
そんな風船を一つ貰いしっつかり手に握り宝物のように大切にしてる所に「今日はこのお宅が最後だから、もう一つ風船上げちゃおう。」と夢のようなお言葉。
もう一つの風船が渡されてもうもう大感激でした。
「なんていい人なんだろう、なんていい日なんだろう。」
回りのすべての物が自分に微笑んでくれている気がしたものです。
そしてしかしそれでも快方に向かわないときは、町の開業医に行きます。
熱が何日も下がらない、咳が止まらない、腹痛が収まらないなどかなり見た目の症状が出ないと無理でした。
しかも村に住む自分の家から町の医者まではかなりの距離があり、救急車はあるはずありません自家用車もなし。
ひたすら徒歩で行くしかありません。
ほとんどが「トウヤク」と「オーレン」のお世話になりました。
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