私を変えた星野源の言葉 4

この言葉たちを読んで、誰かが、衝撃を受けたり、うるっときたり、クスッと笑ってくれますように。

人は生まれてから死ぬまでずっと生活の中にいる。赤ちゃんとして生まれてから、やがて年老いて死ぬまで生活から逃れることはできない。誰だってそうだ。
ただ無理矢理生活に向き合うだけじゃすぐに飽きて同じ失敗をしかねない。むやみに頑張るのではなく、毎日の地味な部分をしっかり見つめつつ、その中におもしろさを見出すことができれば、楽しい上にちゃんと生活することができるはずだ。
「本当の自分じゃない」って言っちゃうのは、乗り越えられなかった自分を守るための嘘でしかないから。
「幸せになってしまったら良い表現はできない」などと、己の人間性や才能に自信がない自分を正当化するための、言い訳に塗れた情けない理論を掲げたりした。嫌う必要のないものを嫌い、好きでなものを好きと言って、人と違うことをアピールしようとした。そのままの自分を認められない、偽らずにはいられない、誰かに馬鹿にされる前に自分で自分のことを悪く言い、「わかってますよ」と傷つかないようにバリアを張った。
自分はひとりではない。しかしずっとひとりだ。いつの間にかひとりであるということが大前提となっていて、特に意識もしなくなった。
くだらない?くだらなくていい。ポジティブに行こうじゃないか。悪いことを考えられるのは悪くない時だけだ。
俺は面白いことができればそれでいい。芝居も、音楽も、文章も、「こんなにたくさんの人がやっているなら自分がやらなくても」とうんざりしつつも、どうしても止められないのは、単純にもっと面白いことがしたいし、面白いことが起こる場所にいたいからだ。
俺はまだ死ねないのだ。これから、飛び上がるほどに嬉しいことが起こるはずなんだ。そんな日々が来ることを、俺は知っているのだ。
地獄は相変わらず、すぐ側にある。いや、最初から側にいたのだ。心からわかった、それだけで賭けものだ。
クソ最高の人生だよ。まったく。
おやすみ俺。また明日の朝、お前と会えるのが、俺はとても嬉しいぞ。
人生のひとりではない瞬間を中心にクローズアップできるようになった。
やはり深夜が好きであると実感する。その理由がわかった気がした。朝が来るからである。
いのちの車窓は、様々な方向にある。現実は一つだけれど、どの窓から世界を見るのかで命の行き先は変わっていくだろう。
予想もしなかったような楽しくて嬉しい終着駅にたどり着けるように、より良い窓を覗いていきたい。それは現実逃避ではなく、現実を現実的に乗り越えていく為の、工夫と知恵ではないかと思う。
そういった想像や予感というものは、合っていようが間違っていようが、現実を変え、未来を作る力になりうる。イマジネーションとナルシズムは違う。自分が小さい頃にそんな言葉はなかったけれど、どれだけ「イタイ」と言われようと、「中二病」と馬鹿にされようと、そんなつまらない言葉には負けず、人はどんどん妄想すればいいと思う。
現実を創る根本の大体は、想像力である。
人生は旅だというが、確かにそんな気もする。自分の体を機関車に喩えるなら、この車窓は存外面白い。
自分が今この音楽すげぇ好きだなとか、こういう音すげぇいいなとか、これヤベェなって思うものには共通するものがあって、その共通するものの中で、これは自分のフィルターをしっかり通せるだろうって思う音楽、これはちゃんと自分のモノとして表現できるのではないかって思う音楽をやっていった・・・・・っていう感じ。



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