見出し画像

『魔女の遺伝子』第三話「ゲノムの記憶」

既出の登場人物
エリザベス・アヴェリー:愛称リサ。本作の主人公。やや背が高い銀髪の女子高生(ヴィジュアルはヘッダー画像右)。
政府の少子化対策の一環として作られたクローン人間の一人。本人も彼女の友人もそのことは知っている。


「おかあさん、みて! ナターシャね、おはなのかんむりつくったの!」
「あら、素敵ね」
「はい、あげる!」
「私にくれるの? そう、ありがとう」


「ん……。うーん」
 奇妙な夢の後、リサは目を覚ました。
(夢? さっきのはお母さん? でも、お母さんじゃなかったような……)
 まったく状況が掴めなかった。白色光の先に天井がぼんやりと見えた。

 数秒して身体の感覚が徐々に戻ると、彼女はあることに気が付いた。真っ白な服を着せられ、手術台のようなベッドの上に寝かされていたのだ。手足はベッドに備え付けられた硬い金属で固定されており、まったく身動きがとれない。
 視線を動かし、可能な限り辺りを見回すと、そこには見たことのない装置がいくつも置かれていた。人の気配はなかったが、微かなホワイトノイズが耳に入った。どうやら部屋のどこかにスピーカーがあるようだ。

「ブツッ」
 突如、左上方からマイクが接続される音がした。するとそこから色香の漂う大人の女性の声が聞こえてきた。
「おめざめのようですね、エリザベスさん。いいえ、ナタリー様」
(誰?)
 聞き覚えの無い声にリサは戸惑い、聞き返すことができなかった。そのときスピーカーの向こうで、女が微かに笑ったような気がした。

「ごめんなさい。いきなり何のことだかわからないわよね。でも簡単な話よ、エリザベスさん。ナタリーはあなたの元になった人。そして私たち能力者を導く救世主」
 明快なようで、その実意味不明だった。ナタリーはリサのクローン元。それはまだわかるとして、能力者とは? 救世主とは? ただでさえ自分が置かれている状況に理解が追い付いていないというのに、非現実的な単語を矢継ぎ早に並べられたことで、リサは余計に頭が混乱してきた。

 どう考えても無理なのに、彼女はかせを外そうともがきだした。すると先ほどの声の主が少し焦った様子で喋りだした。
「ごめんなさい、今すぐそっちに行くわ。手足も開放するから安心して」
 そこで音声は切れた。これから声の主が、どこの誰かもわからない女がこちらにやってくる。安心してと言われて安心できるわけがない。リサはますます不安になった。しかしこの場から逃げる術はない。
(もうやだ、帰りたい)
 リサは何をされるかわからない恐怖から、声も無く涙を流した。


 一分ほどすると、プシュッという音とともにドアが開いた。現れたのは白衣を羽織ったグラマーな赤毛の女だった。
「エリザベスさん、大丈夫? 今自由にしてあげるから、待ってて」
 そう言うと赤毛の女は、ベッドの横に備え付けられた端末を操作しだした。するとすぐ、両手足を拘束する枷がベッドの中に引っ込んだ。

 リサは咄嗟に身体を縮めて起き上がり、ベッドの脇まで下がった。しかし怖くてそれ以上動けず、ただ恨めしそうに赤毛の女を睨むことしかできなかった。
「大丈夫よ。ちょっと手荒な方法で連れてきたけど、あなたに危害を加えるつもりはないわ」
 赤毛の女は微笑みながらそう言った。しかしいきなり眠らされてこんなところに連れて来られたのだ。そんな言葉など信用できるはずもない。リサは恐る恐る赤毛の女に尋ねた。

「だ、誰なんですか、あなた」
「ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。私の名前はヴァネッサ。ヴァネッサ・ハートリーよ。そうねぇ、何から話したらいいかしら……。私の好物はラムレーズン入りのチョコレート。あなたはお好き?」
 赤毛の女、ヴァネッサは何を考えているのか、一方的に場違いな自己紹介を始めた。それがあまりに不自然で、リサはますます恐怖に怯えた。その様子を見たヴァネッサはまたにっこり笑うと、リサに歩み寄り、震える彼女の左頬に優しく触れた。

「そんなに怯えなくても大丈夫よぉ。あなたはこれからゲノムの記憶を呼び覚まして自由を手にするの。今よりずっと晴れやかな気分で生きられるようになるのよ。心配しないで」
 ゲノムの記憶とは何なのか。ぼんやりと筋が見えてきた。リサの遺伝子は元々ナタリーという女性のもので、ヴァネッサはそのナタリーの記憶を蘇らせようとしている。

(ナタリー……。ナターシャ!? じゃあさっきの夢は、私の遺伝子に刻まれた元の人の……!)
 突拍子もない話だが、先ほどの奇妙な夢から合点がいった。そしてそれ故、彼女は自分が自分でない誰かの記憶に侵食されていくことに途轍もない恐怖を感じた。

(そんな……。じゃあ私はそのナタリーっていう人に乗っ取られちゃうの!?)
 リサはヴァネッサから視線を逸らし、全身を酷く震わせた。頭がくらくらしてきた。己を他人に乗っ取られるということは、自分が消えてなくなるということ。死んでしまうのと変わらない。

「嫌……です」
「え?」
「嫌です! 私、帰ります!」
 彼女は勇気を振り絞ってそう言うと、ヴァネッサを振り払ってベッドを下りた。そして先ほどヴァネッサが入って来たドアの方へ早足で歩き出した。

 しかし次の瞬間、シュルシュルと奇妙な音を立てながら、十本ほどの肌色のがリサを取り囲んだ。
「きゃっ! 何これ!?」
 リサがその奇妙な紐に気付いたとき、それはすでに彼女に巻き付いていた。
「やだ! 動けないっ!」
 抜け出そうともがいたが、すでに両腕ごと胴体を拘束され成すすべもなかった。

 その紐には温もりがあった。そしてリサはすぐにそれが何なのか理解した。紐の先には爪があった。人の爪だ。紐に見えていたのは指だった。嫌な予感がした。リサが恐る恐る後ろを振り返ると、なんとヴァネッサの指がつるのように伸びていたのだ。

「いけない子ねぇ。逃げようだなんて」
 ヴァネッサは依然笑みを浮かべていたが、その声、その表情からは、絶対に逃がさないという強い意思が滲み出ていた。

「ちょうどいいわ。教えてあげる。これが私たち能力者に与えられた力よ。もっとも、能力は人によって違うけど。私の能力は肘から先を自在に変形させる能力。こんな風に指を縄のようにしたり、手を遠くに伸ばしたり、それから……」

 彼女はリサに巻き付いている指を一本伸ばし、それを鋭い刃物のような形状に変えて見せた。
「こうして形や硬さも自由に変えられるの。結構便利よ」
 わざわざ刃物の形状にしたことに脅しの意図があったかどうかは定かでないが、リサは非現実的な光景を目の当たりにし、いよいよ気がおかしくなりそうだった。脈は早く大きくなり、過呼吸に陥りそうなほど呼吸が乱れた。しかしそんなことはお構いなしに、ヴァネッサは伸ばした指を縮めて彼女を引き寄せた。

「逃がしはしないわ。私たちの復讐を成し遂げるためには、ナタリー様とあなた、二人が一つになる必要があるんだから」
 復讐とはいったい何なのか、リサには想像がつかなかった。しかしヴァネッサが良からぬことを考えているのだけはわかった。ついさっき、ヴァネッサはリサのクローン元であるナタリーを「能力者を導く救世主」と呼んでいた。そして今、それが復讐のために必要だと言っている。

(たぶん私は、そのナタリーって人に変えられる。この人の言う「復讐」のために)
 リサは全身をガタガタと震わせながら、再びヴァネッサから目を逸らした。

「だいたい察してくれたかしら? あなたはナタリー様の能力を引き継いでるの。それは私たちの復讐に必要なもの。それだけじゃないわ。私たちの先祖が残した記録には、ナタリー様の圧倒的なカリスマが示されてるの。あなたは私たちのリーダーになるのよ」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?