見出し画像

『魔女の遺伝子』第十話「幸せな夢」

既出の登場人物

エリザベス・アヴェリー:愛称リサ。本作の主人公。やや背が高い銀髪の女子高生(ヴィジュアルはヘッダー画像右)。政府の少子化対策の一環として作られたクローン人間の一人。本人も彼女の友人もそのことは知っている。

ナタリー・ホワイト:愛称ナターシャ。500年前に迫害を受けていた能力者を束ね、国家転覆を企てた少女。国に甚大な被害をもたらすも、最終的に捕らえられ処刑された。リサのクローン元。

クリストファー・ブライアント:愛称クリス。長身、短い金髪の美男子。ヴァネッサの仲間と思われたが、彼女を騙してリサと一緒に逃走を図る。物体を加速または減速させる能力を持つ。クローン元になった同名の人物がナターシャの切断された左手を盗み出し保存していた。

(作者注:第八話、第九話に引き続きクリスの回想から)

 次の巡回のとき、ナターシャは鉄格子の脇に立って待っていた。また思いつめたような顔をしていたものだから、俺は心の準備をして、どんな話をされても動じないと自分に言い聞かせた。
「さあ、来たぞ。お前がこの世に残したい言葉、責任を持って俺が聞き遂げよう」
 そのせいか変に気張ってしまって……。仰々しい言い方がおかしかったのか、あいつは目を逸らしてくすりと笑った。
「ふふ。ありがとう。じゃあ聞いて」
「あ、ああ」
 俺は気を取り直してあいつの話を聞いた。

「昨日ね、夢を見たの。あなたが話してくれた、普通の女の子が経験する普通の日々の夢。お父さんもお母さんも、妹も幼馴染も、殺された私の大切な人たちがみんな生きていて、虐げられることもなく、ただ普通の毎日を過ごしてた。今まで見た夢の中で一番幸せな夢だった」
「そうか」
「でも、そのうち気付いたの。私が憧れた普通の生活。それを私はたくさん破壊した」
「……」
「私は、私たちを迫害した奴らを今でも許せない。……けれど、私が滅ぼした町や村にも、迫害に加担しなかった人もきっといた」
「……」
 あいつは視線を落とし、表情を暗くした。俺はなんて声をかけていいかわからず、ただ黙って聞くしかなかった。

「私は家族も友達も殺された。その苦しみを奴らも味わえばいいと思った。でも関係ない人にまで、同じ苦しみを味わわせてしまった。罪のない人たちまで殺めて……。なのに私は、最期ぐらい幸せな日常を妄想したくて、あなたにくだらないことを聞いて、それで本当にそんな夢を見たら、勝手に救われた気分になって……。私に救われる資格なんてないのに」
 そのときのナターシャは酷く弱弱しい声で、嘘偽りなく、心から自責の念にかられているようだった。

「私は心のどこかでずっと、自分がこうなったのは環境のせいだと思ってた。でもそれはただ責任を放棄してただけ。こんな、私みたいな身勝手な女は、大切な人たちを殺されたから悪に染まったんじゃなくて、元から最低の人間だったんだって……」

「それは違う」
 そこまで聞いて、俺は思わず否定した。ほとんど反射的だったと言っていい。
「悪人が死のきわに己を省みるか? 他人の苦しみを想像して罪悪感にさいなまれるか? 生来の悪人は反省なんてしないし、他人の痛みもわからない。悪人にわかるのは己の欲望と不満だけだ。お前のこれまでの行いは許されることじゃないが、お前は生まれ持っての悪じゃない。自分を責めるのはやめろ」

 自分でも驚くぐらいスラスラと言葉が出たよ。まるで詐欺師がカモに耳障りのいい言葉を並べ立てるみたいに。
 俺は必死だった。なぜかはわからないが、明日ナターシャが悲しみの中で死んでいくかと思うと、無性に我慢ならなかったんだ。完全に看守失格だ。死刑囚に対して、私情から悪意を否定し、勝手に擁護したのだから。

「お前の心にはちゃんと善意が存在する。途方もない不運によってそれが捻じ曲げられただけで、迫害なんてなければこんなことにはならなかった」
 俺がそう言うと、あいつは大粒の涙を流しながら、悲痛な声で言った。
「そんなの証明できないじゃない。わかってるのは、私が大勢の人間を殺したって事実だけ……。それに、私は明日死ぬのよ? やり直すことも、生まれ直すこともできない……」
 全くもってその通りだった。今さらどうすることもできない。だがそうとわかっていても、俺は引き下がれなかった。

「古の能力者には、人間を複製する能力を持つ者もいたと聞く。もしかすると、今もどこかに同じような力を持つ能力者がいるかもしれない」
 そういった伝説は実際に伝わっていたが、能力者でもそんなのは作り話だろうと一笑に付すような話だった。俺も本心では信じていなかったし、たぶんナターシャも、俺がただ慰めるために言っていることに気付いていただろう。表情からひしひしと伝わってきた。

「……わかっている。仮にそんな夢みたいな力があったとして、明日死ぬお前には関係ない。仮にお前の複製を作れたとしても、それはお前と同じ形質を持った全くの別人だ。お前が生き返ってもう一度自分の人生をやり直せるわけじゃない」
 俺は何もできない自分が辛くて、あいつの顔を直視できず、目を逸らさずにはいられなかった。

「意味がないのはわかっている。ただ、見ていられないんだ。お前が失意のまま死んでいくのが、俺には耐えられない。だから、これ以上自分を卑下しないでくれ。お前はこうして、逃げずに自分の罪と向き合っているじゃないか」
「クリス……」
「いいんだよ。幸せな夢の一つや二つ。お前は散々辛い思いをしてきたんだから。少しぐらい都合のいい夢を見たっていい。ずっと、そういう普通の幸せに憧れていたんだろう? ささやかな妄想に耽る自由ぐらいあっていい」

 ほんの少しの沈黙があった。次に口を開いたのはナターシャだった。
「……ありがとう。赤の他人の私のことを、こんなに真剣に考えてくれて」
「ナターシャ……」
 顔を上げると、あいつは弱弱しくも優しい笑顔で俺の方を見ていた。
「こんな私を、信じてくれてありがとう」

 俺はなんだか恥ずかしくなってきた。
「すまない。お前の話を聞き入れるはずが、途中から俺が話してばかりになった」
「ううん。いいの。おかげで少しだけ、気持ちが軽くなった」
「そうか……」
「時間は大丈夫なの?」
「ああ、そうだった」
 結局、俺の方が気を遣われる始末。

「じゃあ、また後でな」
「うん。もう話すことなくなっちゃったけど、もう一度来て」
「そうか。わかった」
 そう言って俺は仕事に戻った。

==========

 リサはクリスの話を黙って聞いていた。二人が崖の下に降りて歩き始めて、十分ほど時間が経過していた。
「なんだか、一方的な思い出話になったな。申し訳ない」
「ううん」
「変な気分にしたのならすまなかった。君はナターシャと同じ遺伝子を持って生まれたが、ナターシャじゃない。君には君の人生がある」
「わかってる」

 不思議な気分だった。クリスの言う通り、リサはナターシャと同じであって同じではない。彼女の心の中にいるナターシャは、まだほんの一瞬顔を出しただけだ。
 しかしリサはクリスの話を聞きながら、ナターシャを他人として切り離すことができなかった。もし自分が彼女の立場だったら、自分は狂わずにいられたのか。

 そうして考えを巡らせていたときだった。
「それはそうと、君には感謝しなきゃならないな」
 クリスが急にそんなことを言い出した。
「え? どうして?」
「君は道を踏み外していないだろう? それはつまり、ナターシャが元から悪人だったわけじゃない証拠だ」
「……そんなの、わかんないよ。私だってきっと真っ白じゃない」
「いいや、十分さ。俺はこうして君と会って話をしてそう確信した。ありがとう」

 リサはますます変な気分になった。自分はただ普通に生きてきたつもりだったのだから。でもそれでナターシャが報われたのなら、それでいいような気もした。
「そういえば、最後の巡回のときはどんな話をしたの?」
「他愛のない話と、別れの挨拶。それだけさ」
「そうなんだ」


 遠い昔に存在した、一人の少女の短い生涯。
 五百年前のその日、少女はたまたま出会った自分と同じような能力を持つ男に、最後の想いを伝えていた。
「ねえ、クリス。さっき言ってた話だけど。もし私を複製できる能力者が本当にいて、私と同じ人間を生み出せたなら、その……もしできたら、もう一人の私のこと、幸せにしてあげてほしい。私の人生は明日終わるけど、いつかどこかで、罪を背負っていない、別の私が幸せになってくれればそれでいい。それが私の出した答え。私は夢を見たまま旅立つから、あなたは、私が実現できなかった幸せな夢を現実にして」
「……ああ、わかった。約束するよ」
「ありがとう、クリス。それじゃあ、さようなら……」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?