【asd】個性の話

昔はよく「個性が無い」と、思っていた。

asdとしての変わった性格はあったが、身の丈に合った想像力が無かった事で、

思った事を達成できない事が多く、無力な自分を何にもできない人間と、何者にもなれない人間と思っていた。

asdを勉強してからは、特性への傾向と対策を練り、難しくない事なら思った通りにできる事も増えた。

「個性が無い」とは思わなくなったが、

ふと「自分の個性」は何だろうと思った時に、asdとしての特性しか考えられなくなっていた。

そして、asdは、案外珍しいものでも無くて、それなりにasdがいる事を考えた時に、

「自分の個性」がわからなくなった


知らなかった時は個性だった

学生の頃は、発達障害なんて言葉は知らなかったので、asdとしての特性は僕自身の個性でしかなかった。

嘘はつきたく無い。正直でいたい。納得できない事は、やりたくない。例え、自分に不利な事が生じるとしても、断固拒否したい。

人見知りで上手く話せない。知らない人と関わり方がわからない。知ってる人とだけ、接していたい。

人に馴染めず、こだわりの多い自分という個性は、

今や、asdとしての特性でしかない。という認識になってしまった。

僕の個性のほとんどが、asdの特性でしか無いなら、他にもasdがそれなりにいる時点で、僕の個性は無いようなものかもしれない。


その人らしさ

個性について考えた時、小学生の時の事を思い出した。

小学校の時の同学年の人は、「個性的」というと、言い過ぎな気がするが、それぞれ違う良い所、悪い所があり、

それらが「その人らしさ」となっていた。


商店の息子、駅前に住んでいる、食べ物の好き嫌いが多い、縄跳びが得意、背が高い、ふざけてばかり…

当時、僕の周りにいた人達の「その人らしさ」は、今思うと、ありふれていて、

その人達を構成する一つの事実でしかなく「個性」というには、少し大仰だけど、

確かに、その頃の僕は、そういった、一つ一つの事実を「その人らしさ」と捉えていた。


特別なのが個性?

なんとなく「個性」を「個性」という言葉通り「その人だけが持つ特別な何か」と思っていると、

「個性」というのは、かなり得難く、維持しにくい物である。

もし、ネットやSNSなんかで、自分と似た考え、似た経験をしてる人間を探して、

そういう人を一人でも見つけてしまえば自分だけの「個性」が一つ失われてしまう事になる。

これは、ネットに限らず、人と関わりながら生きていく過程で、知らない人との出会いは、やはりあるし、

その中には、自分と似た人もいるかもしれない。

そんな中で「自分だけが持つ特別な何か」を持ち続けるのは、並大抵の事では無い。

それだけが「個性」なら、ほとんどの人が「無個性」な人間だろう。


特別でない特別

でも、昔の自分が思っていたように、その人を構成する一つ一つの事実が、「その人らしさ」なのだとしたら、

積極的に誰かの真似をし続けない限りは、その人は個性的でいられると思う。

僕のような平々凡々な人間でも、特別でない自分の全てを合わせて、誰とも違う「個性」と言えるのかもしれない。

もしそうなら、asdとしての特性は、僕の個性の一部でしかなくて、

「asdだから」で説明できない自分自身は、確かにあって、

asdとしての部分やasdでない部分だけでなくて、今まで生きてきて、考えた事、やってきた事、いまある現状とか、全部ひっくるめて、「自分らしさ」「個性」なのだとしたら

僕の人生そのものが、僕の個性と言えるのかも。